無視。
翌日の朝、俺はいつも通りテンションが無駄に高い妹に叩き起こされると、渋々洗面所に向かう。
俺が朝弱いのは昔からで、遅刻グセもあったため、なずなは毎日必死で俺を叩き起こしにやってくる。そのおかげで、俺は遅刻を免れることができているので、そこに関しては感謝している。ただ、もう少し起床時間が遅くてもいいんじゃないかとは思うが……。
俺はあれから結構考えに考え抜き、なずなと登校することを選択した。というのも、この先ずっと別々に登下校するのは無理がある。
それに何より『やましいことがないならば堂々としていればいい、コソコソしてたら、ソレこそやましく見えるよ』となずなに諭され、俺自身もその通りだと今更ながらに納得した。
「じゃあ、また帰りにここでな!」
「うん、バイバイ!」
なずなは昇降口で俺と別れると、上履きを履き、パタパタと小走りで走っていった。
――――――――――
「おは! って今日も眠たそうだな、優斗は。寝てないの?」
「おはよう。いや、そんな事は無いんだけど、春の朝って眠たいじゃん。それだよ」
健は毎日眠たそうにしている俺を心配してよく声を掛けてくれる数少ない友人だ。
そんな健が相手でも、俺の趣味を知られるわけにはいかないので、俺は適当な事を言ってごまかす。
実際は学校から帰った後、夕食食べて風呂に入って、勉強。そしてその後に配信をしているので就寝時間は午前3時くらいになる事も多い。
ごく稀に配信が明け方まで続き、徹夜になってしまう事もあるため、最近では成績を落とさない様に配信を若干セーブして、その分勉強に力を入れている。それでもやはり睡眠時間が十分に確保できていないため、眠くなってしまうのだ。
「お、遠坂。おっはよー!」
「おはよ」
声を掛けた健はどこか元気のない渚を見ると、俺の方を向き、『お前、なんかやったか?』と言わんばかりの目で訴えかけてくる。
俺は『知らねぇ』と必死にに首を横に振って否定するが、思い返してみれば昨日は一日中、渚の様子がおかしかった。
「渚、なんかあったのか? 昨日からちょっと様子がおかしかったけど」
「…………」
俺の問いかけに、渚は一切反応する事なく、バッグから教科書を出し、机にしまい込んでいた。
そんな渚の様子に違和感を覚えた俺は、昨日何があったか振り返って考えてみたが、特に思い当たる節がなく、いくら勉強が出来ても鈍感で人の気持ちも分からない自分に嫌気が差すばかりだった。
ただ、健とは元気はないものの、挨拶を交わし、俺には全く反応しないあたり、俺に原因があるとしか考えられなかった。
授業中や昼休み等に声を掛けてみたが、いつもの様な明るい渚の姿はなく、目つきは虚ろ、ため息ばかりで、俺の声にはやはり全く反応がなく、普段渚が絶対にやらない頬杖までついていた。
「おい泥田坊、なに渚ちゃんを困らせてんの? そもそも本来、お前みたいなクソ陰キャが渚ちゃんに話しかけて言い訳ねぇんだよ! 立場を弁えろ!」
「お前みたいな根暗な奴、きっと渚ちゃんも嫌になったんじゃね?」
休憩中、俺が渚に声を掛けていると、それが気に入らないのか、同じクラスの男子生徒数人が俺に声を掛けてくる。
はぁ、またか……。
「なぁ、お前さぁ。いい加減、学校やめちまえよ」
「ほんとそれな。お前が学校やめたら、このクラスの淀んだ空気も浄化されるってもんだ」
男子生徒たちはゲラゲラと下品に笑いながら俺を見下してくるが、残念ながら俺はこの手の悪口は慣れている。
それにこういう奴らは、反応すると更に調子に乗って、更に悪口がエスカレートする事も知っている。
逆に好きに言わせておけば、満足したら勝手に帰っていく。
そもそも俺が嫌いなら話しかけてくんなよな。
俺は昇降口で待っていたなずなと一緒に下校する。
「どうしたの、お兄ちゃん。さっきからため息ばかりついて」
自分では全く意識していなかったが、どうやら俺はさっきからずっとため息ばかりついていたようで、心配するなずなの言葉で初めて気が付いた。
「すまない、ちょっと考え事っていうか、悩んでいることがあって……」
自宅に帰り、部屋に荷物を置いたあと、リビングでなずなは俺の悩みを聞いてくれていた。
「なるほど……。」
俺のざっくりとした悩みを聞いて、なずなは「ふむ」と考え込む。
リビングの窓からは、下校する高校生達の歩く姿が見える。体育館も近いため、剣道部の気合の入った掛け声が聞こえてくる。
昔はなずなに俺が悩みを打ち明けるなんて、考えた事もなかった。兄である俺が、なずなを支えていかなければならない。弱音なんて吐いていられなかった。
でも、いつの間にかなずなも大きくなり、その内この家からもいなくなる日が来るのだろうか。
そんな事を一人で考えてしみじみしていた俺に、なずなが声を掛けてくる。
「お兄ちゃん、ちょっと聞きたい事があるんだけど、いい? 今の質問に関係あると思うんだけど」
開け放たれたレースカーテンをシャッと閉め、なずなは椅子に座り直す。カーテンの隙間から、夕焼けのオレンジ色の西日がリビングに降り注ぐ。
夕焼けの光をわずかに受けたなずなの顔は真剣そのもので、今までそんな顔を俺は見たことがない。
「ちゃんと正直に答えてね。……お兄ちゃんは何かの配信とか、してる?」
いきなりなずなから放たれた言葉に、俺は一瞬凍りついてしまったかのように、身体が動かなくなってしまった。
確かになずなは昔から俺の部屋に入り浸っているし、毎日俺を起こしに来る。だけど、防音室の事や配信機材の事については特に今まで触れてくる事は無かった。
けれど、昔からなずなは勘が鋭かった。しかも、防音室や配信機材を見ていれば、大体の見当はつくはず。
「ゲ、ゲーム実況を少々……?」
なずなは例え俺がVtuberとして配信していると知ったとしても、特に茶化したり、馬鹿にして見下したりしてはこないだろうが、バレないに越した事は無い。
Vtuberは中の人バレが一番怖いのだ。どこから情報が漏れ、広がっていくか分からない。実際、両親や兄弟などに言わずに隠れて配信をしている人は意外と多い。
「本当に? それしかしてない?」
「う、うん……」
なずなはどこまで知っている? もしかして俺がVtuberだと気付いているのか?
「……お兄ちゃん、私の事、信用できない?」
なずなのその言葉に、俺の心臓がえぐり取られたかのようにズキリと痛む。
頭でどうこう考えていようが、口でどんな事を言おうが、それは『なずなを信じていない』のと同義だ。
「そんな事は無い! けど……」
一瞬俺はなずなの方を向き否定してみたが、どこか寂しそうななずなの顔を見たら、たまらず視線をまた落としてしまっていた。
俺はもう再びなずなの方を向くことができなかった。手汗だけでなく、背中や額からも嫌な汗が噴き出している。
「なずな……どこまで知って……」
決して悪い事をしている訳では無いのだが、Vtuberはここ最近でやっと知名度が確立されてきたくらいで、まだまだ存在を知らない人も多いし、色眼鏡で見てくる人も多い。
なずながそうでないと信じてはいる。けれど、陰キャな俺にはとてもじゃないけど堂々と言う勇気は無かった。
そんな俺の問いかけにしばらく間をおいてなずなが口を開いた。
「神薙悠人」