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卵の中の神語り  作者: だいふべん
八雲立つ
5/9

 気合いのこもった元気な声と、きらりと光って舞い散る汗が少年のひたむきな姿を彩っている。


《えいっ! やぁっ!》  


 アシタが全身を汗だくにして、ヤクモが作った木刀を一心不乱に振っていた。その隣でマヒメも負けじばかりに、父親からもらった小弓を力任せに引き絞る。放たれた矢は風を切り、木にぶら下がった的を目掛けて一直線に飛んで行った。しかし、マヒメの期待を背負った矢は、自然の意思には勝てぬとばかりにお辞儀をしながらぽとりと落ちた。


 アシタは素振りを止めて一息付くと、顔に溜まった汗の滴を勢いよく右腕で払った。そして、マヒメが放った矢を拾いに行くと、的とマヒメを交互に見た。


「すごいよマヒメ! 何でこんなに真っ直ぐ飛ぶんだ?」

「的に当たらないと意味ないのよ! おバカ!」

アシタが目を輝かせて大きな声を上げた。マヒメはうっすら顔を上気させ、躍起になって言い返す。


 アシタは弓術の方がからっきしだ。弓の訓練で、前に落ちればまだ良い方で、弦を矢に引っ掛かけて後ろに飛ばしたこともある。的に向かって矢が飛んだ試しがない。彼にとって自分に出来ないことをする人は全て尊敬すべき対象なのだ。それが同い年の少女であっても変わりはない。根が正直で表裏のない、とても素直な子供だとヤクモは感じていた。


 マヒメは矢が的まで飛ばなかったことが悔しかったらしく、自分の腕をきゅっと睨み付けているところだった。そこに真っ白で純粋なアシタの賛辞をもらっても、複雑な気持ちだったろう。憎まれ口はマヒメ流の照れ隠しで、褒められたことは満更でもないと顔が物語っていた。


《ヤクモ兄ちゃん、オレね……、ヤクモ兄ちゃんやヒシタ兄ちゃんみたいに強くなって、いつか、この村のみんなを守れるぐらいの漢になるんだ!》


 頭の中のアシタが、照れくさそうな笑顔と強い眼差しを、こちらに向けてそう言った。



「子供たちが襲われるだなんて……」


 明るく元気だった村は、突然の悪夢に騒然となった。村の大通りには怒りと悲しみの言葉が溢れ、村全体に負の感情が満ち充ちている。と同時に、村の誰もが顔ににじみ出る困惑と憂慮の色を隠せないでいた。


「子供たちの様子は知らされてねえが、犯人は捕まったそうだ。身元はまだ分かんねんだと。うちのじっちゃは噂の『アレマシビト』じゃねえかと言ってたべ。それにしても、祭りを控えたこのでえじなみそぎの時期に、人の血が流れるなんてな」

「んだな。今年の宿霊祭はどうなってしまうだが……」


 男たちはそう言って縁起でもないと眉をひそめた。古くからの仕来たりで、宿霊祭の前三日間はみそぎが義務付けられ、この土地に神霊を迎えるにあたって十分な清めを行い備えることになっていた。


「人の血で神前を穢すなど、神様のお怒りをかうんでねえか……」


 年配の女が、腕の中で赤ん坊をあやしながら、曇った顔で空を見上げた。

 

 オチハの村は、イマル国内に於いても『豊かな天恵を有し、生気に満ちている場所』と評される。北側に長閑のどかなオンド海、東方にはシャクケン山脈に連なる山々がそびえ、西を歩けばカンゲムイ海を終点とする肥沃なノマ平原が広がっていた。そして、南の道を行くと王都ニニヨが出迎えるのだ。国にとって農産業の面で重要な拠点ではある上に、他の島々との交易においてもイマル国最大海事都市カサヌツに次ぐ要所として知られている。にも関わらず、フタナ島三国の安定と、他の島との平和協定から長らく戦乱とは縁遠い土地だった――


「――んだよ、今まではな。それが、フタナの中央、シャクケン山脈の麓にアレマシビトたちの国シコクができてしまったがために、王都ニニヨは剥き出しの牙を突きつけられている。この村も今までのように無関係じゃいられないって寸法さ」

頭に朱色の頭巾を被った行商人の男が、大仰な身振り手振りで調子をつけて、集まった群衆に向かい得意な顔で話しをしていた。


「それじゃあ、今回の事件もそれが関係しているってことかい?」

もりっとしたあご髭を蓄えた男が、眉間にしわを寄せながら質問する。


「そうさな……。ただの金銭目当てのかどわかしかも知れないが、犯人たちがアレマシビトならその可能性はあるかもな。行商するにも安全面を考えれば平和に越したことはないが、戦時の方が物は高く売れるんだよな。おっと、これは失言だった」

誤魔化すように笑い声を上げ、行商人はその場から立ち去った。


 後に残った人々は、心に芽生えた不安のタネを吐き出さないと堪らないとばかりに、先ほどまでに聞いた話を何度も何度も繰り返した。答えのない議論に身をやつし、不毛と杞憂をすり替えて少しばかりの安心を得ること、それが平和な世界に生まれたニンゲンの務めだ。

 桃花源の終わりが近づいてくる、小さく儚い足音を村の誰もが耳にした。



 村外れに大きな一軒家がある。ヤクモは蹴破るほどの勢いで、その家に駆け込んだ。


「お邪魔します! ナビコさん!」

「な、なんじゃ無作法な! ――ヤクモか、これは一体何事じゃ?」


 驚いた家の住人が、あけすけな来訪に抗議するも忘我の耳には届いておらず、ヤクモは目の前の女性にずいっと迫って、道中にまとめた言葉で要件だけを手短に伝えた。ナビコと呼ばれた女性は詳細を聞こうともせず「ふむ」とだけ頷くと、様々な小物が置かれた戸棚から緑色の液体が入った小瓶を手に取り、ヤクモに渡した。

 それを手にしたヤクモは少しだけ目をゆるめた。そして、かすれた声で「お願いします」と言い残し、再びナビコの家を飛び出した。

 ナビコはヤクモが去った後、手慣れた動作で家具を動かし、人を迎える準備を始めた。


 ヤクモが戻ると、弟の傷口を必死で押さえ呼びかけ続けるヒシタと共に、ぼろをまとい、小袋を背負った旅人風の男が、幼い子供たちをあやしていた。アシタの隣には目を覚ましたマヒメの姿もある。二人組の男は、荒縄で木の柱に縛り付けられていた。最初は男の存在を不審に思ったが、その男がかいがいしく子供たちの世話をしていることと、犯人を縛った張本人であろうこと、何より、近づいてくる村人たちの声が聞こえたことで、警戒心を解いた。ヤクモは自分のすべき作業へと脇目も振らずに動いた。


「ヒシタ! アシタをナビコさんの所へ連れて行く! 手伝ってくれっ!」

 

 先ずアシタの方に駆け寄ると、腰に提げた袋から譲り受けた小瓶を取り出し、その中の液体をアシタの傷口に塗った、そして、おもむろに近くにあった廃屋へ走り寄り、力任せに戸板を外した。

 ヒシタはヤクモの動きを見ながらも、焦燥から足が迷い、一歩も動けないでいた。そこに「運ぶぞ!」と一言、ヤクモから喝とも言える大声が飛んできた。やるべきことが決まったヒシタは、ぬっと立ち上がり、二人でアシタの体を丁寧に持ち上げその戸板に乗せた。


 その間も、マヒメはアシタの体にすがりつき、何度もアシタの名前を呼びながら泣きじゃくっていた。二人は駆け付けた村人に後のことを託し、旅人風の男に礼を言うと、アシタが乗った戸板を担いで村外れへと向かった。


「薬で血は止まっているがの、如何せん、ここに来るまでに大量のを流し過ぎたわ。この坊の精気は今もヨモツノカミ(死の神)に奪われ続けておる。今日と明日が峠というところかのう……」

ナビコと呼ばれた女性は、アシタの傷口を診ながら、神妙な顔つきでそう言った。


 風貌からすれば、ヤクモより少し上ぐらいの歳に見えるが、老成した声と話し方、何よりも内面から発する風格によってそれが偽りであることを示している。実際、この界隈に並ぶ者のいない精霊師(ヒトと霊との調停者であり、霊薬の精製者)で、イズミの古くからの友人でもあり、村の人々には様付けで呼ばれ、神巫女のイズミと並び敬われる存在だった。


「ナビコ様! どうにか……どうにか治す手立てはございませんか!?」

ヒシタが両眼を潤まわせながら、ナビコに詰め寄った。


「そう言ってものう、ワシにできるのは精製した薬で体の外部を癒すことだけじゃ。精霊師はあくまで調停者。心中の荒れた霊を鎮めることはできても、失われた霊まで取り戻すことはできぬよ」

ナビコの顔つきは変わらない。難しそうに腕組みをしながら、アシタの体を眺めていた。


 重苦しい刻が流れる。全員が下を向き、方法を求めて頭の中で戦っていた。不意にその静寂を割き、ナビコがヤクモの方を険しい目で見つめ、口を開いた。

「方法がないわけでもないな……、なあ、ヤクモよ」


 ヤクモはハッとした顔をして、ナビコの目を見た。そしてすぐに、苦しそうなアシタの顔へ逃げるように視線を移した。頭の隅にはあったことだ。だが、それを口に出せば、大切な人たちや、他の大勢の人々を巻き込む怖れがある。イズミとの約束事もある。頭の中を交錯する想いが駆けめぐり、心の臓を鷲掴みにした。

 ヒシタはそんなヤクモの様子に訳が分からず、もどかしさを語気に込めた。


「ヤクモさん! 救える方法があるならなぜ悩むんですか! 早く、早くアシタを!」


 押し黙ったまま膝を押さえ、ヤクモは動かない。その手がわなわなと小刻みに震えていた。噛んだ唇から血が滴っていくのがヒシタの目にも見えた。


「ヤ、ヤクモさん……?」

「ヤクモや、お主も知っての通り、ワシもイズミたちとは根が深い。事情が事情だけにお主の気持ちはよう分かるが、この坊の容体は急を要する。今、助けられる命を前に、後に起こるであろう災いを秤にかけても、詮無きことじゃと思うがな」


 ヤクモはその言葉を聞き、ゆっくりと顔を上げた。その顔は苦いものから解き放たれたように涼やかだった。そして、目には強い決意の色があった。


「そうですね。ありがとうございますナビコさん。己の手が小さすぎて、どこに手を伸ばせば良いのかとついつい迷ってしまいました」

頭を掻きながら、失敗したとばかりに言葉を続けた。


「張れる体で懸命に……守リ抜けば良いだけですよね。アシタの命も、そして――」

そこまで言うと、ヤクモは口を固くつぐんだ。その後、一瞬の間を置いて、ヒシタの顔を見た。


「ヒシタ、これからアシタをヤマツミの社に運ぶ。手伝ってくれ」

「お社に……?」


 言うやいなや、ヤクモは立ち上がると、ナビコに向けて深々と礼をした。


「まあ、己以外のことで悩める男に育っておって安心したわい。イズミほど、他人を巻き込むことが上手な奴を他に知らんからの。それに、そんな形にならんものは要らんぞ。祭りの神酒が余るじゃろう? それを一甕ほど、イズミに寄越せと言っておいてくれ。それで今回のことは貸し借り無しじゃ」

にたりと笑い、少しばかり意地の悪い顔になって、ナビコは言った。


「必ず伝えます――」

そう言うと、ヤクモはふと悲しげ色を目に宿した。アシタの治療中、事の顛末てんまつ詳しく聞いたことで、ヤクモの置かれている状況をナビコは理解している。その目は、ナビコの言葉の真意を汲み取ったものだった。


 二人の若者は家を出る前にもう一度、深々と頭を下げた。ヒシタの顔は、家に来た時よりも遥かに希望の色がみなぎり、明るいものだった。二人の姿を戸外まで出て見送ると、小さな声でナビコは呟いた。


「はてさて、ワシも心を決めねばのう……」


 家の周囲の水田には、水鳥たちが群れをなしていた。その中に家族と思しきカモの一団がいる。親ガモの後ろに続く子ガモたち。ナビコはその光景を何とも懐かしそうな目で見つめた。



「キャアアーッ! クマーッ!」


 絹を裂くような悲鳴。ハナノの声だ。イズミは鎚を打つ手を止めると、それを手に持ったまま一目散に鍛冶場を飛び出した。


(熊だと……久しく見なんだが、霊に誘われ迷い出てきたか)

ククノチが側にいるはずだ。戦うことは出来ぬでも、ククノチの相手を撹乱する術にはイズミでさえ舌を巻くことがある。大丈夫だろうと思いつつも気が急いた。


「ごめんなさいぃーっ!」

 現場に駆けつける一歩手前というところで、突然、その素っ頓狂な声が響いて来た。イズミの足は見事に拍子取られて、もつれるようにして顔からザザザッと地面に飛び込んだ。


「イ、イズミさむあああっ!」

今度はククノチが叫んだ。忙しない羽音が近付いてくる。顔を上げると、前方には大きな熊に平謝りしているハナノの姿があり、顔の横にはククノチの心配そうな目があった。

 イズミがこけたままの姿勢で「あれは何だ」と抗議の顔をすると、ククノチは呆れたと言った顔で両手を広げ、顔を左右に振った。一人と一匹は申し合わせたように大きなため息をついた。

 熊の正体は、オチハ村の長、タジナその人だったのだ。


「昨日の今日で、村長自らまたお出ましとは……。武器の話ならば、私の裁定は変わらぬぞ?」

イズミは目の前に座る大男に、つっけんどんにそう言うと、扇子を持つ左手で顔の辺りをパタパタと扇いだ。みっともない姿を見せた照れ隠しもあり、ついつい言動が大仰になった。


「本当にすみませんでしたっ!」

ハナノが三つ指を立て、顔を恥かしさでいっぱいにしながら頭を下げた。


「いえいえ、突然の来訪に驚かれたのは無理もありませぬ。ワシはこの通りの体ゆえ、熊に見間違われることは慣れておりますよ」

タジナはハナノの謝罪を豪快に笑いながら受けると、不意に真剣な顔つきに戻った。

「先日の件ではございませぬ。今日はお詫びとご報告に参りました」


「詫びじゃと?」

イズミが怪訝な顔をする。ハナノもタジナの芯に迫った顔を見て、思わず息を飲んだ。


「はい、ヤクモ殿が我が村の子供のために……人をあやめました。二人組の男が子供たちを誘拐しようとしたらしく、ヤクモ殿はそれを阻止しようとしたようです。子供の中にも怪我人がいたそうですがまだ確認が取れておりませぬ。男たちの一人は右腕を斬られ、もう一人は気絶して倒れておりました。捕縛後に出来る限りの処置をしたのですが、腕を斬られた方の男が、その甲斐なく――」


 ハナノとククノチが、信じられないとばかりに無言のまま目を点にした。イズミの顔には、すうっと汗が流れた。動揺する心中を、頭の糸から離れた体が表現することを止めず、現実だと突きつける。初夏の暑さは厳しく冷たく、時に残酷だった。


「兄さんは……兄さんは今どこですか?」

何とか気を取り戻したハナノが、おぼろげな視界のままにタジナに問うた。


「申し訳ありません。報を聞き、急いでこちらに参ったがゆえ、今どこにおられるかは……」

ハナノの言葉に答えられず、目を伏せながら大きな体をクの字に折った。


「ヤクモが、あのヤクモが……」

イズミは放心したままの状態で、何度もヤクモの名前を呟いた。目前の床に右手をつき、呼吸をすることさえも忘れているかのような、蒼白な顔をしている。


 宿霊祭まで今日を入れて後二日。イズミからすれば想像したくもなかった悪い予感が、熨斗のしを着けたように最悪の形になって的中してしまったのだ。ヤクモに渡したあの刀は特別だった。それはヤクモもよく分かっているはずだ。現に、山と社の聖域に侵入しようとした不届き者たち相手には、見事に使いこなして見せた。

(腕を斬ったということは……、つまりはそう言うことだ。何があったヤクモよ)


 ククノチはイズミとハナノを交互に見やり、この場からいっそ逃げ出したい気持ちに駆られたが、そうも出来ぬままに考えることを放棄した。そして、今ここで悩んでも仕方のないことは、ヤクモの顔を見てから考えようと勝手に心に決めたのだった。

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