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卵の中の神語り  作者: だいふべん
八雲立つ
1/9

「クビキリギスの声だ!」


 静かな夜に幼い声はよく通る。窓から外へと体を乗り出し、夏休みの自由研究で調べたばかりの虫の声を少年は得意気に聞き入った。


(あれがデネブ! アルタイルとベガを結んだら――夏の大三角!)


 指先で夜空に大きな線を引いた。つい先日、学校で織姫と彦星の物語を教えてもらったところだ。ベガとアルタイルを人差し指と親指で隠し、引っ付かせようとパカパカと何度も指の腹を合わす。あの星々の一つ一つに物語があると考えると、心の底からグングツと湧き立つものがあった。


「あの川のムコウには、どんな世界があるんだろう」


 少年の呟きが宙に吸い取られる。天の川に浮かぶ月は、とんでもなく大きくて、まん丸な船だった。


「逃げろっ! ――っ!」


 突然、下の階から父の叫ぶ声が聞こえた。一瞬の間をおいて、足元を爆音が突き上げ部屋中を揺らす。抉られた床板から黒煙が入り込み、部屋の中が段々と赤くなっていく。


「え、あ……」

あまりの驚きに心臓をわし掴みされたようで、足が全然言うことを聞いてくない。ついには力を奪われて、その場にぺたんと座り込んでしまった。


「父さん……母さんあぁぁんっ!」

少年は「僕はここだ、助けて」と無我夢中で両親を呼んだ。待ち望んだ声は届かず、家がバリバリと咀嚼される音しか聞こえてこない。

 

(一人ぼっちも怖いけど、死んでしまうのはもっと嫌だ)

孤独さが、少年の心を恐怖から取り返した。しゃにむに床にしがみつき、指の先にありったけの力を込める。そして、動かぬ足を引きずりならが、うようにして一階に降りた。

 

 指がチリリと痛い。よく見ると、爪の先から赤いものが出ていた。手が痺れ、腕の震えが収まらない。玄関は、もう目の前なのに。剥ぎ取られた薄皮が、己の無力感に絶望しを与えた。「死」という文字が頭をよぎると、後は涙と鼻水で『生きたい』と自分じゃない誰かに訴えるしかなかった。

 

 急にお腹を押さえられ、息と嗚咽おえつが同時に止まった。足が地面とサヨナラし、玄関のドアが自動で開いた。外の世界も明るくて、夜もどこかに逃げてしまったようだ。

 お腹が引き受けていた重力が、すねの上に移動した。少年の視界が、アスファルトから空へと移ると、そこにあったのは父親の顔だった。

 

 背後では、炎の束が巨大な蛇となって全てを飲み込み込もうとしていた。鎌首を上げた炎の蛇は、少年の家を一飲みし、暴れ足らずと周辺の家まで侵食していく。己を見つめるヒトの群れを、蛇は一笑に付して顧みず、目の前の御馳走を貪った。


「――ろっ!」


 父親は少年の肩をがしりと掴み、大きく一つ揺すると同時に何かを言った。その顔は汗とすすで黒く染まっている。そして、少年がその言葉をもう一度なぞる前に、二人の合わせた目が外れ、その大きな背中は再び炎の中へと消えていった。その背中に乗せて欲しくて、追うようにして手を伸ばしたが、そこにはもう何もなかった。


 ――まるで、映画の中のお別れの場面シーンだ。


(さっきまで昨日とおんなじ夜だったのに。空が真っ黒で月も星も見えないや。こんなに明るいのに虫たちは寝ちゃったのかな。そうだ、今日はこのお話しを日記帳に書こう。先生はきっと驚くぞ)


 ――痛っ。

 

 指先に走るものが少しばかりの現実を少年に与えた。次にその目が見たものは、臆病な少年を迫りくる恐怖から守り抜いた戦士の物語だった。


(そうだ、いつものように守ればいいんだ)


 恐い映画を観た夜は、布団の鎧で守り抜いた。こっぴどく叱られた日も、押し入れのふすまを盾にして、意識が遠のくまで戦った。そうして震える『中身』を勇気づけた。とにかく、あの紅蓮の蛇から身を守るものを探さなければならない。


 少年は懸命に辺りを見回し、近くにあった物置という殻に駆けこんだ。その中で、自分の体を必死に抱いて闇に包まれ眠ること、それが幼い少年が選んだ選択肢だった。



「ヤクモー! また、こんな所で寝とるぞな!」

バサバサッという羽音が鼓膜をうるさく刺激する。


「よう、ククノチ……。」

 眼を開けると、顔の横に丸くてもふりとした物体が浮いていた。何ということはない"いつもの世界"だ。ヤクモは新鮮な空気を肺いっぱいに取り込んだ。青臭い、清々しい匂いが鼻腔を満たす。頭の中も目が覚めたのか、おまけに一つ、大きな欠伸あくびがでた。


「油を売るのは都人みやこびとだけぞな! イズミ様がお探しぞな! はよう、はよう!」

「わかった、わかったからバサバサするな」


 羽音による騒音もだが、羽が上下する度に羽毛が飛び散り、顔の表面を忙しなくつつく。ククノチは不満気な顔をして羽をたたみ、ヤクモの右肩にぴたりと止まった。

「む……。ヤクモ、汗っかきぞな?」


 ヤクモの額には無数の水玉が浮かび、心なしか肩の辺りも湿っているように感じる。初夏とはいえ、今日は爽やかな山風が吹いているため、さほど暑く感じない。ゆるやかなその風と一体になる感覚が心地よく、ついつい気流とたわむれれてしまったのを誰が咎めることがあろう。

 

 上空からヤクモの姿を発見したときは、ただ地べたに寝転がって眠っているように見えた。それなのに、なぜこうも汗をかいているのか。ククノチは不思議そうに小首をかしげた。


「ああ、ちょっとな。気にするな」

ヤクモは苦笑いを浮かべるとすくりと立ち上がり、「さあ帰ろう」と一声掛けると、前だけを見つめて歩き出した。


(……また、あの夢ぞな?)

その表情から、ククノチは全てを理解した。ヤクモの首筋に視点を移すと、白い皮膚を裂くように赤い線が走っている。体のあちこちにひどい火傷を負い、この山の入口で倒れていた『ニンゲン』の子供。

 

 あの時から、早いものでもう八年――。


 もう一度ヤクモの顔を見ようとすると、その大きな両目が覗いていた。


「ククノチ。イズミさんやハナノには内緒な」

ヤクモは人差し指を口に当て、静かな声でそう言った。


「ワチの口と心臓は、それほど大きくないぞな」

 

 お互いの目の奥に、心を読むなという抗議の色が見え隠れする。ククノチは口調で平静を装ったものの、ドキリッと悲鳴を上げた心臓が、まだまだ余韻を残していた。そのことも、目の前の相棒は見抜いているだろう。


 小鳥さえずる森の中、一人と一匹は、愉快そうな笑い声を同時に上げた。



 ここヤマツミの森は、いにしえより山神の住まう場所とされ、小高い山の中央にはその神を祀るやしろが建てられている。

 御社おやしろ自体も随分と年季が入っているが、ふもとの村人たちは毎日のようにもうでては掃除や修理を怠らなかった。そのために、現在に至っても尚、昔のままの変わらぬ姿を保っており、村人たちの信仰の篤さをその身によって余すことなく体現していた。


 年に2回ほど、この社で神の恵みを讃える大きな祭礼が催されているが、今年一回目のそれが、もうすぐそこに迫っていた。


 社の横には、木造の一軒家と二つの作業場があった。これらの建物も、いつからあるのか分からないくらいに古いらしい。御社と同じように手入れをされているため、今でも十分にその役目を果たしている。

 

 ヤクモは迷うことなく一つの建物を選び、その戸口に立った。木造の爽やかな匂いと混ざり、内側から何とも言えない香気が漂ってくる。ヒトを、いや、生きているものならば何でも酔わせてしまう酒の匂いだ。

 「戻りました。イズミさん」


 板戸がガラガラと小気味良い音を立てて開かれた。ヤクモの目の前に、人の背を遥かに超した八つの巨大な樽がドンという迫力で現れる。その前に立っている女性は、つやのある白絹のきぬに、赤い倭文布しづりの帯を締め、肩から薄絹の領巾ひれをかけていた。儀式用の装束だった。


その装束の、いかにも霊的で重みを含んだ清らかさとは別物に、背中を覆う黒髪が不自然なほど右に左に揺れていた。上半身が静止しない。


「あー、よくかえっらね、ヤクモォ、ククチチィ」

振り向いたイズミの顔は、とろんと眠たい目になって、白い肌が欠片も残さず真っ赤に上気し茹で上がっていた。


「イズミ様、ろれつが回っておらんぞな……」

ククノチがやれやれと言った表情をし、黒い羽で頭を抱えた。


 この蔵の全ての樽が、信者にはたまらない極上の美酒をなみなみと満たしている。ここで言う信者には二つの意味がある。この酒を造りたもうた神を敬う者と、この酒の味を熱烈に愛する者だ。


 八つ全てが、去年の冬祭り『生魂祭せいこんさい』で造られたもので熟成されて半年になる。初の封明けは神に捧げる意味もあり、そのためのイズミの衣装なのだとヤクモは理解した。


「まるりのたへに、酒の封をきったのらけど……」

イズミはもつれる足を懸命に支え、ふらふらとヤクモたちに近づいた。


 毎年のこととは言え、造酒みきの長がひどい下戸とは、神の悪戯いたずらには困ったものだ。しかも、この上ない酒好きと来ている。彼女にとって唯一の弱点が酒だと言って良い。普段は剛毅ごうきな人で、りんとした振る舞いを決して崩さないのだが。


「お役目なので仕方ないですが、もう少し体を労わって下さいよ」

「ありがらいけど、仕来しきたりらから、あたちがのまらいと……」


 そう言い残すと、イズミは気の抜けた動作で地面に横たわり、スヤスヤと寝息を立て始めた。


「これは駄目だな……。ククノチ、俺が運ぶから先にイズミさんの部屋に行って布団を敷いておいてくれ」

合点がってんぞな!」

 

 ククノチは素早い動作で肩から離れると、まばたきほどの間に居なくなっていた。ヤクモはイズミの元へと歩みより、その体に負担をかけないよう注意しながら静かに抱き起した。


(――軽い)


 ここに来た頃、不慣れな山暮らしで怪我をしては、この華奢きゃしゃな体に背負われていた。それが数年前から完全に体躯が逆転し、見上げていた人を見下ろす側になってしまった。しかし、あの時に感じた温もりは、色褪いろあせないものとしてこの眼と心に焼き付いている。ヤクモにとっては今でも大きな人なのだ。


「イズミさん、部屋に戻りますよ」


 幼い自分の命をすくい取ってくれた手が、こんなにも小さい。ヤクモはイズミの片手を自分の背中へと回すと、両腕でイズミの背中と膝裏を固定し、前方に抱えるようにしてすっと立ち上がった。その拍子に、イズミの美しい黒髪が空気を掃って香りを起こし、ヤクモの鼻腔を甘く酔わせた。

 

「おーい、準備万端ぞな!」

遠くからククノチが叫んでいる。部屋を出てからまだ幾つも経っていない。いつもながらイズミのこととなると仕事が早い。思わず苦笑してしまった。 

 戸口から部屋へと射し込む陽光が、太い線となって外へと繋がる黄色い橋を作っている。ヤクモはその上を、満杯の水を溢さぬようしっかりと踏みしめ渡って行った。



 イズミを部屋に運んだ後、ヤクモはある場所へと向かった。そこは社から少し離れたところにあり、たどり着くまでに道という道はない。知った者だけが目印である獣道を進み、ゆったりとした半円状の草地を持つ切り立った崖へと到着できる。

 草地を囲むように鬱蒼うっそうとした木々が立っており、その葉が、通り抜ける風と手を合わせながら様々な音色を奏でていた。

 『く場所』と名付けられたこの場所は、言詠み(ことよ)みの少女にとってお気に入りの舞殿まいどのだった。


 ヤクモはその場所に来るや、探していた後ろ姿を遠目に見つけ、声を掛けようと距離を詰めた。しかし、彼女の様子をはっきりと確認すると、無粋に鳴らす足音を止め、静黙せいもくしてその様子を見守った。


 ひふみゆらゆら ひつきたまゆら


 ひとふたみ


 ほとよりうまれし あめつちの


 よいつむゆ


 うらさびたまひし せんざいを


 ななやここのて


 とほつみおやのおおかみよ


 えみたまへ ふりたまへ


 ももちよろづに


 てんしんちぎのかむながら


 たまちはえませ みたまはえませ


 かみよのこする そのひまで


 ひふみゆらゆら ひつきたまゆら


 少女の周囲を淡く碧色みどりいろに光るものが舞い、虚空に光の糸を紡いでいた。生命力に満ちた木々がその光を反射させ、キラキラと眩しい。


「ハナノ、やっぱりここだったか」

うたの余韻が消え去ったのを確認し、抑えた声で呼びかけた。


「あ、兄さん」

ハナノは満面の笑みをヤクモに向けた。その周囲を飛翔する小さくあえかな存在が、数多あまたの数で彼女の体を包み込み、巨大な光球のていをなしていた。


「……綺麗だな」

「でしょう? この子たちは、本当にきれい……」


 ハナノの姿が自然のと融合したかのように透きとおって見えた。この神々しい光の玉は、森羅万象に生きる様々な霊の集合体だ。その中に一人の少女が立っている。世界を顕す一枚の絵が目の前にあった。


 その様子に見とれていると、戯れ好きの薫風が二人の間に割って入り、ハナノのたおやかな黒髪をそっと優しく撫でて行った。それを見たヤクモの心臓がドクンと大きく身悶みもだえする。


「コトノハ、今日は上手く紡げたかな?」


 ハナノの顔は、うたいを結んだことへの高揚感にあふれていた。そこに未熟らしい少しばかりの不安を込め、光りたちへと語りかける。


 テンテン、テンテン、テンテン――


 ハナノを包む球体が、言葉に呼応するかのように煌々と光った。その様子を確認した彼女の目が、喜びの色で眩しいほどに輝いた。ヤクモにしてもハナノの笑顔に充てられて顔の肉が緩んでしまう。何となく気恥ずかしい。

 

 うたい巫女みこには、大切なお役目がある。生けるもの、死せるもの、それらが歩む道を『コトノハ』を紡ぐことで正しく照らし、負に穢れた霊は、不浄を洗い流して清めることで、元の道に戻すというものだ。


 この世界の境界を見守り、万象のことわりを護る存在。それが彼女たちなのだ。故に、その責務は少女の身には過酷で重たい。


 ハナノにとっては、母のイズミを超える『紡ぎ手』になることが、生涯を懸けた夢であり、重圧からその身を支える源でもある。それには何より、先ずは謡い手として一人前になることだ。

 彼女は今、胸の前にある右手をぎゅうっと結ぶことで、今すぐにでも踊り出したい気持ちを懸命に抑えている。ハナノの想いの『聞き手』となったヤクモにはそれがはっきりと分かった。


 突然、ハナノが自らの顔を両の手でこれでもかとこねくり回した。頬がわずかに朱色に染まり、熱く痺れたようになっている。少し落ち着いた様子になって、フウッと小さく息を吐いた。


「兄さん、目を閉じてみて」

「ん?」


 言われた通りに、ヤクモはゆっくり目を閉じた。闇が入る隙も無く、神々しくも柔らかい光が目蓋まぶたの上を優しく愛撫あいぶした。


(――あたたかい)


 不意に両頬にさわりとした感触があった。それが、水面に落ちる一粒の滴となって、穏やかな波紋を身体の隅々まで届けていく。細胞の全てが、カムに抱かれ『いちなるもの』になる感覚が体中を満たした。


 ヤクモが目を開くと、ハナノの両手が彼の両頬を包むように覆っていた。芯まで安らぐ気持ちを前に、彼女の心がそこにあった。まどろみの中で蘇った傷が、跡もなく消えていく。


「ありがとう、ハナノ……」

「うん!」


 その明るい笑顔に、ヤクモも観念したとばかりに微笑みを返した。ハナノは両手をヤクモの頬からすっと外すと、天へに向かって静かに持ち上げた。光たちの飛翔を邪魔しないように、そっと静かに。

 一瞬の静寂、草花の揺らぎ――かりそめの刻が過ぎ、光たちは一斉に空の彼方へと駆け昇った。光りの柱が宙空に架かる橋となり、どこまでも続いていく。


 じきに陽がまどろみ、月がうたう世界がやって来る。せせらぎと、虫と、風の声を背に、二人はその場所を後にした。


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