八
「本部より通信、本作戦は想定以上の『荒喰』勢力増大により目標奪取を困難と見なした。よってこれ以上の作戦継続は不可能、現時刻を以て中止とする。チーム『猟犬』は即時帰還せよ。繰り返す、即時帰還せよ」
「チーム『猟犬』より通信――了解だ」
昨日の夜は久しぶりに美味い酒が飲めて、ご機嫌なままのピクニックだったのだ。それが、この胸くそ悪い教科書野郎のせいで台無しにされてしまった。
(滅多にお目にかかれねえ、百年物もの古酒だぜ? 反吐になったらどうしてくれる)
男は誰かに聞こえるように大きな舌打ちした。現在、行軍中の場所は平坦な山道だが、木は疎らにしか生えていない。相手の視界から逃れるための遮蔽物が期待できないため、身を隠すには都合が悪い。
――指揮官様はいつもこれだ。
「おい、アフガン。この地形どう思うよ? 戦闘向きか?」
「ああ? 地形なんて関係ねえ、出会った敵は潰すだけだ。だがまあ、ちょいと視界が広すぎるな」
全身筋肉のアフガンにさえ分かることが、学歴エリートどもには見えていない。奴らの目にはここがゲーム盤に写っているのだろう。駒さえ動かせば、後は"規則"が勝手にやってくれる。お役御免になったなら、お決まりのバスローブ姿でブレンデーでもすすってりゃいい。
(お気楽なもんだ)
男はもう一度大きく舌打ちをした。
「グレイ、次の仕事の内容、覚えているか?」
「ササイツナっていう荒喰神の退治だね。戦闘力が問われるから、この戦場で何もしなけりゃ――」
「値が下がるか?」
グレイはコクリと頷いた。晩餐会場にいる俺たちは、フルコースが無理ならオードブルくらいは食べないと退場することすらままならない。それが『礼儀』だ。
ここまでに視認した限りでは、周囲に約30体の荒喰。仲間からの報告を総合して分析すれば、正確には『愚霊』が19体、『物魔』が――8体。
経験的にこのチームなら十分に対処できる数だ。しかし、不確定要素が一つある。次のためのスパーリングにはもってこいだが、この雑魚の数に紛れられると厄介だ。
荒喰神。一体だけだが、奴さんの容姿が今までの情報と照合しても一致するものがない。未確認個体は性質・特性が分からないだけに危険な存在だ。腫れ物に触れてしっぺ返しをくらえば元も子もない。討伐すればそれなりの名声と金が手に入るが、成否を秤にかけるには判断材料が少なすぎた。
「二人とも、今通信が入った。周辺の荒食を掃討せよとの命令だ! 今日も派手に踊ろうかっ!」
仲間は二人同時に「待ってました!」と声を上げ、その顔からは不敵な笑みが漏れた。それぞれが歴戦の強者だけに、遅々として進まない作戦行動に不穏な匂いを嗅ぎとっているだろう。俺が命令を偽ったことにも気付いているはずだ。その上で狂気じみた顔で笑っていられるのだ。三人が三人とも。
男は仲間たちの姿から飢えた獣を想像し、自嘲気味に笑った。命令違反も敵を倒せば文句あるまい。俺たち傭兵に必要なのは、従順な木偶の振りではなく力の誇示なのだ。
「アフガン! 愚霊の掃討を頼む! グレイは俺と一緒に物魔の方を退治するぞ。正体不明の一体には触るな、様子を見る!」
「了解」
「雑魚掃除か。メインディッシュは食わせろよ、セッターッ!」
コードネームで呼び合うことが自然になって、いい加減本名を忘れそうになる。
アフガンは、自身の巨体に合わせて誂えた両刃の斧を振るう。その分厚い鉄の塊は、普通に考えれば100キロを超える代物だ。だが、あいつはそれを片手で軽々と振り回す。一般常識なんてものは、この世界には通用しない。『モノ』に霊が宿るなどファンタジーではよくあることだ。俺たちはその真っ只中にいる。
「相棒よ、遠慮はいらねえっ! 気の向くまま、欲するまま、傍若無人に破壊しろ!」
アフガンが言葉を発した途端、応えるように彼の斧が赤色に染まった。両刃斧の性質が破壊を司る火の属性に変化した証拠だ。それにしても、相変わらずあいつの文言には品がない。
アフガン一人に愚霊の掃討を任せたのは、結果として俺たちが邪魔になるからだ。周囲を気にしながらの戦いはあいつに向いていない。一人の方が思う存分に狂暴性を発揮できる。
(俺も軽薄さと軽快さにゃ自信があるが、敵と踊る時のあいつの陽気さには敵わんな)
愚霊は精霊に憑りつく前の浮遊霊、怨念の集合体だ。大体がヒト型だが、実態そのものが希薄で全身がぼんやりと発光している。しかも、互いがその光に誘われ群れる習性があるため一所に集まりやすい。何ともマヌケな話だ。
その愚霊の集団に、アフガンは突っ込んだ。振り回す斧が砂塵を巻き上げ、空気の渦を作り出す。見る見るうちに発光体が霧散し、その数が削られていく。斬るというよりも破壊している。もし、愚霊に生身の肉体があったなら、あそこに降り注ぐ血の雨で大きな溜まりが出来ただろう。アフガンの付霊文言が持続する時間は約3分。付霊効果は上書きができないため柔軟性に欠けるが、あの様子なら殲滅に3分も掛かるまい。
「アフガンばかり目立たすわけにゃいかんぜ。なあグレイ?」
隣のグレイに目で合図を送る。彼女はこくんと頷き、腰の後ろに提げてある二本の小太刀を抜き抜いた。二つの鞘を走る金属音が共鳴し、周囲の空気を凍てつかせる。
(この音、この音。いつ聞いても痺れるねえ)
「弐虎退よ、その顎で眼前の獲物を噛み砕け」
赤く光る刀が二本の線を宙に描き、グレイが狼型の物魔に飛び掛かった。物魔は、生物に愚霊が憑りつき生まれる荒喰だ。愚霊の憑依は対象の生死を問わない。そこから物魔は憑いた体の容量限界まで愚霊を喰い、個体毎のサイズや身体能力を飛躍的に増大させる。
その大きさから愚霊数体は喰らっているであろう物魔を、彼女はいとも容易く葬った。狼型モノマは、自身の上空から両の太刀を同時に浴び、それぞれ逆の方向から首と胴を両断された。
「さあ、次だ……」
グレイが冷たく言い放つ。両手に持つ小太刀が鮮烈な血を滴らせている。
彼女の二刀には名前がある。『弐虎退』という。以前に虎の荒喰を討伐した後、その魂が二つに分かれて憑依し、雌雄一対の刀となった。先ほど物魔を斬った時、刀に宿る霊が具現化したのか虎の牙が左右から獲物を噛み千切ったように見えた。『モノ』の名前の有無は言霊の力を大きく左右する。アフガンに比べ攻撃可能範囲は劣るものの、その単体攻撃能力は彼を遥かに凌ぐだろう。
「我が槍よ、遊びを知らない野暮なお客は鼻をへし折り尻を蹴れっ!」
他3匹の狼型物魔が、その口を首の辺りまでぱっくりと広げ、牙と死臭を剥き出しに背後からグレイに襲いかかった。その動きを読んでいたセッターが、緑に光る槍を手にその間に割って入る。
3匹はキャンッという犬のような泣き声を上げ、槍を直径とした白色の円盾に弾かれた。その機に合わせて、グレイが滑るような歩法で倒れ込んだ3匹へ距離を詰め、瞬く間に斬り伏せた。
セッターが盾となり、他の二人が矛となる。実戦の中で磨いた『猟犬』が誇る連携だった。
他の物魔4体は人型だが、姿が餓鬼化しており、その攻撃力は侮れないものの動きが鈍い。この布陣なら問題の起きようがない。あちらも静かになってきている。
(アフガンも残り一体か。時間の問題だな)
すぐに目線を前方の敵へと戻す。セッターが戦術的勝利を確信した将にその時、想いも寄らぬ悲鳴が耳を打った。勝ち誇った雄叫びを上げるはずだった、アフガンの声だ。
「な、なんだっ、いつの間にっ!? が、がぁぁぁっ!」
彼の体が四散した。肉、骨、臓物、血、ありとあらゆるものを空中にばら撒き、同時に空から降る雨が、周辺の草花を赤く濡らした。
それを見たグレイは、口を抑えたと見るや地べたに座り込み、胃の中の全てのものを、鼻先へとぶちまけた。
ヤオロズに来てから約2年。チームを組んで一年半。この世界で稼いだ金は優に数億を超える。チーム「猟犬」と言えば、両世界を股に掛ける傭兵チームとしてそれなりの知名度を持つはずだ。そのメンバーが、あのタフガイのアフガンが、こうもあっさりと死ぬなんて。
「くそっ、くそおぉぉ……。よくもぉぉおっ! 殺すっ!」
呆然と立ち尽くすセッターの横で、グレイが気を吐いていた。アフガンとグレイは恋人同士だった。目の前で恋人を無残に殺されたのだ。予期せぬ凄惨な光景が、一次的に彼女の体を奪いはしたものの、今は奴に対する憎しみが全身に溢れている。
彼女の戦闘続行に支障はなさそうだ。その様子にセッターは安堵し、自身にも喝を入れた。気を取り直した将にその時、周辺にバリボリと骨を噛み砕き、クチャクチャと血を啜る音が不気味に響いた。
仇を討つという意気を込めて視線は、目の前で展開される異様な光景に気圧された。奴が食っているものはアフガンのそれではない、残り4体のモノマだった。
荒喰の食物連鎖は、その階層構造に従う。それは情報として知っていたが、初めて目にする共食いのような光景は、想像を超えるおぞましさを放っていた。
そして、その一瞬を、目の前の奴は見逃さなかった。硬直した二人に向かって、光りに輝く錦の鱗が空気を裂いて肉迫した。標的はグレイの体だ。セッターは歴戦の猛者らしく居付きを解いて動いてみせた。
「させるかっ!」
言霊の効果は切れていない。少々の間を失ったとはいえ、彼女の前に構えるには十分な時間がある。狙い違わず、奴の攻撃が白い盾に接触した。その刹那、盛大な火花と共に、乾いた金属音が辺り一面に反響した。畜生、耳をやられた。鼓膜に鋭い痛みが走る。
(何だこれは。まるで鉄、いやそれ以上の……)
靴が地面にめり込み、鉄製の槍の柄が甲高い悲鳴を上げている。硬度が生き物のそれではない。もし、言霊によって強化していなければ、その衝撃に槍はへし折られ、串刺しにされていただろう。何とかその進攻を止めたものの、あまりの圧力に背筋が凍った。
「許さない、許さない……。殺す、殺す、絶対にぃ……殺すっ!」
背後から、地面を抉る音がした。彼女が奴に向かって物凄い速度で駆けた。武器の強化は、そのまま身体にも影響を及ぼす。こちらに伸ばしきった尾は、反応できていない。言わば、攻撃後の「死に体」の状態だ。
奴の体は上半身が人型のようになっており、下半身が蛇のそれだが、その両手には何も持っていない。つまりは彼女の斬撃を防ぐ手段がない。鱗の硬度には驚いたが、あの上半身はどう見ても生身のそれだ。それに彼女の攻撃力なら鉄すら容易に切り裂く。
(よし、殺った!)
セッターは確信した。俺たちの勝ちだと。奴の首筋と空いた胴に向かって、彼女が振るう二つの刀がゆっくりと接近する。奴の体は反応できていない。言霊のせいか、その一連の動きがスローモーションで再生された。
数瞬後には、無様に両断された奴の死体が地面に転がる――はずだった。
「もう一本だとっ!?」
奴の形状から全く想定していなかった。彼女の渾身の刃が奴の体に届いたかに見えたその時、隠れていたもう一本の尾が突然出現し彼女の体を大きく弾き飛ばした。何とか二刀を交差させ体への直撃は防いだものの、着地と同時に刀の光が消えた。火の付霊をしていても、やはり受けるだけでは斬れない硬度か。
「くそっ! 二虎退よ、其の寧猛な爪と足で、奴に影を踏ませ――」
「無茶だグレイ! 逃げろっ!」
隠密機動は彼女の得意技だ。ただ、平常心を保てていなかった。明らかな敵の攻撃距離で無理な詠唱に入る愚を、いつもの彼女なら犯すはずがない。二本目の尾を見て、正攻法ではなく撹乱しながら隙を突く作戦に切り替えたのだろうが、先ずは間合いを外すべきだった。
(やはり、アフガンの死が尾を引いているのか)
「離せっ! 離せえぇっ!」
グレイが悲痛な叫びを上げた。荒喰神はこちらの最悪の想定をそのままに実行した。彼女が言霊の詠唱を終える前にその足を捕らえたのだ。足を掴んだ尾が、腿、腰、胸、首、と舐めまわす様に這い上り、顔だけを残して彼女の体を覆った。
万力で挟まれた肉の悲鳴、その肉が内へと食い込み骨を押す音、そして痛みに歪む彼女の顔が、容赦なく突きつけられた。アフガンに続いて、グレイまで。
その差し迫った状況が、セッターから持ち前の分析力と冷静な判断力を奪い、己の戦い方をも忘れさせた。グレイを助けるためにとしゃにむに地面を蹴り、距離を詰めて行く。
セッターの目が槍の間合いを捉えた瞬間、足元からの強烈な圧力がその動きを止めた。
「どこから湧いて出たっ!?」
右足に巨大な蛇の尻尾が絡みついている。信じられないことだった。彼女の状態に気を取られていたとはいえ、先ほど受け止めた尾は、必ず視界の隅に置いていた。ならばこれは――
「三本目かっ!? ぐ、ぐああぁっ!」
尾の握撃によって右足を潰された。凄まじい激痛に右足へと全ての意識が持って行かれる。その攻撃と呼応して、もう一本の尾が再び行動を開始し、首に向かって一直線に伸びてくる。
そのうねりを槍で避けようと、持ち上げる手に力を込めるが、時既に遅かった。硬く冷たいそれが皮膚を這い、とぐろを巻くように顔の方へと登って来る。いつの間にか日の光が消え、月明かり一つない暗闇に変わった。
「キャアァァァッ!」
「ぬあぁぁぁっ!」
熟れた果実がゆらゆらと、中身をぶちまけ地に落ちた。