3話 走るなキケン。
3話 走るなキケン。
俺はジェットコースターの下りにも似た、急激な落下感の中に居た。
それは膝から崩れるような倦怠感を伴い、急速に血の気が引いて行く。
と、とっ、父さん。俺、つ、つまらなくなんかなかったよ。
それどころか、父さんの大の好物、不思議なスッゴい能力者になっちゃった、ぜ……。
ねえ、父さん。ちゃんと聞いてるかい?
ソファーに座す、年季の入った中二病患者を見る。
しかし、銅像の様に動かない。
俺は考えた。こいつはどうやら、俺が首の後ろ、あの木の杭がめり込んだ辺り、そこに意識を強く集中したとき、周りの人は固まるんじゃないか?
瞬間、鳥肌。そして瞳孔は開き、脳内に熱い血が湧く感覚!
来た!!来た来たぁ!!何かコレ、感動が高波で来たぞぉ!!
おおー!!スゲースゲー!
俺スゲー!!!
って、アラ?!
コレって、どーやって元に戻すんだろ?
いやぁ、意外と冷静だったな、この時の俺。
んーと、昼間の道場では、みんなどうやって戻ったんだっけか?
えーっと。
あの時、恋に、集団パントマイムみたいなの、気持ち悪いから、マジでそろそろ止めてくれって言って……。
あぁ、そう!その後、心臓と頭がバクバクし出して、それがあんまり痛くって。
何か気を失ったな。
はっ!今は?!
うー、うん。まだ、痛くはないな。
うん。コレ、なんて言うか、ほっとけば能力使ってる俺の身体に、限界みたいなのが来て、勝手に解除されるのかもな。
よーし!!こりゃ父さんに教えたら喜ぶぞー!!
「驚いた。凄いぞ、翔。」みたいな!
ん?!でも待てよ。さっきの父さんの言う通りなら、俺のこの能力、色々と知りたがるやつ多いかも……。
う、裏世界の名鑑……。
いやいや!冗談じゃねー!
コレは秘密にしとかねーとヤバいな!
うん。こーゆうのにノリノリだった、父さんにだけは教えてやるか……。
いやいやいやいや!
さっきの父さんの、あの氷の眼を思い出せ!
ありゃまともな人間の皮を被ったアレだったじゃねーか。
もし、父さんが、この能力が本物と知ったら……。
付き合い長いけど、この人、突然何を言い出し、やり出すか見当もつかねぇ、何かそういう不気味な怖さがある!
うひゃあっ!父さんもダメだ!っていうか、父さんがダメだ!
紗綾も、母さんに教えるのも、父さんに直接言うのと変わりないし……。
うん!ここは知らん顔して、テヘ、ヤッパリ夢でしたぁー、だな。
よし、ひとまずはそれで行こう!
さて。じゃ、解除、だが。
自然とやってくる、俺の身体の限界を待つ、ってのだけど。
昼間のように、心臓とかパンクしそうになるのはキツい、ていうか超痛いからやだなー。
よし、試しに固める能力ON!と同じく、首の後ろにもう一回、意識を強く集中して、固めるOFF!ってならないか、一応、やってみるか。
むーん……。
て、あぶねぇ!!
そう!元の立ち位置に戻らなきゃな!
えーっと。
さっきの俺は、ドアの近くで父さん達を振り向いてー……。
おう、ここだ、ここ。
ポーズは何かこんな感じでー。
よし!目を閉じ、集中集中……。
フーンッ!
俺は見たくないものを仕方なく見るように、それこそ恐る恐る、片目を開ける。
おっ!さっきは気付かなかったけど、部屋の空気が変わった!
なんて言うか、透明感、ての?
何か居間全体に、生命力みたいなのが吹き込まれた感じだ!
俺は左下をチラっと見る。
母さんの手が動き、発泡酒の空いた缶を整理するのを確認出来た。
うん、ちゃんと、自発的に能力OFF!出来るじゃねーか!
これで頭とか、心臓とか痛くならないな、よーしよしよし!!
さて……。
この時、俺は何故か、心の中で新撰組の格好をしていた。
歯を食いしばり、鉢金を締め直す。
さーて、一芝居!こっからは細心の注意ですっとぼけろよ、俺。
分かってるさ!俺はやれば出来る子だ!
「じゃ、お、おやすみぃ。」
勿論、内心はバクバクである。
それでも必死に平然を装い、可及的速やかに二階の安息の地、自室に向かう。
「翔。」
来た!ヤッパリ来た!
父さんだ!ズキッと心臓が痛む!
俺「な、何?」
手はノブは離さず、顔だけ居間へ向ける。
父さんがソファーで頬杖
「お前、今……。」
えー?!ヤッパこの人は騙せないのか?!
ここでつい、父さんの眼を見てしまう。
吸い込まれるような美しい瞳。
俺は瞬きも出来ず、絶望からか、足下の床がザーッと砂になり、溶け失せていくような錯覚を覚えた。
さ、流石は人事部から成り上がった人間!何て言うか、眼が、眼がスゲぇ!
月並みで悪いが、こりゃ、蛇に睨まれたなんとやら、だな。
か、敵わねぇ……。
く、苦しいから、もういっそのことパクッとやってくれ!
「いや、何でもない……。おやすみ。」
フッ、と父さんの長い睫毛が動き、俺は視線の呪縛から解放された。
俺は、強烈な精神の疲弊から、その場によろけそうになるのをなんとかこらえ、ごくごく自然に
「おやすみ」
フィニッシュを決めたのである。
うん、我ながら上手くやったなー。
いや、父さんの血中のブランデーのお陰かも知れない。
俺は後ろ手でドアを閉め、父さんの視界から出ても、無駄に平静を装い続け、二階の自室に入り、施錠し、椅子に座った。
このとき、俺はやっと全身が汗でジットリと湿っているのに気付いた。
目にかかる汗を、折った指の関節で払い、ふと、スマホの通知点滅に気付き、メッセージを見る。
恋だ。はは、目茶苦茶心配してるなー。
だから、怪我は大丈夫だってー。
ま、変な能力は発現してしまいましたけどね。
ここは恋にも、テキトーに、当たり障りのない事を送っておく、か。
【心配すんな。何ともないぜ!道場での事は誰にも話さない。】
返信完了。
その時、不意にドアが鳴った。
反射的に、俺は蛙の目でドアを睨む。
「お兄ちゃん、本当に身体大丈夫?
さっきは悪乗りしてゴメンねー。おやすみー。」
何だ、ただの紗綾か。
「あぁ、気にしてない、おやすみ。」
失せて行く小柄な気配。
さて、俺には考える事が山程あるのだ。
湿ったシャツを換え、ベッドに転がる。
目下の課題は、この、人を固まらせる能力をどうやって役立たせて行くか、だな……。
がっつりと考えるつもりが、俺の意識は急速にとろけていったのであった。
翌日、バイト前の11時。
スマホのアラームで起床。
手早く着替え、階下へ洗顔に向か、
アレ?
べ、ベルトが……。えっ?!あれ?
コレ、俺のじゃないぞ?!
俺は元々痩せ型だが、それにしても、いつものベルトの穴では全然足りない?
こ、これは……激痩せて、いる?
えー?!何もしてないのに?
もうここ数年は、痩せも太りもしてなかったのに?!
なんだかなー?特に変わったことなんか……。
いやいや!あった、あったよ!スッゴいの有ったんだよ!
もしや、人を固まらせると膨大なエネルギーを使うんだろうか?
うん、今んとこ、それ以外は考えられない。
俺は額に皺など寄せ、考えた。
ま、喰えば戻るだろ?
俺はお気楽に、遅い朝食を摂りながら、今朝早く、真田家がきちんと御詫びに来たこと、それこそ、しつこいくらいの謝罪があったことを母さんから聞いた。
はっ、そんな気にしなくても良いのになぁ。
俺は首の後ろに手を回し、他人事の様に思った。
月曜だ、父さんと紗綾はとっくに出動している。
俺もバイト先にのっそりと出掛ける。
その日のコンビニバイト等は適当に終らせ、帰路にて考えた。
何をかって?
勿論、バイト先のコンビニでもやってみた、この、人を固まらせる能力についてだ。
遡ること、正午。
俺は着なれた制服に着替え
「おはようございます。」
で、いきなり首の後ろに意識を集め、固まれ!
うん、出来たー!
ちょっと慣れてきたぜ。
我ながら、お見事!
挨拶を返してくるはずのレジのバイト仲間も、店内の7、8人いた客達も固まった。
もうこっからは、コツを覚えりゃなんて事はなかったね。
バイト中、5、6回はやったな。
オーナーには悪いが、静かな世界で売り物のマンガ、雑誌等を拡げ、幾度か無断の休憩をさせてもらった。
で、大きな収穫があった!
なんとこいつは、人を固まらせる能力ではなかったのだ。
じゃあ何かって?
うん、簡単に言うと、時間を止める能力だったのだ。
それに気付いたのは、俺が職場での、固める一発目をやってみたときだ。
自分の中では、5、6分は固まった世界で無断休憩したつもりだったのだが、なんと!コンビニ内の時計の針はちっとも進んじゃあいなかったのだ!!
で、ここからがややこしいのだが、この能力、正確に言うと、これまた時間を止めてる訳でもないのだ。
それ、どういう事?って?
それは2度目にやってみたときだ……。
順調に能力に慣れ始めた俺は、開きっぱなしのドアから外に出てみた。
そこで調子に乗って、店の前の車道を、止まった車の窓を次々と覗き込み、そこらを駆け回った。
なるほど。やはりコレ、人を固める能力じゃないな。
だってさ、自動車もバイクもみんな止まってるんだぜ?
ここで俺は、一気にゾーッと青ざめた。
もし、これが最初の見立て通りで、人を固める能力だったとしたら……。
車はペダル、バイクはアクセルを、踏み、回しっぱなし!
そこら中、追突、特攻、火の海の大惨事だ。
いやー……ハハハ。
笑えねぇ……。
間違いない、俺の能力は、確かに時間停止である。
バイクなんか、後、自転車のおばさんなんかも倒れず、その場で地面に、しっかりと二輪で立ってるし。
ここで、ふと気付く。
?
な、何か、焦げ臭い。
しかも気のせい、と言えるほど、うっすらじゃあ、ない。
一体どこからだ?と、鼻をひくつかせる。
クンクン。
近いようだ。
俺は何とはなしに、鏡張りの飲食店の自動ドアに触れ、映っている自分を見る。
何故だかボヤけて映っちゃあいるが、まぁ俺、コンビニ制服の俺だ。
じいっと視て、俺、やっと気が付く。
あっ!髪の毛!俺の頭、制服の肩辺りに薄い煙!これ、俺が焼けてる!?焦げてる?!
ヤバい!!誰かに火を付けられた?!
何で?!
道路の車、その内部のシリンダー内のガソリンの瞬間燃焼でさえも止まった、この世界で誰が?!
んなバカな!
俺は無我夢中で辺りを見回す!
しかし、周りの自動車、スクーターの人、歩行者も、もれなく止まったままだ。
昨日の道場、昨夜の自宅でも、俺が焦げるなんて、そんなことはなかった。
それに今日の、さっきの一発目でも、だ。
俺、特別な事、何かしたっけ?
腕を組み、トボトボと職場に歩きながら考える。
歩きながら、改めて自らの身体を嗅ぐが、どうやら焦げたり、謎の煙の噴出はなくなったようである。
あっ!
何か閃いた!
分かったぞ!こいつは多分、空気の摩擦熱でのアレだな?!
この度の実験で、俺はチョーシこいて車道を走った!
そして、うん。今、歩きの俺は焦げてない!
てーことは、どうやら俺は時間を止めているって訳ではなく、他人が分からない、気付けないほどの、それこそ火が点く位の超スピードで動いている、ということなのでは?!
ああ、そうだ!それなら何か辻褄が合う!
それで昨日、道場のトイレの便器の中の水が、何かデッカイゼリーみたいに感じたのか!
多分あの時、俺から出た小便は、俺の一部であって、超スピードのパワーみたいなのを帯びていた。
しかし、それを受ける便器の水は普通の水な訳で。
つまり、超スピード中の俺からすると、着水点の便器の水は、波紋が出来るのも、揺れるのも遅く感じ、出来損ないの寒天か、ゼリーみたいに感じたってのか?!
しかし、小便まで超スピードとは……。
う~む、これが気の力か?
それか電車の中でジャンプしても、ちゃんとその場に着地出来るとかいうアレ、そ、慣性の法則か?
はぁ、それで長いことこの能力をやってると、身体に限界が来て、心臓や頭が痛くなるのか!
ま、なにせ、他人が認識出来ない程の超スピードで動き、考えているのだからな。
そりゃ身体にとっちゃあ、目茶苦茶オーバーワークだよ。
ふーん。まとめると、コレ、あんまり面白半分でやるものじゃないな。
確実に寿命を縮めてる気がする……。
痩せたのも分かるなー。
俺はコンビニのレジ前、超スピードを開始したポジションで能力を解除し、元通り動き出す客のレジ打ちをしながら、ボンヤリと考えた。
ここで、俺の緩慢な頭脳に、電撃が、いや雷撃の紫電が閃光した!
能力ON!
俺は誰も動かぬ、知らぬ世界で顔を歪ませる。
フフ……確かに父さんの言う通り、この能力、善用より悪用が向いてるな。
俺は静寂のコンビニ店内を見つめながら、バイト等しなくても良い、ある計画を思い付いたのだ。
そう、この能力の恐るべき悪用方を。