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日本史と関わりのある外国の人物、あるいは江戸時代以前に外国に行った日本人

日本の大河ドラマだからといって、なにも日本人だけにこだわることは無いと考えた。

それと、日本国内の出来事だけにこだわることもないと、そう考えるようになってきた。


ここでは日本史と関わりのある外国の人物や、あるいは江戸時代以前、もちろん江戸時代の鎖国の時代も含む、その鎖国の時代にあえて外国に行った日本人、というテーマで紹介する。


まずは『東方見聞録』で日本のことを紹介したというマルコ・ポーロ。


実際には大元【だいげん】のクビライ・ハーンに会いにいっただけで、直接日本には行っていない。


それなのになぜ、日本のことを建物が全て黄金でできている黄金の国などと紹介したのか?そこが謎めいているが、もしも本当にマルコ・ポーロが鎌倉時代の日本にやってきていたら、何を感じたのだろう。


実際には鎌倉時代当時の日本は、高麗並みに貧しかったともいう。


たぶんマルコ・ポーロは、自らの頭の中の想像で思い描いた日本の姿を、『東方見聞録』に記して、それをそのままヨーロッパで発表するに至ったのだろう。


小説を書く時は、頭の中で登場人物たちや、その人物たちが生きる世界、その世界で起こる出来事などを想像して、それを文章にしていく。


実際にそれが世間にウケるかどうかは別として。


日本人がヨーロッパ人と関わりを持つようになったのは、1543年に鉄砲が伝来し、それに続いて、キリスト教の宣教師たちが日本にやってきてから、それまで、マルコ・ポーロの時代から数えるなら、さらに約260年余りも待たねばならなかった。


そんな中で、フランシスコ・ザビエルら宣教師たちがキリスト教の布教のためにやってきた。


フランシスコ・ザビエルは、ご存知の通り、日本に初めてキリスト教を広めた宣教師。


が、その時の日本はまさに戦国乱世。京の都も打ち続く戦によって荒れ果てていた。


京の都の惨状を目の当たりにし、これでは布教どころではないと悟ったザビエルらは、各地の大名たちの元へと向かう。


しかし、大名たちの多くは、キリスト教の布教よりも、南蛮渡来の珍しい、金目のものになるようなものしか興味を示さない者たちが多かった。


そんな中で、守護大名の名門で、長門、周防、石見など《現在の山口県から島根県西部、広島県西部のあたり》を統治する大内義隆(おおうちよしたか)が、キリスト教の布教に興味を持ち、そればかりか、自らもキリスト教徒となり、キリシタン大名などと呼ばれるようになった。


さらには、豊前、豊後《現在の大分県》を統治する大友宗麟(おおともそうりん)や、さらにその後には高山右近(たかやまうこん)小西行長(こにしゆきなが)などのキリシタン大名が、次々と現れるきっかけを作った。


こうして日本での布教活動にいそしんだザビエル。


1552年に明国での布教活動中に他界したという。


他にも日本史に関わった外国の人物は多い。


幕末ならシーボルトもいる。


シーボルトは時の将軍、家斉(いえなり)にも謁見しているが、その後日本地図を国外に持ち出そうとしたという嫌疑をかけられた、あのシーボルト事件によって国外追放となり、晩年になって幕末の日本に再び来訪したという。


一方で、江戸時代以前の時代に外国に行った人物はというと、大黒屋光大夫(だいこくやこうだゆう)という人物が有名どころの1人だろう。


天明2年にロシアに漂着して、日本で最初にロシアを見てきた日本人、帰国後には将軍、家斉(いえなり)にも謁見しているという。その時の体験談を逐一報告したことだろう。



ロシアは日本などとは比べ物にならないほどの広大な国土の国。


シベリア鉄道や飛行機がある時代でさえ移動するのが大変なことなのに、帆船や幌馬車くらいしか移動手段の無いような、この時代に広大なロシアの大地を移動した、それはどんなものだったことか。


それを光大夫は、直に体験した。それもまだ日本が鎖国体制をしいている時代に。


これを歴史ドラマにするには…。今のテレビ業界の状況ではどうなのかな…。


実際、大黒屋光太夫(だいこくやこうだゆう)の話は、小説や映画では題材となっているような話だ。


アリューシャン列島に漂着して、そこからサンクトペテルブルグまで移動して、女王エカテリーナ2世に謁見して、そこから日本に帰国して、それで有名になったという。


なお、時の老中、松平定信は、この件を利用してロシアとの交渉を図ろうとしたが失敗、それがもとで失脚したと伝えられている。


これを1年間、47話程度でやるとしたら、どうだろうか…。




そしてもう1人、江戸時代以前に外国に行って、活躍した人物といえば、山田長政だ。


シャム《現在のタイ》の日本人町の頭領となり、アユタヤの領主から高官に任ぜられ、その領主の王女と結婚したという話がある。


これは創作ではあるが、小説とはそのような創作を楽しむ場でもある。


ここから先は、山田長政について、さらに詳しく紹介してみる。




江戸時代以前に外国に行った人物といえば、この山田長政も有名だ。


生まれたのは天正18年【西暦1590年頃】とされているが、実は長らく生没年不詳だったという。


1630年に亡くなった時に、だいたい何歳くらいだったということから推察しているようだ。


江戸時代前期にシャム《現在のタイ》のアユタヤの日本人町で頭領となり、アユタヤの高官にもなったものの、最後は戦の中で毒殺されるという、悲劇的な最後を迎えた人物でもある。


その後、日本人町も焼き討ちにあってしまうのだが、この時代に東南アジアに日本人町があって、貿易によって繁栄していたというのは、紛れもない事実だ。




この時代、日本は東南アジアに進出し、貿易を行って成功する商人なども数多くいた。

そしてそんな中で日本人町なども造られるようになり、その日本人町を防衛するための傭兵なども雇われていた。

もちろんその傭兵部隊を統率すること、そして日本人町の運営全般に携わることが、頭領である山田長政の役割だった。


ある日、いつものように日本人町の頭領としての任務をこなしていた山田長政は、ある噂を小耳にはさむ。


アユタヤの領主の娘である王女が、宮殿を抜け出してお忍びで日本人町に来ているという噂だ。


しかも、一度ではなくて何度も…。


「はて、アユタヤの王女が、なにゆえ日本人町に何度も足を運んでいるのか…。」


これが禁断の恋の物語につながっていくことになるなど、この時の山田長政、そしてアユタヤの王女もまた、想像もしていなかった。


やがてアユタヤを治めていたソンタム王にも、その功績を認められた山田長政は、その王女と結婚することになる。


もしも山田長政を本当に大河ドラマにするようなことがあるなら、これは本当に、作者の勝手な要望であるのだが、日本人町に向かう前の生い立ち、幼少期からやってみるのもいい。


生まれた年も1590年頃としか記載されておらず、

また出身地に関しても、駿河国、伊勢国、尾張国と、諸説ありという、謎めいた部分もあるが、

それから沼津藩主の大久保忠佐(おおくぼ・ただすけ)に一時期仕えていた頃の知られざる話や、

1612年に長崎からシャムへと向かうきっかけになった、その経緯、

といった話を盛り込むのがよいという、個人的な意見だ。


そしてシャムに到着して、アユタヤ日本人町の建設に携わり、

やがて、その活躍ぶりがソンタム王の目に留まることになる。

やがてはソンタム王に認められてシャムの王女と結婚し、幸せに暮らすはずだった。


しかしハッピーな話はここまでとなる。


ソンタム王の死後は王位継承をめぐる争いに巻き込まれ、

やがて日本人町と対立することになる、華僑(かきょう)の勢力との戦いに突入していく。


最後は毒を盛られて死を迎えるという悲劇的な結末となるが、

その死に際に、それまで歩んできた生涯を振り返るということで。


自分は夢を持ってシャムに渡り、日本人町に夢を託して、シャムや、アユタヤ、日本人町のために尽くしてきたのに…。


なお、山田長政は、あのキャプテンクックよりも早く、オーストラリア大陸に到達したという、これも真実かどうかわからない逸話があるという。


ちなみに、既に小説の題材にもなっていて、たとえば、


遠藤周作 『王国への道 山田長政』


など、数多くの小説や戯曲の題材になっているので、もしこれを『なろう作者』の皆さんが書いたら、どんな感じになるのだろうと、なんとなく思った。



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