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華麗

作者: 又野克明

 小学校時代に「清らかな白鳥」というコントグループを作った。「清らかな白鳥」は我々が林間学校の時にお笑いの「劇団」として名付けられ、誕生した。そうだった。最初は我々は「コント」という言葉さえ知らず、自分らが行っている相当、レベルの低い喜劇のようなものを「劇」と呼んでいたのだった。どんどん思い出がめぐってくる。小学校五、六年であったこの時期は生徒会長としても目立った時期だった。しかし、そのことはここでは書かない。ちなみにそのことは『「少年時代」とは何か』という作品に書いているので、もし、ご迷惑でなければお読みになって頂いても悪くはありません。CMみたいで、悪しからずです。


 ところで、「清らかな白鳥」というコントグループの理念とは一体なんだったのか。それは「我々は『清らかな白鳥』でありたい」ということでした。我々はコントを作るにあたって、決していじめたりしないという信念を持っていました。そして、脚本、監督、演出、どれも私一人が担当でした。私はお笑い劇団「清らかな白鳥」のメンバーに均等にコントを分け与えました。コントを行う場は林間学校以来はそれぞれの学期末に担任の先生が「お楽しみ会」という会を開いて下さり、そこで披露していました。


 私の学生時代は個人的には「小学生」の時が一番、輝いていました。もちろん、中学も高校も頑張りました。一生懸命、頑張りましたが、やはり、小学校ほど輝いた時期はなかったのです。普通は中学だろ、それか高校だろと疑問に思われる方がいるだろうと思います。しかし、個人的に、あくまで私の体験としては、小学生時代が全てであったと記憶しています。それはあの小学校特有ののほほんとした雰囲気がとても美しいように感じられたからでした。


 

 さて、話は変わるが、人生とはなんなのだろう? もちろん、私も皆と同じように一つの意見として、それを語るのだが。まず、不幸とは幸せだろうかと究極の逆説の問いを投げかける。しかし、20代の十年間に統合失調症で極限なまでの不幸を体験した私には、苦悩を肯定する勇気がどうしても出ない。ただひたすらに、怖いのだ。だから、苦悩が幸せだという逆説には、ただ、その苦悩が終わったら幸せが訪れることは間違いないだろうとしか言えないのである。それは今の自分に当てはまる。


 そして、私は妻と子供を産むことは諦めた。妻が子供を産めない体だからだ。それはショックだったが、仕方がないと言えば仕方がない。しかし、私の妻への信頼は、私が妻を守れる限りは絶えることがないのであるから、子供が産めないであろうが、しょうがないこととして済ませることができるのである。そして、そういう苦悩や不幸には耐性があるのである。しかし、そういうことは苦悩や苦しみとは言わないのではないだろうか。私の本当の苦しみは20代の頃の統合失調症にあるのだ。


 

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