十九時の女神
――翌日
結局、坂堂と上倉は県警内で仮眠をとっていた。
一晩中防犯カメラの映像を確認していた坂堂は、そのままソファーで沈むように眠っていた。
そんな坂堂の頬に、冷たい缶コーヒーが触れた。
「――っ!」
反射的に一瞬顔を背けた。見上げた先には、上倉が立っていた。
しかし、そんなことはお構いなしに瞼は下がっていく。
上司の前といえど、激務続きの寝起きの悪さは許して欲しいものだ。
「悪いなぁ、起こして。
だが......刑事部長がお呼びだ。」
「――え。」
遠い意識の端で聞こえた言葉に、慌てて飛び起きた。
当然だが、上倉と刑事部長では格が違うらしい。
――刑事部長室
ノックをして中に入る上倉に、坂堂も続いた。
刑事部長の下田実は、どこか慌てた様子で
荷物をしまっていた。
「失礼します。」
「失礼します!」
「おぉ、来たか。」
一旦手を止めて二人に向き直った。
「お呼びでしょうか?」
鏡を見る余裕もなかったが、寝癖だけは勘弁してほしかった。
今この場で指摘されたら、ちょっとだけ心に来そうだ。
「昨夜起きた事件の件だが、
警視庁で捜査本部が立つことになった。」
「......え。」
一瞬、頭が追いつかなかった。
寝癖の心配なんてどうでも良くなるくらいの言葉だった。
「捜査本部ですか?しかも警視庁で...。」
「まさか、同じような事件が......東京でも?」
上倉と坂堂の言葉に、下田は静かに頷いた。
「私は先に東京へ向かう。君たちも準備が出来次第向かってくれ。」
「...はい。」
「はい!」
上倉の歯切れの悪さが坂堂には少し引っかかったが、今は下田にキレ良く敬礼を向けた。
自分でも、少し固すぎることはわかっている。
でも、こういう場面での振る舞いだけは崩したくなかった。
上倉はそれ以上何も言わず、すぐに部屋を出ようとした。
その背中を見て坂堂は一瞬戸惑ったが、すぐに後を追った。
――やっぱり、何かおかしい。
そう感じる他なかった。
そして、扉に手をかけたところで、思い出したように下田が二人を呼び止めた。
「あ、捜査会議は14時からだからな。遅れるなよ。」
「はい!」
再び敬礼をする坂堂を置いて、上倉は会釈だけしていち早く部屋を後にした。
「ちょ、ちょっと上倉さん!?――し、失礼しました!」
下田刑事部長は、閉じられた扉を怪訝な表情で見つめていた。
「どうしたんですか上倉さん。」
「......いや、なんでもない。」
なんでもない、で済ませられる声じゃなかった。
長く一緒にいると、そういう違和感だけは分かる。
――1時間後
発車を告げるアナウンスが流れ、新幹線は静かに動き出した。
観光客の姿も多く、わずかに賑わっている車内で、坂堂は上倉に静かに声をかけた。
「あの、上倉さん。」
「ん?」
「上倉さんて、連続事件担当したことありますか?」
「まぁな、全国規模のも一回だけあったな。」
「そうなんですか?さすがです。僕、初めてなんで不安だなぁ......。
あ、あのこと、下田刑事部長には?」
「あぁ、大丈夫だ。ちゃんと言ってある。」
「......ですよね。
はぁ、にしても......信じたくはないなぁ。」
そう思えば思うほど、胸の奥がざわついた。
隣で黙っている上倉さんの横顔が、やけに遠く感じた。
そして、その頃。
二人の斜め前、三列シートの窓側。
フードを深く被った男が、微動だにせず座っていた。
――連続切断事件捜査本部
捜査本部は、すでに多くの捜査員でごった返していた。
視線を巡らせながら歩く坂堂は、自然と背筋を伸ばす。
指令された席に向かう途中、前方の扉が開く。
ちょうどその瞬間、幹部たちが連れ立って入ってきた。
二人は、こちらに気づいた下田刑事部長に小さく会釈を送った。
その直後だった。
坂堂の視線が、ある人物に吸い寄せられた。
場違いなほど落ち着いた立ち姿。
周りのざわめきとは切り離されたような空気を纏っている。
――あの人。
胸の奥が浮き立つのを感じた。
「あの人って、警視庁刑事部長の香山雄示さんですよね?」
「あ?あぁ、そうだな。」
上倉が答えながら椅子に腰を下ろす。
それを見て、坂堂も遅れて席に着いた。
落ち着け、と自分に言い聞かせるが、口が勝手に動く。
「43歳という異例の若さで刑事部長に昇格したんですよね?しかも、あのスタイルにあのルックス。女性がほっとくはずがないですよね。」
「...そうだな。でもあいつ、独身だぞ?」
「......え?そうなんですか?てかなんで独身だって知ってるんですか?」
意外な事実に、上倉に詰め寄った。
「それは――。」
上倉が言いかけた、その時だった。
「上倉さん!お久しぶりです。」
背後から声がかかり、坂堂は思わず肩を震わせた。
「おぉー!香山。久しぶり、元気だったか?」
「はい。上倉さんも元気そうで何よりです。」
話の中心にいた人物の登場に、驚きのあまり反射的に席を立ち後ずさった。
そんな坂堂を他所に、二人は握手をしながら再会を喜んでいた。
そして、香山刑事部長が坂堂を一瞥して上倉に尋ねた。
「もしかして、彼が?」
「あぁ。」
短い返事。
それだけで、坂堂の胸に小さな緊張が走る。
「...え?」
疑問が形になる前に、視線があった。
逃げ場はなかった。
坂堂は慌てて背筋を伸ばし、敬礼をした。
「失礼しました!初めまして、愛知県警の坂堂空と言います!」
「初めまして、警視庁刑事部長の香山雄示です。」
そんな坂堂の真似をするように、香山も敬礼を返した。
その姿があまりにも柔らかく、拍子抜けするほどっだった。
人の良さそうな香山に自然と緊張が解れ、気になっていることを聞いてみることにした。
「......あの、上倉さんとはどう言ったご関係で?」
「あー。上倉さんとは昔、相棒だったんですよ。」
「え!?」
――香山刑事部長と、上倉さんが。
点と点が、一気に繋がった。
「香山刑事部長って、全国規模の殺人事件を解決に導いたんですよね?」
「えぇ、まぁ。」
「じゃぁ、その時の相棒って――。」
「上倉さんです。」
間髪を入れずに答えた香山に、改めて上倉の凄さを思い知った。
「では、そろそろ時間なので。」
「あ、はい。よろしくお願いします。」
「こちらこそよろしくお願いします。期待してますよ。」
「は、はい!」
そう言って、香山は坂堂の二の腕を軽く叩き、上倉に軽く挨拶をしてから退席した。
香山からの期待と、先ほどの事実で頭がいっぱいになった坂堂は、もう一つの疑問など忘れていた。
そして、香山刑事部長の指揮の元、捜査会議が始まった。
「えーでは、今から連続切断事件の捜査会議を始めたいと思います。」
捜査員たちの視線が、一斉に香山へと集まる。
会議室には、紙を捲る音と、椅子が軋む小さな音だけが残っていた。
「まず、9月23日に東京で起きた事件ですが、両手の親指と人差し指、計4本が切断されていました。
この件は不自然な点が多数見受けられた為、マスコミには公表していません。」
香山の声は淡々としていた。
「続いて、昨夜9月29日。愛知県でほぼ同様の事案が発生しました。
よって、連続事件の線で捜査します。」
そこには怒気も、躊躇もない。
ただ事実だけを正確に並べていく。
「では、東京から詳しい報告をお願いします。」
「はい。」
そうして、一人の女性が立ち上がった。
「南荒川署の小辺です。
被害者は、後藤千花か33歳、女性。
通報時刻は19時半頃。発見場所は荒川区の路地裏で、気を失っている所を恋人の男性が発見し、病院へ搬送されました。辺りは薄暗く、電車の音も頻繁に聞こえる為、目撃者や物音を聞いた人はいませんでした。」
坂堂は、机の上の資料に視線を落としたまま、4本という数が異様に目に留まっていた。
「被害者の容体は?」
香山が問いかけた。
「幸い指以外に外傷はなく、命に別状はありません。
しかし、指は無事くっ付きましたが......
元のように動かせるかどうかは、難しいとのことです。」
「......そうですよね。」
会議室には、重たい沈黙だけが落ちた。
「精神的にも参っているようで、まだ話せる状況ではありませんでした。」
「無理もないですね。」
香山は静かに頷いた。
「そして、被害者は発見時、視界を遮る布状の
目隠しのようなものを装着されていたと言う事です。」
――目隠し。
その言葉に、空気がわずかに歪み、
捜査員の何人かが、資料から顔を上げた。
それは坂堂と上倉も同じだった。
「さらに、発見された指ですが。
被害者が発見された場所から、数メートル離れた空き家の植木鉢に置かれていました。」
本来、植木鉢は血の気とは最も縁遠い場所である。
坂堂は、その言葉が妙に引っかかっていた。
「最後に、恋人の男性の上野梧楼うえのごろうですが、事件当日のアリバイが不確かであり。さらに、本人は誤って触ってしまったと供述していますが、凶器のナイフに指紋が付着していた為、重要参考人として現在拘束中です。
私からは以上です。」
坂堂は、名前を聞いた瞬間、無意識に指先を止めた。
恋人、指紋、ナイフ。
偶然と呼ぶには、あまりにも揃いすぎていたからだ。
「次、愛知お願いします。」
「あ、はい!」
坂堂は慌てて立ち上がった。
「愛知県警の坂堂です。
被害者は、二宮鉄也26歳、男性。
通報時刻はほぼ同時刻。発見場所は名古屋市中区の路地裏で、近くの風営で働く女性が発見しました。
こちらも両手の親指と人差し指、計4本が切断されていましたが、指以外に左腕の骨折が見受けられました。恐らく、被害者が男性の為、抵抗されるのを防ぐ為かと。」
「なるほど、被害者の容体は?」
「こちらも命に別状はありません。ですが......後藤さん同様、無事接着はできたものの、元のように動かせる保証はないと。」
再び、会議室に重い沈黙が落ちた。
「そして、二宮さんも精神的ダメージが大きく、まだ話が聞けていない状況です。」
坂堂は、東京に来る前に立ち寄った、病室の前での出来事を思い出していた。
扉の向こうから聞こえる奇声と、それを宥める母親らしき声に、坂堂と上倉は静かに病院を後にした。
「それから現場状況ですが、こちらも同様に、布状の目隠しのようなものが確認されています。
さらに切断された指は、被害者の側ではなく、路地裏を出た先にある繁華街の店の脇に置かれていました。」
「店の脇ですか?」
「はい。散らばっていたわけではなく、置いたという表現に近い状態でした。」
「......なるほど。」
香山が言葉を選ぶように一瞬黙った。
それを見て坂堂は、自分と同じ場所で思考が止まっていることを悟った。
視線を交わすことはなかったが、分かってしまう。
置かれた指には、必ず意味がある。
「そして、実は――。」
坂堂は重い口を開いた。
「こちらには、目撃証言があったんです。」
「本当ですか?」
「え?」
「詳しく教えてください。」
「それは――。」
坂堂は、聞いていた話と違う展開に戸惑った。
伝え忘れたのか――と、下田刑事部長の方を見るが、その表情は明らかに想定外のものだった。
嫌な予感がして、坂堂は上倉に視線を移した。
上倉は腕を組み、顎を引いて目を瞑っている。
考え込んでいる、というより――外界を遮断しているように見えた。
「上倉さん......!」
声をかけても反応はない。
その姿に坂堂は心の中で慌てた。
「どうしましたか?」
会議室全体の視線が、次第に坂堂へと集まっていく。
ここで口を開けば、場が荒れるだろう。
「......です。」
「すみません。もう少し大きい声でお願いします。」
それでも、言わない選択肢など最初からなかった。
「......警察、官です。」
「......え?」
声が、思わず裏返った。
それでも坂堂は、視線を逸さなかった。
「警察官のような格好をしていたと、目撃者の女性は証言しています。」
当然のように、会議室全体がどよめいた。
「静粛に!」
香山が声を上げるも届かない。
それどころか、坂堂は罵声を浴びせられていた。
「警察官?」
「あり得ない。」
数メートル離れた場所に座る小辺と、
警視庁の男、竹石も順に呟いた。
「警察官なんてふざけるな!本当は第一発見者の女性がやったんじゃないのか?嘘に決まってるだろそんな証言!」
そう、誰かが言った。
それを皮切りに、同じ言葉が別の口から繰り返される。
声は次第に形を失い、ただの塊になって坂堂に向けられた。
坂堂は、彼女の震えを思い出して、耐えきれず言葉を返そうとした。
その時だった――。
次の瞬間まで、誰も気づかなかった。
香山が、会議室を一巡するように見渡したことに。
深く息を吸ったことに。
「せいしゅくに!!!」
我慢の限界に達した香山が、立ち上がってファイルで机を叩きながら、声を荒らした。
そんな先程とは別人の香山に、騒ぎ立てていた捜査員はもちろん、坂堂も言葉を失った。
「皆さん。まだ、ようなですから。確定はしてないんですから、ね?」
言葉を選ぶように、わずかに間を置いた。
その姿は、坂堂を身の毛がよだつような気分にさせた。
「.....ですよね、坂堂さん?」
「は、はい!目撃者の女性は――。」
頭を抱えて思い返している女性の耳に、カチャッと言う音が響き渡った。
そして、その音がした一点を見つめながら、女性は呟いた。
「......あれの音に、似てるかも。
それに......似てる。
似てます。格好が、警察官に!」
女性は、野次馬を制御している警察官を見てそう答えた。
その言葉に、坂堂と上倉は目を見合わせた。
「――そうだ!
あと、よく見えなかったんですけど、
倒れてた男の人、目に何か着けてたように見えました。」
上倉は、女性の言葉を聞いて搬送当時、
被害者と担架の間に挟まった何かが垂れていたことを思い出した。
「それは、布みたいな感じでしたか?」
「そうだったと思います。」
坂堂は、女性から聞いた証言を、一語一句漏らさず伝えた。
喉の奥が乾いている。
さっきほど浴びせられた罵声が、まだ耳の奥でざらついていた。
――ここで曖昧にすれば、矛先はまた女性に戻る。
震える指。言葉を探す唇。あの目を、坂堂は見ている。
「そして、音の正体は、警察官が着用している警棒の擦れる音でした。」
その瞬間、会議室の空気が一段重くなった。
警察官という言葉が、どれほどの波紋を生むか、それくらい坂堂にも分かっていた。
それでも、引けなかった。
目に浮かぶのは、事情聴取で肩を震わせていた女性の姿だ。
何度も、何度も、同じ質問に答えさせられ、それでも「嘘じゃない」と必死に訴えていた。
「被害者の体格と女性の体格。そして、店の従業員たちの証言、防犯カメラの映像から見ても――。」
一つずつ積み上げて、逃げ道を防ぐ。
これは推測じゃない、この目で見た事実だ。
「第一発見者の女性に犯行は不可能です。」
会議室のざわめきが一瞬止まった。
坂堂は、全員からの視線を正面から受け止めた。
反論が来ることも、罵声を浴びせられることも、覚悟の上だった。
「私からは以上です。」
言い切った瞬間、胸の奥で張り詰めていたものが緩んだ気がした。
次回更新予定:2月20日 20時
※現在執筆中の為、更新が遅れる場合があります。申し訳ありません。
※また、執筆状況によっては予定よりも早く公開する場合があります。




