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卵の中の神語り  作者: だいふべん
八雲立つ
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「マヒメたちを離せよ! このヤロウッ!」

アシタは、男の左足を目掛けて飛びついた。男の右手には気絶したマヒメが、左手には泣き叫ぶタキリが抱えられている。マヒメの鼻から流れる血が、地面にポタポタと落ちていた。


『おじさんたちは近くの村の者なんだけど、祭りの準備を見学しに来たんだ。少しだけ村を案内してくれないかな? 大人の人たちは忙しそうだから頼めそうにないんだよ。お礼に後で甘いものを上げるよ』


 にっこりと優しそうな笑顔を作り、二人の男がアシタとミルタに話しかけてきた。そこに、ガンタが大切にしている宝箱にガンタの嫌いなハネムシをこれでもかと仕込み入れ、意気揚々となったマヒメが妹二人を引き連れて得意気な顔でやってきた。


「どうしたの? アシタ」

上機嫌のマヒメは、今にも踊り出しそうな口調だった。先ほど男たちに言われた言葉をそのままマヒメに話すと、そんなことかと事もなげに言った。


「少しくらい良いんじゃない? 『村の外の人間には親切するものだ』って、お父ちゃんも言ってたし」

「おお! お嬢ちゃんのお父さんは立派な人だな!」


大好きな父親のことを褒められて、マヒメの顔が無花果いちじくみたいに上気した。こうも舞い上がってしまったら、アシタがどんなに止めようと、一人で突っ走ってしまう。いつものことだ。


「何でも教えるよ! 任せておいて!」

マヒメはどんと胸を叩き、背伸びをしながらそう言った。


「んじゃあ早速、さっき気になったものがあったんだけど、向うにあるんだ。移動していいかい?」

「良いよ! ちゃちゃっと行っちゃおう!」


「おい、マヒメ。待ってくれよ」

慌ててミルタの手を取って、小躍りしながら早足で歩くマヒメの後を追って行った。タキリとタツヒも嬉しそうにはしゃぎながら姉の後を追っかける。アシタはマヒメから目を離さないようにするのが精いっぱいで、他のことを忘れてしまった。


(あの時、ヤクモ兄ちゃんに連絡しとけば……)


「邪魔だ、くそガキが! うっとうしいんだよっ!」

男は左足を後ろに引いた反動で、大きく前へと振り上げた。必死にしがみついていたはずのアシタは、その勢いに負けるかたちで男の足から強制的に飛ばされた。小さな体が宙を舞い、堅い地面へ投げ出される。背中を強く打ちつけて、短いうめきが口から漏れた。倒れ込んだ側に、伝心用の紙があった。それがまっ黒に焦げてぼろぼろになっている。紙切れに向かって助けを叫んでいることを不審に思った男たちは、全員からそれを取り上げて"小さな火を吹くモノ"で燃やしてしまったのだ。


「おい、それぐらいにしておけよ。傷物にすると値が下がる」

もう一人の無精ひげをした中年の男が若い仲間に向けてそう言うと、壁を背にしてすすり泣くタツヒとミルタに近寄った。怯えた目をする二人の子供に、男は躊躇ためらいながらも手を伸ばした。


(全く落ちぶれたもんだ……。こんな仕事をするなんてな)


 どんなに嘆いても現状は変わらない。それは自分が一番よく知っている。ここに来てはや二年。うだつの上がらぬまま日銭を稼ぐ生活に、どっぷりと浸かって抜け出せなくなった。命を懸ける度胸もなく、才覚もない、世渡りも下手とあってはいよいよもって救いがない。他人のために尽くす職を誇りに思い、悪戦苦闘していた日々が懐かしい。


「そうは言ってもこのガキどうすんだ? 俺たちだけじゃ四人しか運べねえぞ? 生かしておいても後々面倒になりそうだし、このガキは殺して行くか?」


 若い方の男が冷やかな目をしてそう言った。口元には笑みさえ浮かんでいる。アシタは男の顔を見て、金縛りにあったように動けなくなった。遠慮のない死霊の手が喉元に触れているようで、体の芯から震えがくるのを抑えきれない。本当の恐怖というものを初めて知った。


「止めておけ、どんな場所だろうが子供を殺すと寝覚めが悪い。ふんじばってどこかに隠しておけば逃げる時間は十分に稼げるさ」

「あんたは甘いんだよ。相手が誰であろうと禍根を残さずが仕事の鉄則さ。任務は完璧にこなさねえとな。それに所詮しょせんこんなもの遊びだぜ? もっと楽しんでいこうや」


 若い男の顔が狂気に歪んでいく。眼が血走り、どこか遠くを見ているように思えた。男はマヒメとタキリを地面に置くと、腰に差していたナイフを抜いた。白刃が陽光を受けてぎらりと光った。


「さて、耳を削ぐか、目を抉るか……子供の悲鳴は虫唾が走るし、喉を斬って終わりにするか」


 男はかがんだ体勢で、アシタにゆっくりと近づいてきた。目に映るナイフが、段々とその大きさを増していく。背筋はどんどん冷たくなるのに、下腹部は妙に温かい。正面にある太陽のせいで、アシタ目には逆光となって、男の姿をはっきりと見せない。白い刃だけが鏡のように鈍い光を出しながら、顎の下まで迫って来ると、そこに映り込んだ自分の顔から目を離すことができなくなった。

 

 アシタの目から突然、陽の光がなくなった。顔の前を影が覆い、刃の姿も見失った。少し顔を上げてみると、男の体は爛々(らんらん)と光る両眼だけを残して、真っ黒になっていた。

(あれ、空もない――)


 次の瞬間、光りがパッと拡散し、目の前の空気が弾けたかと思うと、モノが壊れる大きな音がアシタの鼓膜をしたたかに打った。少しばかり遅れて、空から木片がぱらぱらと降ってきて顔の表面を叩く。

 我に返ったアシタが見たのは、頭を押さえてうずくまっている男と、その背後に屹立きつりつしているマヒメの姿だった。その足元には原型を留めることなく半分に割れた、木箱のフタが転がっていた。


「ざまあみろっ! ウソつき大人!」

興奮したマヒメは、はらの底から叫びを上げた。気絶状態から目が覚めたマヒメが、近くにあった木箱からフタだけを取り、自分の体ほどもあるそれを、天高く振りかぶって男の頭上へと落としたのだ。


 その様子に、無精ひげの男は少なからず安堵した。子供が無残に殺される場面を観ずに済んだ。少女の動きには気が付いていたが、止める気にはならなかった。だが、仕事は仕事としてやり遂げなければならない。それに、昏倒しているあいつのダメージが回復する前に片を付けなければ、今度こそ子供たちは殺されてしまうだろう。


「お前たち、この二人がどうなってもいいのか? 状況が理解できたなら大人しくする方が賢明だぞ」

脇に抱えている子供二人は、泣き疲れたのかぐったりとしている。木を隠すには森が一番とはよく言ったもので、往来の死角を選んだとはいえ、これだけの騒ぎに人が来ないのは不幸中の幸いだった。


「馬鹿じゃないなら無駄な抵抗は止めてそこに座れ。言うことを聞かな――」

言葉の途中で恐ろしいことが起こった。ザッという音がした瞬間、足元を支えていたはずの地面がおもむろにせり上がり、顔を目掛けて迫ってきたのだ。無造作に大地と激突する、その衝撃に耐えられるわけもなく、意識がそこでぷつんと途絶えた。


「ヤクモの兄ちゃん!」

「ヤ、ヤクモ兄ちゃぁぁんっ」


「もう大丈夫だ! よく……よく無事でいてくれた!」


 ヤクモが皆を見つけた時、ちょうどマヒメが大きな板を何かに向けて振り下ろしたところだった。そこから少し離れて立っている男が、タツヒとミルタを抱えていることから、人攫さらいの類だと推測した。マヒメの叫びで確信し、気付かれぬよう遮蔽物を利用しながら男の後ろに回り込んだ。

 意識の外から来る攻撃に、ニンゲンはどうしようもなくもろい。ヤクモ自身、イズミとの稽古によって何度も味わった感覚でもある。気配を消して男の背後に忍び寄ると、間合いを測って一気に側面へと回り込み、その踏み込みと同時に、男の顎先を目掛けて掌打を放った。

 目標の無力化には成功したが、男の体が崩れ落ちる前に、その手に抱えた二人の子供を落とさぬように奪い返すことの方が遥かに気を遣った。


 子供たちもヤクモの姿を確認したことで、安心してしまったのだろう。緊張が緩んだと同時に涙腺も緩み、みんなが一斉に洪水のような涙を流し、胸の中に溜まった怖さを吐き出すように思いっきり泣いた。

 マヒメとアシタが、妹たちよりも大声を上げて泣いている。


(よほど怖かったんだな……ごめんな、みんな)

何があったのかは分からないが、マヒメとアシタの近くで倒れている男は、手にナイフを持っていた。先ほど倒した男も、後の腰に短刀のようなものを差していた。子供ながらに命を脅かすほどの恐怖と対峙した、それは明白だった。


 とにかく、両手が不自由なままでは、不測の事態に対応できない。抱えている二人の幼子をどこかに降ろそうと、男たちから離れた安全そうな場所へと移動した。土の上にそっと二人を降ろすと鼻水と涙でくしゃくしゃになっている顔を、片袖ずつ使って拭ってやった。その行動のために、わずかな衣擦きぬずれれの音を聞き逃してしまった。


 ヤクモが振り向くと、マヒメが倒した男が、頭から流れる血で顔を真っ赤に染めながら、屍鬼シキのように力ない動作でゆらりと立ち上がった。眼が泳ぎ、焦点が定まっていない。そして、その手に握られているモノが、過去の記憶で見たモノとまごうことなく重なった。男が眼をいて吠えた。


「て……テメエらぁぁっ!ぶっコロしてやるぁぁあっ!」


(なぜ拳銃を持っているんだ!?)

 信じられないモノを見た。服装からすれば、この世界の人間。しかしその手に持つモノは、記憶によれば過去の世界のものだ。正確にはこの世界とは別の、どこか遠くにあるはずの異世界。思いもしない衝撃が頭を襲い、次の取るべき行動を一瞬だけ遅らせた。


「お、おめえがぁ、おめえが俺の頭を殴ったんだよなあ……あぁあん?」


(間に合ってくれ!)

 銃口がマヒメに向けられている。拳銃のぶれが収まった瞬間、引き金に掛けられた指が一切の躊躇ちゅうちょなく動いた。パンッと空気を破る音が周囲に響き、赤い鮮血が宙を舞う。ヤクモが伸ばした手は虚空を泳ぎ、飛散した血の一部が頬をピリと打った。左側の視界に真紅の帳が降りていく。


 マヒメは仰向けになって倒れていた。そして、その上に覆い被さるようにしてアシタの体があった。地面にできた血溜まりが少しずつ拡がっていく。ここからではどちらが撃たれたのか確認できなかった。幼い子供たちは悲鳴を上げ、耳を押さえてうずくまった。


「ハ……ハハ、ハハハァッ! 次、次はお前だあァっ!」


 ヤクモの目が色を失い深い底へと沈んでいく。途端、周囲の空気が対流を止めた。男は全身がざわりと粟立ち、体が急激に冷たくなっていくのを覚えた。閃くように"逃亡"の文字が頭を過るが、勢いに任せた人差し指は脳の未断を介することなく、固いはずの引き金を後方へと動かしてしまった。


 再び硝煙立ち昇る銃口から弾丸が放たれる。螺旋らせんの渦が空気を巻き込み爆音を生んだ。その乾いた悲鳴と重なって、小さく一つ鍔鳴りの音がした――


 その音と一緒に、男の右手は体を離れ宙へと舞い上がった。その手には拳銃が固く握られている。一呼吸の間を置いて、どす黒い血が噴水のようになって辺り一面に撒き散らかされた。その時まで、男の顔は何が起こったか分からずに放心したままだった。宙にある手が、熟した果実のように地面に惹かれ落ちていく。ゴロンと転がったそれが、帰りたそうに親木の方を見上げていた。


「手が……俺の手がああぁぁアッ!」

男は無意識の内に右手を押さえるや、地面にひれ伏すような格好でその場に屈した。


「――殺される覚悟はあったのか?」


 己の欲望と快楽のために人を殺す。あの眼はそういう狂気をはらんだ目だ。今までにもそういうニンゲンを幾人も見てきた。あの山で暮らす限り、盗賊の類には事欠かない。でも、そういうニンゲンだから斬ったとは言わない。誰よりも何よりも、自分自身が奴を"斬る"と心に決めた。だから斬った。

 

 ヤクモは、自身が斬った男の顛末てんまつを一顧だにせず、倒れているマヒメとアシタに駆け寄った。


 どうやら銃弾が直撃したのはアシタの方だ。右脇腹付近からの酷く血が出ている。弾は貫通したようだが、動脈が傷付いたのかもしれない。このままでは血が流れ過ぎ命に関わるおそれがあった。アシタがかばったマヒメには、貫けた弾がかすめたのか左腕に赤い線ができているが、それ以外は特に外傷が見当たらなかった。


「ヤクモさーん! どうしたんですかー!」

ヒシタがこちらに向かって叫んでいる。大きな体を揺らしながら息も絶え絶えに走って来た。


「何か様子がおかしかったから……こりゃ一体、あ、アシタ、どうした!?」

 

 うめき声をらし、顔を地面に擦りつけてうずくまっている男と、大の字に倒れて動かない男。少しずつ離れた所で泣いている幼い子供たち。その中に、血溜まりの上に倒れている弟の姿があった。その横で、ヤクモが必死な顔をして何かをしていた。


 ヒシタは急いで駆け寄って弟の様子を確認した。その流血の多さを見た途端に、頭のてっ辺からどんどんと血の気が去っていく。どうすればいいかと迷うほどに、体が次第に強張って思うように動かなくなった。込み上げる震えを抑えきれずに、懇願する目をヤクモに向ける。ヤクモは、袋から取り出した布きれでヒシタの傷口を懸命に押えていた。その布も赤の波紋に覆われつつある。


「アシタ! おいっ! 目を覚ませ、アシタァーッ!」

兄の悲痛な叫びに、アシタはピクリとも応えなかった。嗚咽おえつまみれたこの場所で、小さな口は凍り付いたように固く閉ざされ、動く気配がしなかった。

 

 ヤクモは、抱きかかえたアシタの体をヒシタの腕に預けると、無我夢中で大地を蹴った。


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