九月の夜
夜になっても騒がしい繁華街。それと裏腹に、暗闇の路地裏。
そこで、何者かに怯える若い男。
左腕は、あらぬ方向に曲がっており、
目には光が通らない。
逃げようとする思考だけが、空回りしていた。
しかし、何者かは何も発しない。
静かに男に近づき、腰元でカチャッと乾いた音がした。
次の瞬間。
男の身体を地面に押さえ込み、腰元から外したそれを、男の口に押し当てた。
そして、何かが静かに向けられた。
男の悲鳴は、誰にも拾われなかった。
気を失い欠けている男の側には、血の水溜りが出来ていた。
そしてそこには、複数の何かが転がっている。
しばらくして、何者かは男の口を解放したが、男は何も発しなかった。
転がっている物を拾い上げると、何者かはゆっくりと去って行った。
男だけが取り残された空間には、カチャッという音が、静かに残った。
そして、その向こうで、誰かの悲鳴が遅れて響いた。
――その後
愛知県警の一角で、照明が落とされた。
「では、お疲れ様です。」
「おう、お疲れさん。やっと事件が片付いたんだ、ゆっくり休め。」
パッチリとした目が特徴的で、見るからに好青年な坂堂と、無精髭を生やした年の離れた上倉が、束の間の休息につくところだった。
「はい、ありがとうございます。上倉さんも疲れてるんですから、長居はしないでくださいね。」
「ははっ、わかってるよぉ。」
坂堂は軽く会釈をし、その場を後にした。
駅へ向かう人波の中で、すれ違う人たちを見下ろしながら歩くのはいつものことだ。
そんな坂堂の背後では、時折女性が振り返っている。
改札が視界に入った時、ポケットの中で短く振動があった。
坂堂は一瞬、画面を見てから電話に出た。
「はい、坂堂です。」
『悪い、もう一件入った。』
電話越しの言葉に、晩酌の予定は無くなりそうだと落ち込んだ。
だが、すぐに顔色を変えて踵を返した。
「―いえ。すぐに向かいます。」
タクシーの窓から、救急車がサイレンを鳴らして逆方向に通り過ぎて行くのが見えた。
それと同時に、再び携帯が鳴った。
「はい、坂堂です。」
「おぅ、坂堂。現場来る前に、水と氷をできるだけ多く持ってきてくれ!あぁ、あとタオルと袋も、頼んだぞ!」
「え、ちょっと上倉さん!?」
上倉は一方的に話してすぐに切ってしまった。
上倉の焦った言葉に一瞬動揺したが、伝えられたものから瞬時に連想し、行き先を変更した。
――数分後
現場に到着し、タクシーから降り、見慣れた黄色い規制線を潜り抜けて上倉の元に駆け寄った。
「上倉さん。」
「おぉ、悪いな。みんな他に出ちまってて」
「いえ。まぁ、今日は徹夜っすね。」
疲れ果てた士気を上げる為か、二人の場違いなほどの穏やかな笑みが、現場に浮いた。
「......ところで、被害者の方の容体は?」
「命に別状はないようだ。」
その言葉に坂堂は、静かに安堵した。
「あっで、これってもしかして?」
「あぁ、それなぁ――。」
そう言いかけたところで、繁華街から悲鳴が聞こえた。
辺は何事かと混乱している。
二人は急いで声の方へと駆け寄った。
「すいません!警察です!通してください!」
坂堂の声と共に、野次馬を掻き分けながら進む。
「――っこれは!」
「なんでまたこんな所に。」
坂堂は思わず目を逸らした。
そして、上倉の言葉は最もだった。
なぜなら――
「親指と、こっちは――。」
現場から数メートル離れた、吊るされた看板の下、店の脇に指が置かれていたからだ。
「人差し指だ。運ばれていく時に、ここが切れているのが見えた。」
上倉は自身の指を使って説明し、さらにこう付け加えた。
「それも両手だ。」
思わぬ言葉に、坂堂は無意識に目が見開くのを感じた。
「とりあえず、まだ鑑識いねぇから写真だけ撮って病院に――。」
その時、またしても悲鳴が言葉を遮るように響き渡った。
「俺行ってきます!」
現場写真を撮っている上倉を残して、悲鳴が聞こえた向かいの店に向かった。
そして――
「......これは一体。」
野次馬に囲まれ、騒がしい騒音の中、必死に思考を巡らせるが、当然のようにまだ答えは出なかった。
そこに、現場保存を巡査たちに任せた上倉が到着した。
「どうだ?」
「......それが。」
そこには、先ほどと同じ状況で、もう片方の指が置かれていた。
「どう見ても、意図的ですよね?」
「あぁ、そうだな。」
これはもう、そう思う他ない状況だった。
「とにかく、まずは指の処置が最優先だ。」
「坂堂。それ貸してくれ」
「あ、はい。」
先ほどと同様に現場写真を撮った上倉は、坂堂に頼んでいたもので処置を始めた。
袋の中に氷と水を入れる。
指を水で綺麗に洗い、タオルに包んで袋に入れ、それを氷水につけた。
「なんで......指が。ヤクザ関連でしょうか?」
「いや、恐らくそれは無いだろう。被害者の顔を見たが、そこら辺にいる普通の若い男だった。」
説明しながらも、上倉が手を休めることはない。
「......くっ付きますかね?」
「.....確証は無いがな。」
それでも、やらない理由にはならなかった。
上倉が最後の処置をしている間に、坂堂はある人に近づいた。
「すみません。――そこの白バイの方、ちょっといいですか?」
「......え、はい。私ですか?」
野次馬を制御していた白バイ隊員の男性は、思いもよらぬ展開に一瞬たじろいだ。
そして、そんな坂堂たちの様子を見て、上倉が声をかけた。
「坂堂、どうした?」
「あぁ......いや、指の搬送を彼に頼もうと思いまして。」
「......え、ゆび?」
まだ若さの残る白バイ隊員は、分かりやすく頬を引き攣らせている。
身体の一部が途切れているのだから、無理もないだろう。
「指の搬送を?」
「はい。この時間は混み合ってますし、バイクの方が小回りが効くかと思って
......ダメでしたか?」
子犬のような目で訴えかける坂堂。
「......分かったからその目やめろ。」
上倉がそんな坂堂に押し負けるのは、いつものことであった。
「め?なんのことですか?」
キョトンとした顔をして、まさかの無自覚である。
そんな坂堂を見て白バイ隊員は、上倉に同情の目を向けるしかなかった。
「......悪いが、中央医療センターまで頼めるか?」
「――もちろんです!」
男性はピシッと音が鳴るようなキレのある敬礼を二人に向けた。
それに習うように二人も、感謝の気持ちを込めて敬礼を返した。
「くれぐれも、お気をつけて。」
二人は、白バイがサイレンを鳴らしながら走り去るのを見送った。
「さぁ、俺たちは事情聴取するか。」
「――はい。」
やっとひと段落が尽き、二人は第一発見者と思われる女性のもとへ駆け寄った。
「すみません。愛知県警捜査一課の坂堂と言います。」
「同じく上倉です。貴方が第一発見者で間違いありませんか?」
「......はい。」
服装から夜の仕事をしていると思われる女性は、突如降ってきた二つの大きな影にたじろいだ。
そんな彼女に気付き、坂堂は表情を緩めて質問した。
「お名前お聞きしてもよろしいですか?」
「......川野かわの、さくらです。」
「おいくつですか?」
「......24です。」
「ご職業は?」
「......すぐそこの、キャバクラです。」
「すみません。何度も聞かれたと思うのですが、
被害者を発見した時の様子を、もう一度教えていただけますか?」
「......はい。ここの自動販売機で、飲み物を買おうとしたんです。
そしたら、奥の方から小さい音がして......気になって、見てみたら――。」
路地裏の手前にある、自動販売機を指す手が震えていた。
「......なるほど。その音って、どんな音だったか覚えてますか?
例えば、何かに似てるとか?」
頭を抱えて思い返している彼女の耳に、
カチャッっと言う音が響き渡った。
そして、その音がした一点を見つめながら、呟いた。
「......あれの音に、似てるかも。
それに――!」
目線をその一点から徐々に上げていった彼女の口から出た言葉に、
坂堂と上倉は目を見合わせた。
――数分後
「ありがとうございました。今日はもう大丈夫ですので、また何か思い出したらご連絡ください。」
通報される数分前に、彼女が店を出たという証言と、近くで悲鳴を聞いていた証人が複数いた為、連絡先を控えて一旦帰すことにした。
残された二人は、現場を眺めながらしばらく何も発しなかった。




