授業6「ROI」
休日の午後、学院の敷地を少し外れた空き地は、どこかもの寂しい雰囲気に包まれていた。そこに、金色のポニーテールを揺らす少女の姿がある。彼女は戦士科でも随一の実力を誇るアリア・ブレイズランス。木剣を振り下ろすたびに鋭い風切り音が響き、休日とは思えないほどの集中力を見せていた。
「……アリアさん?」
通りかかった諒が、汗を流すアリアに声をかける。彼女は木剣を下ろし、苦しそうに息を整えながら振り向いた。
「あんた、商業科の先生……? 何の用よ。休日に話しかけられるとうっとうしいんだけど」
言葉こそきついものの、その額には汗がにじみ、疲労が隠せない様子だ。諒はそんなアリアの鎧を見て、少し眉をひそめる。
「いや、通りかかっただけだよ……でも驚いた、休日までこんなにストイックに自主練してるんだね」
「戦士に休みはいらないわ。実戦で生き残るのは強い奴だけだから」
アリアは胸を張ってそう言い放つが、その息は上がっている。彼女には最近、クエストで怪我をし、装備の修理費もかさんでいるという噂がある。腕には包帯、胸当てには目立つ打痕が残り、かなり無理をしているのは一目瞭然だった。
「その鎧、大丈夫? けっこうガタがきてるみたいだけど」
「余計なお世話。修理費が高くて買い換えられないだけ。ケガだってすぐ治るわよ」
彼女はそっけなく返すが、諒は少し考えてから、なるべく柔らかい口調を心がけて問いかける。
「もし装備をしっかりメンテナンスすれば、結果的に修理費や怪我のリスクが減るかもしれないよ。たとえば――」
「戦闘を数字で語るな、あたしには必要ない!」
アリアの語気は強い。一瞬、諒は言葉を失うが、少しの沈黙のあともう一度口を開く。
「……じゃあ、試しに“投資対効果”ってやつで考えてみない? ROIっていってさ」
「投資対効果……何それ」
アリアは嫌そうに顔を背けるが、諒は小さく微笑み、なるべく分かりやすく説明を始めた。
「ROI《Return on Investment》は、装備にいくらお金を投じて、最終的にどれだけリターンが得られるかって指標だよ。たとえばアリアさんが新しい鎧に五万ゴールドを投資したとしよう。もし今まで毎回の修理費が高くついていたのを、その鎧のおかげで半分に抑えられるなら、結果的に大きくプラスになるかもしれない」
「はあ? 高い装備を買ったらその分お金減るに決まってるでしょ? それに戦士が損得勘定ばっかしてたら、いざというとき迷うわ」
「そこは同意だよ。戦闘中に迷うのは良くない。でも事前の準備段階では、数字と向き合うことで危険を減らせる。強さを追い求めるなら、コスパを意識しないのはもったい」
言い返そうとしたアリアだったが、言葉に詰まるように視線を落とした。最近クエストで得たゴールドが、装備の修理費や治療費で消えていく現状を思い出す。
「……たしかに、ほとんどお金が増えない。何回クエストに行っても装備が壊れたら意味ないし、無駄が多いってこと?」
「そう。腕前はあっても、お金の使い方を工夫しないと結果的に損をしてるんだ。しっかり投資して回収できるようになれば、次の武器を早く手に入れられるし、さらに強くなれるかもしれない」
アリアは口をとがらせ、苛立ちとも納得ともつかない表情で木剣を握り直す。
「でも、いい装備を買うにしても、そんな大金持ってないし……」
「そこは冒険者向けの資金調達を使う手もあるけど、いきなり全部は難しいよね。まずは装備選びからROIを意識するといいよ。投資から回収の流れが見えれば、少しずつ装備の品質は上がっていくはずだよ」
「……面倒そうだけど、でも、装備が良くなるなら……」
そう言い捨てながらも、アリアの横顔にはほんのり赤みが射している。数字なんて興味ないと言いつつも、どうやら気になる部分があるようだ。
そこへ、商業科のフィオナが軽快な足取りでやってきた。彼女は諒の姿を見つけて手を振り、笑顔で駆け寄る。
「先生、こんなところにいたんですね! あれ? そちらは戦士科のアリアさんですよね? 前にすごい剣さばきを見たことがあります」
「たいしたことないわよ」
アリアはそっぽを向いて答えるが、その頬がわずかに赤い。フィオナは気づかなかったふりをしつつ、諒の袖を引っ張った。
「あの、先生。前に“インフルなんちゃら”について詳しく教えてくれるって言いましたよね? それで私、ずっと探し回ってたんですよ。今すぐ聞きたいんですけど……」
彼女の勢いに、諒は内心どきりとする。アリアが面白くなさそうにくちびるをとがらせる。
「いんふる……? 何それ。くだらなそう」
「そんなことないです、先生の授業はとても面白いですよ! インフルエンサー戦略っていって、ブランディングっていうイメージ戦略の一環にもなる重要な話ですよ!」
「いんふるえんさー?ぶらんでぃんぐ……? 何を言っているかわからないけど、……ま、休憩中だし、ちょっとなら聞いてやってもいいわ」
アリアはあくまでツンとした態度を崩さないが、その胸にはほんの少し好奇心が生まれ始めているらしい。
「それじゃ、さっそく“インフルエンサー戦略”の要点を話していくね。そうだね、アリアさんにも参考になると思うよ。アリアさんも人目を引く美しさがあるから……」
「なっ、なに言ってんのよ! ほら、早く話しなさいよ」
照れ隠しに木剣をくるりと振り回すアリアをよそに、諒は微笑み勉強会の準備をはじめた。戦士科と商業科のちょっと不思議な勉強会。
フィオナの“インフルエンサー戦略”にも興味を示しはじめ、アリアの世界は少しずつ広がっていく。諒はそんな予感を抱きつつ、ふたりの様子を眺めながら微かな笑みを浮かべていた。