授業3「需要と供給のコントロール」
商業科の教室には、昨日まで学んだ「需要と供給」の演習結果を持ち寄る生徒たちの姿があった。諒は教壇に立ち、黒板の前で微笑を浮かべている。今日はさらに一歩踏み込んで、「需要が急上昇したときにどう利益を最大化するか」「供給をコントロールして有利に進める方法はあるか」を講義する予定だ。
生徒はみな席に着き、それぞれノートを広げたり、落ち着かない様子で話し合ったりしている。
「さて、前回は“需要と供給”について簡単に話しましたよね。みんな、自分で選んだ仮想の商品はまとめてきましたか?」
諒が視線を教室内に投げかけると、真っ先に手を挙げたのはフィオナだった。
「はいっ。私、毛皮を例にしてみたんですけど、冒険者が冬になる前にこぞって買いたがるから、そこで“需要”がバーンと高まる感じでした。でも、みんなが一斉に仕入れすぎると値崩れしちゃうのが悩みです」
ノートを見つめながら軽く眉を寄せる彼女に、諒はやさしい笑みを向ける。
「そのジレンマが“供給過多”の怖さ。じゃあ今度は、需要が上がった瞬間にどう利益を最大化するか考えてみましょうか」
諒が黒板を指しながら話し始めると、カイルが腕を組んでどこか自信ありげにつぶやいた。
「需要が急上昇したら、値段をガツンと上げりゃいいだけじゃねえか? 需要あるなら高く売れるだろ」
諒は軽くチョークを回しながら、苦笑いを浮かべて首を横に振る。
「ある意味では正解です。でも、むやみに上げすぎると“買い控え”が起きる可能性がありますよ。『そんな高いなら買わない』とか『ほかの代替品でいいや』って考えられたら、結局売れ残ってしまう。特に戦士科の連中は“少し寒くても耐えてやる”なんて言い出すかもしれませんしね」
教室が笑いに包まれる中、カイルは気まずそうに口元をゆがめる。
「たしかにアイツら、根性論だもんな……」
フィオナはペンをくるくる回しながら、席を前へ寄せた。
「値上げはほどほどにしたいけど、それでもちゃんと利益を確保するには……どうすればいいんです?」
諒は口元に手を当ててうなずき、黒板に改めて視線を向ける。
「いくつか方法がありますが、一例として“供給そのものを少し抑える”という手です。自分の持つ在庫を一気に出さず、小出しにして高値で売れる期間を伸ばす。ライバルが多ければ難しいし、ユーザーの反感も買いやすい。それに、いずれ高値が下がりきる前に売り抜く決断も要りますよ」
すると、今まで控えめにノートを取っていたエリナが顔を上げ、小さく手を挙げる。彼女が積極的に口を開くのは珍しいことで、諒は内心ほっとしていた。
「なるほど……私、農作物を想定してるんですけど、魔法の保管庫を確保して値段が安い時期をやりすごすのも一案でしょうか。いったん倉庫にしまっておいて、需要が上がったら出すというか……」
エリナの遠慮がちな質問に、諒は「Exactly」と頷く。
「もちろん保管コストはかかりますし、腐敗や魔力漏れのリスクもある。でもそれを上回るリターンを狙えるなら、十分に有効です。これが“供給をコントロールする”という考え方ですよ」
ロイが興味深そうにノートから顔を上げ、指先でページをめくりながら問いかける。
「もし同じことを考えてる人がたくさんいて、一斉に売り始めたらどうなるんでしょう?」
諒はチョークを持ち替え、黒板に「供給過剰→値下がり」と書き込む。
「そこが問題ですね。みんな同じタイミングで売ると、結局供給過剰で値崩れが起きる。だからこそ、競合がどう動くかをリサーチ……調査する必要があります。ギルドや商会の在庫情報を調べて“いつ高値になるか”を見極める。そういう情報網こそ、商業科の強みですよ」
フィオナはペンをクルリと回して、目を輝かせたまま諒を見つめる。
「なるほど。じゃあ需要が自然に高まるのをただ待つんじゃなくて、宣伝で一気に需要を上げちゃうってのもありですよね?」
諒は得意げに笑い、フィオナを見返す。
「鋭いです。需要が高まる時期を待つだけじゃなく、“こちらから需要を作り出す”というアプローチ。まさに商人ができる戦術ですね」
「おもしろい!」
フィオナは声を上げ、気分が乗った様子で席を軽く蹴る。諒は心の中で、やはり彼女には宣伝の才能があるかもしれないと感じた。
「では実習に移りましょう。今日のシナリオは『骸骨騎士団が近々襲来するらしい』というウワサです。もしそうなら、戦士科や魔法科の装備・ポーション需要が一気に上がりそうですよね。みなさんの扱う商品、どうしますか? 供給を増やす? 価格を上げる? 売るタイミングは?」
黒板には大きく「Scenario: 骸骨騎士団の襲来ウワサ」と書かれている。カイルは思わず身を乗り出し、興味深そうな表情を浮かべた。
「うお、骸骨騎士団か……! なら武器強化の素材が要るはず。俺の鉱石は高値がつくな。でも一気に採掘量を増やすと、それだけコストもかかるし……悩むぜ」
エリナは静かにうなずき、手のひらでノートを押さえる。
「兵士たちが増えるなら、キャンプ用の食糧備蓄も必要になりますよね。私の農作物も高く売れるかもしれない。でも、あんまり値段を上げすぎると反感を買いそうですし……」
フィオナは「じゃあ私の毛皮は……」と呟きながら首をかしげる。
「直接は関係ないかもだけど、寒い地域の古城に向かうなら防寒具が必要で、需要が伸びるかも!」
諒は頷きながら、黒板にいくつかポイントを書き足す。
「そうそう、いろいろな考え方がありますよね。そもそもウワサが本当かどうかも重要です。デマなら大損、事実なら大儲けのチャンス。どこまでリスクを取るかで結果は変わる。供給コントロールには意図的なリスク選択も伴うんです」
にぎわう教室の中、フィオナが諒のそばまで歩み寄ってきて、ノートを見せながら小声で尋ねる。
「ねえ、先生。もし私が宣伝で需要を急上昇させたら、“供給不足で値上がり”ってなるんだけど、他の店も便乗して値段を吊り上げたら、客離れが起きそうじゃない?」
諒はフィオナのノートを覗き込み、少し顔を近づけて答えた。
「もちろん、そのリスクはあります。みんなが値上げ合戦を始めたら、お客さんが『もういいや』って離れてしまうかもしれない。だからこそ、顧客に『ここを応援したい』と思ってもらう工夫が必要になるんです。フィオナさんなら、お店や商品にファンをつけるのが上手いでしょう?」
彼女は頬を赤らめながら笑い、「売り子に向いているって言われるけど、ちゃんと商売も回せるかな」と、ほんの少しだけ諒との距離を詰める。諒は思わずどぎまぎしながらも、「宣伝力を活かせば大丈夫ですよ」と軽く笑みを返した。
一方、エリナも机越しに「先生、私も資料をもう少し詳しく見せてもらっていいですか……?」と控えめに声をかける。いつもは遠巻きだった彼女が少しずつ前向きに話し始めたことに、諒は嬉しさを感じていた。
「もちろんです。農作物に特化したケース、別途まとめておきますね。保管庫の費用対効果とか、他の科と連携する方法なんかも整理してみましょう」
「ありがとうございます」
エリナは小さく微笑み、再びノートに目を落とす。その様子からは、以前に比べて心を開いているのがわかり、諒としてはほっとする思いだった。
「さて、今日はここまで。要点は“需要が上がったとき、ただ値段を上げればいいわけじゃない”ということです。供給量や顧客満足も両立しなきゃいけない。リスクとリターンを天秤にかけて決めるのが商人の基本ですね」
諒がそう締めくくると、教室は一気に活気づく。フィオナは「先生、早く“バズ”とか“いんふる……”とか教えてくださいね!」と手を振り、カイルは「俺、レア鉱石の扱い方をもっと考えてみるわ」と興奮気味に笑う。ロイも「どの時期に何を出すか調べるだけでも面白そう」と微笑し、エリナは「しばらく先生の資料、見させてもらいますね……」と控えめながらも嬉しそうにしていた。
生徒たちを見渡す諒は、ささやかな達成感を胸に感じる。戦士科や魔法科にはない控えめだが確かな向上心が、彼ら商業科の大きな強みだろう。フィオナやエリナの積極性が少しずつ高まっているのも頼もしい限りだ。教師としても、個人的な気持ちとしても、教室の雰囲気がどこか温かくなっていくのを感じる。
「次回は、いかに“情報”を集めるかがキモになる話をしようと思います。供給を操作するにしても、世の中の在庫状況を知らないことには判断できませんからね」
諒の言葉に、「楽しみ!」「はい……!」とフィオナとエリナがそれぞれ応じる。その返事がどこか嬉しそうなのを察し、諒も胸に小さな満足感を抱きながら教室をあとにした。