九
『ヤマツミの森には、とんでもないお宝がある』
その噂を耳にしたのは、ヤクモがヤマツミの森を後にして一週間が経ったころだった。
あの事件の後、宿霊祭の当日に何か大規模な仕掛けがあるんじゃないかと、村の近くに潜伏し、村外に続く街道の様子を隈なく見て回った。結果、馬蹄の轟きや、金属の反射光を見ることもなく、平穏無事に祭りは終わった。
キョウは確かに、祭への妨害が任務だったとヤクモに言った。肩すかしを食らったが、異変が何も起こらなかったことは喜ばしい。それでも、これから何があるか分からない。少しでも情報を集めようと、ヤマツミの森とオチハの村を中心に、円を描くようにして近隣の村々を訪ね歩いていた。
村や森に近づくことができないとはいえ、心に決めた守護の誓いを果たさなければならない。
(祭りの前に騒ぎを起こすことを、妨害が目的だと短絡的に捉えていた。実は、他の狙いがあったんじゃないか。いずれにせよ、あの事件の黒幕は必ず事を起こすはずだ)
――そうして六日が過ぎた。
目の前に行商人の男がいる。オモノナチと彼は名乗った。木製の荷車を引き、サジョウの村からカノエの村へと商いに向かう最中で、道中、物語などをしながら慰みにしようとヤクモと行程を共にした。
荷車には、大きな甕の中にサジョウの村特産のお茶の葉と清水、干し柿が積まれているらしい。カノエの村はサジョウに比べて裕福層が多いらしく、お茶などの嗜好品が好まれるそうだ。
「ヤクモさんはお茶を飲んだことはござんすか?」
「昔はよく飲んだものですが、ここ何年も口にしてません」
「庶民には中々手に入らない貴重品ですからなあ……。昔ってことは、どこぞ身分の高いお家で?」
「いや、そういうわけでもないのですが」
ヤクモは、頭を掻きながら苦笑いを浮かべた。お茶が貴重なものであることは分かっていたのに、ついうっかりと口を滑らせてしまった。その様子がまた、オモノナチにとっては「何か訳アリのご様子」と、変に勘ぐらせてしまったようで、興味津々な目を向けてくる。
「いや、ほんとに。何のへんてつもない山育ちの田舎者ですよ」
「そうでやすか……やつがれも商いをする身ゆえ、目がはしこくていけやせん」
陽がちょうど真上に立った頃、川の岸辺にふうのいい場所を見つけた。一本の大きな柳があり、風がさわさわと流れ、せせらぎがゆったりとした時間を作る。休息にはもってこいの場所だった。
二人は柳の陰に腰を下ろすとふうっと息を漏らした。ヤクモはそこで一息ついた後、側の川まで足を運ぶと、透明な輝きを一通り眺めてから、その手に水を掬い、口に含んだ。
(はぁ~……。冷たくて、美味い)
満足気に口を拭うと、背に負った荷物袋から竹筒を二つ取り出した。水筒代わりの方を川の中に入れて満たされたことを確認すると、もう一方にも少量だけ水を入れた。そちらには乾飯が入っていた。
柳の下に戻ると、オモノナチは腿の上に笹の葉を広げ、今朝握ったばかりの握り飯を美味そうに頬張っていた。その幸せそうな顔に、ヤクモも釣られて口がゆるむ。足の横に、二つの竹筒が置いてあった。
「ああ、ヤクモさん、戻られやしたか。お近づきの印に、ままっ一杯どうぞ」
そういうと、オモノナチは二つの竹筒から一つを選び、ヤクモの方へと差し出した。竹筒の中に目をやると、ゆらゆらと揺れる澄んだ液体が入っており、少量の茶葉がそこに沈んでいる。ほんのりとした緑がかかって、何とも言えない香ばしさが鼻腔をくすぐった。荷車の甕から、水と茶葉を取り出してヤクモのために用意してくれていたのだ。
「こ、こんな高価なもの、良いんですか?」
「いや、まあ、道中を共にするよしみと言う奴です。どうぞ気になさらねえでくださいやし。アッシが大事にしている言葉に『一つの縁が己を助く』というのがごぜえやして」
オモノナチが柔らかな笑顔をヤクモに向けた。
「そういうことならば……、いただきます」
一口すすって驚いた。適当な言葉が出てこない。ただただ、その美味さが体にすっと染み込んでいく。お茶の良し悪しなどヤクモには分からなかったが、記憶の中にある『お茶』とは全く別物だった。
「これは……今まで飲んだお茶の中でも最高ですっ!」
「それはようござんした」
にっこりと微笑むオモノナチが、愉快そうに笑った。
(馬のいななき、蹄の音)
不意にヤクモの耳を打つその音が、近づいて来るのを察知した。
「オモノナチさん、荷車を引く準備をっ!」
「え? あ、へ、へいっ!」
衣服の上から、獣の皮を品なく羽織った奴らがおよそ十騎、街道を走りこちらに向かって来る。遠目からでも、はみ出し者か賊の類だと知れた。そんな奴らが、運よく見つけた極上のエサを放置する理由がない。最初からこの休憩場所に絞って、狙っていた可能性さえある。
馬蹄の響きが目の前で止まった。先頭の大柄な男が、ニヤリとした表情をこちらに向ける。
「これはこれは……。俺たちゃツイてるな。お宝を盗りに行く途中に、こうやって他のお宝にも出会っちまうんだからよォッ!」
馬に跨る全員が、天を仰いでゲラゲラと笑った。
「さて、そこの二人。選べっ! 荷物を置いて命を拾うか、荷物を拾って命を落とすか、だっ!」
先頭の男を筆頭に馬から順々に降りてくると、全員が各々の得物を抜き払った。
(少しの躊躇いもない威嚇。この集団、追剥ぎに慣れているな)
ヤクモはおもむろに、胸の前で腕を組むと先頭の男の顔を見た。
「おい、お前たち! この甕の中身を知っての狼藉か?」
大声でそう言われ、不意を突かれたようにして、男は歩みを止めた。
「はあん? 中身など知ったことじゃあねえ。金になりゃいいんだからな」
「そうかそうか。ならばお前たち、死ぬ覚悟はあるな?」
賊の集団は、堪らないとばかりに一斉に笑い声を上げた。
「ひっ、ひ。お、お前が俺たちを殺すってことか? この人数差でか?」
「いや、違うな」
力を誇示した虚勢だと一笑に付した男は、ヤクモの返答を聞き、すっと真顔になった。
「じゃあ、何だってんだ? 何で死ぬ覚悟がいる? 誰が俺らを殺すって?」
「この甕の中身な……実は全て『毒』だ」
「テメエ……荷が惜しいばかりに嘘をつくなよっ!?」
別の男が進み出て、ヤクモの言葉に詰め寄った。
「いや、『毒』だ。それも王族や高貴な身分の人間を酔わすための『毒』だ。この意味が分かるか?」
「どういうこった……?」
全員の足が止まる。オモノナチはきょとんとした顔をヤクモに向けていた。
「これだけ重要な言葉が揃っているのに、何も気が付かないとはな。お前たち、早晩、全滅するぞ?」
「く、くっそ。ちょ、ちょっと待てっ!」
賊たちは輪になって集まると、何やら小声で話し出した。
「おい、誰かあいつの言うことが分かったか?」
「所詮、ハッタリでやしょ?」
「毒はまだしも、王族ってのが気になるねえ。それに高貴な身分……大臣たちかい?」
「そ、そうだ。きっと、そうだっ! じゃあ、毒ってのはそいつらをころ――」
「バカをお言いでないよっ! 国が割れちまうさねっ!」
「だけんど、実際、ここに毒があるどしで。それを盗んだらどうなんべ?」
「おめえ、それはだな……秘密を知ったとして俺たちゃ国に追われるかもな」
「王族や大臣クラスと言えば、軍隊が動くんでねえか?」
「ほ、捕縛使ならまだしも、軍隊とか勝ち目ねえべっ!」
「でもおかしくないかい? そんな大切なモノを二人だけで運ぶなんてさ?」
「そうだな……よしっ!」
話がまとまったのか、頭領らしき男が、ヤクモに向かって剣を突きつけた。
「お前の話が本当だとして、なぜそんなに大切なモノを二人だけで運んでいる?」
「それこそ、人目に晒したくないものを、大人数で運んでしまえば、それだけ目立ってしまうだろう?」
「あ、そっか……」
賊の一人が納得したとばかりに手を打った。その様子に、隣にいた女がその男の頭を叩いた。
「じゃあ、あんたたちはそれなりの腕利きってわけだ? 上の人間に信用されるほどの」
「その通りだ。何ならオレと立ち会ってみるか? こちらは武器を抜かない、そちらはどうぞご自由に。お前たちの中で一番強いのは誰だ?」
ヤクモは頭領風の男を見ながら、ワザとらしく言い放った。その目線に気が付いたのか、額に血管を浮かび上がらせて、顔を紅潮させた。
「ど、どうやらご指名みてえだな。いいだろう、やってやる! お前たち、手を出すんじゃねえぞっ!」
男の武器は、長方形で切っ先がない幅広の鉈のような刀だった。あの厚重ねの刀ならばちょっとやそっとのことで折れることはまずない。片手用としての重量の加減か、通常の刀より少しばかり短い。しかし、一見して分かる重量感から、少し触れただけで人の肉など簡単に裂いてしまいそうだった。
男がじりじりと間合いを詰めて来る。静まり返った雰囲気に、男の履いた毛沓が砂利を噛む音だけが響いている。
先に動いたのはヤクモの方だった。両手をだらんと下げたまま、男に向かって真っすぐに進んだ。その散歩でもしているかのような悠長さに、周囲は一瞬呆気に取られた。
「う、うらああっ!」
瞬間的に呼吸を盗まれた男は、目をぱちくりとさせると、我に返ったように刀を振り上げた。
ヤクモはその時を待ってましたとばかりに懐に飛び込んだ。振り上げられた右腕の肘をポンッと左手で弾く。自らの腕に体を持って行かれる形で、男の背筋は伸び切り、右足が浮いてバランスが崩れた。そこに、残された右腕で男の足を抱え込むようにして持ち上げ、男を背面へと押し倒した。
後頭部を強打した男は、そのまま意識を失った。残された仲間も、その早業に一体何が起こったのかと分からないまま呆然として立ち尽くした。ヤクモは、男の武器を拾い上げ大声で言った。
「この形状だと攻撃の選択に突きがなく、縦横に斬ることしか出来ない。どちらにしても予備動作としてタメが出来る。こんなこと、修練を積んだ者ならば、誰でも一目で見抜くぞ!」
敵の中で一番強い者を相手取り、短期決戦で圧倒的な力の差があるように思わせる。更には、会話の流れの中で国軍の存在を匂わせ、修練を積んだ者、つまり軍に所属している者たちならばこれぐらい簡単にしてのけると錯覚させる。それがヤクモの狙いだった。
「ひ、退くよ、皆っ! 誰かうちの旦那を担いでおいで! 手に余る厄介事は御免だよっ!」
「へ、ヘイッ! 姉さん」
二人の男がびくびくしながら近づいてきて、気絶したままの男を運ぼうとした。
「おい、お前たち。最初に『お宝を盗りに行く途中』と言っていたが、どこに行くつもりだ?」
「へ、ヘイッ! 何でもヤマツミの森には、とんでもないお宝があるって噂で、そこに……」
ヤクモの表情が一変した。その顔を見た男たちは驚愕の色を浮かべ、その場からそそくさと逃げるようにして立ち去った。去り際、姉さんと呼ばれた女が「余計なこと話すんじゃないよ」と口の軽い男の頭ををポカンッと殴った。
「九死に一生とは正しくこのこと。ヤクモさんのお蔭で命拾いしやした。感謝いたしやす」
見事な立ち回りだったと、オモノナチはヤクモへの感謝の意に添えて、感嘆の念を表した。
「私の師匠の言葉に『慣れは大胆さを生むが、それ以上に臆病にさせる』というのがありまして、なまじ経験値が高いがために、様々な可能性に思案するハメになる。そこに上手く引っ掛かってくれました」
ヤクモが謙遜したようにイズミの言葉を引用すると、オモノナチはその言葉に感銘を受けたようで「商売にも通じるものがありまやすな」とひとしきり考え込んだ。そして、甕の方を見ながら言葉を続けた。
「アッシとしてはこれからも、この甕の中身が人の心を酔わす毒になれるように励みたいと思いやす」
ヤクモはその決意に、言葉を作らず微笑むことで返した。
(さて、どうするか……)
怖れていたことが現実になった。急ぎ、ヤマツミの森に向かわねばならない。あの賊共ぐらいならば、あの森にとってどうということもないが、噂の広がり具合によっては大変なことになる。
ヤクモは、オモノナチに急用が出来たことを告げると、急いで支度をした。カノエの村で礼をさせてくれせがむオモノナチに、「さっきのお茶一杯でお釣りが出ます」と、丁重に断った。
迷走する頭を抱えながら、ヤクモは、再びヤマツミの森へ向かう。家族の無事を祈りながら。