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The Invisible Spider’s Thread

二〇六〇年代の小倉の街を歩いていると、ふと、自分がどこから始まってどこで終わっているのか、分からなくなる瞬間がある。


かつての旦過市場の跡地に広がる居住区では、物理的な静寂が落ちている。


人々はすれ違いざまに言葉を交わすことはない。


しかし、空間は決して無音ではない。


SIDを通じて、何百、何千という感情の波が、寄せては返す潮のように脳内を洗い流していく。  


角のベンチに座る老人の微かな関節の痛み。


すれ違った若い女性が抱く、明日の天候への漠然とした期待。


遠くの通りで転んだ子供の、驚きと短い悲泣。


それらは全て、「私のもの」ではないが、「私のものではない」と明確に切り離すこともできない。


「ウムントゥ・ングムントゥ・ンガバントゥ」  


いつだったか、旧世紀の文化を研究しているという男が、そんな言葉を教えてくれた。


アフリカの古いことわざで、「私は、私たちがいるからこそ、私である」という意味だ。  


彼によれば、昔の人間は、自分が世界から切り離された孤独な存在ではないことを思い出すために、わざわざそんな言葉を口に出して確認しなければならなかったらしい。  


聞いたとき、私はひどく奇妙な感覚に襲われた。


私たちにとって、それは哲学でも道徳でもなく、ただの物理法則に過ぎないから。


私たちの脳は、巨大なVitae Lexiconという海に注ぐ川。


誰かが悲しめば、その悲しみは瞬時にネットワーク全体に浸透し、希釈され、無数の「私たち」によって少しずつ分担して消化される。


誰かが喜びを感じれば、それは細かな泡となって街全体を包み込み、ナラティブ・クレジットという名の数値に変換されていく。  


誰もが誰かの一部であり、誰の感情も孤立してはいない。


完全な調和。


完璧な共生。


飢えることも、一人きりで絶望に押し潰されることもない、滑らかな世界。


ただ、その滑らかさが、時折、堪らなく恐ろしくなることがある。


数日前、市場の片隅で、一人の男がうずくまって泣いていた。


彼はアンプラグドで、彼の流す涙は、誰の端末にも感情データとして同期されず、ただ冷たいコンクリートの床に染み込んでいくだけだった。  


私は彼を見た。確実にこの目で見た。


けれど、私の脳内のネットワークは「ここには誰もいない」と告げていた。


私の感情メーターは、平穏を示す色に保たれたままだった。


その時、理解した。


「私たちがいるからこそ、私である」という世界において、「私たち」の輪から外れた者は、最初から存在しないのと同じなのだ。


繋がりを持たない悲しみは、この街では一片の価値も持たないノイズとして処理される。


私たちは、他者の痛みを感じているのではない。


システムが「感じるべきだ」と規定し、最適化された痛みの幻影を共有しているだけ。


私は、自分の手のひらを見つめる。


この手は、本当に私の意志で動いているのだろうか。


この胸の奥底にある感情は、本当に私が生み出したものなのだろうか。


それとも、見えない蜘蛛の糸で繋がれた無数の「私たち」が、私という器を通して、都合の良い物語を再生しているだけなのだろうか。  


答えは、常にネットの向こう側で、心地よい沈黙の中に溶けていく。


私は、私たちがいるからこその私。


だからこそ、もうここに「私」はいない。

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