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4. 階段をのぼれ

 札幌駅の観光案内所では、スタッフの人たちが、カウンター前のお客さんと話している。ミヨはなつめの背中に隠れながら、その様子を見つめていた。


「……本当に聞かなきゃいけないのか?」

 緊張した面持ちで聞くミヨに、なつめは、

「ミヨはまず、丁寧なお願いができるようになるべきだと思うの」

と言い聞かせる。


 ミヨの問題の原因はきっと、見ず知らずの人に頼れないことだとなつめは思う。人と話すのに抵抗感があって、化け狐なせいで世間知らずで、失礼のない頼り方もわからない。そうして我慢した結果、どうしようもなくなって、透明な尻尾で脅すなんて極端なコミュニケーションをしてしまうんじゃないだろうか。


 そこで、観光客のふりをするのだ。観光客は基本的に無知なものなのだから、世間知らずなミヨだとしても、それほど不審がられず人に尋ねられるんじゃないかと思ったのだ。


「ほら、言った通りに」

 背中に隠れていたミヨを、案内カウンターの前に引っ張り出す。なつめの首に巻かれた尻尾が、ちょっとだけ締まる。気づけば今朝も首輪を巻かれてしまっていたけれど、今はどちらかといえば拘束されているというより、不安げに裾を掴まれているような気分になる。


 ミヨは口ごもりながらも、聞いた。

「あの……、どこかこの辺りで、高くて見晴らしのいいところ——」


 うつむきがちに、ぽつぽつと喋るミヨの言葉に、眼鏡を掛けた親切そうなスタッフのお兄さんが、うんうんと頷く。ミヨが顔を上げてお兄さんと目を合わせると、声がうわずった。


「——見晴らしのいいところ、教えろ」

「こら」

 なつめが小突くと、ミヨは観念したように、

「……教えて……くれませんか」

と声を絞り出した。


 お兄さんは、にこやかな笑顔のまま「ご案内させていただきますね」と、地図を取り出す。

「市内中心部ですと、まず大通公園にテレビ塔がございまして——」

 説明するお兄さんの言葉を、ミヨは真剣に聞いている。こくこくと頷くたびに、なつめにしか見えない狐の耳が、ふるふると揺れる。


「じゃ、じゃあ、パフェを食べられるお店はないか——ないですか?」

「いくつかございまして、例えばテレビ塔の近くですと——」


 なつめは少し後ろに下がって、ミヨとお兄さんのやりとりを眺める。ミヨの会話は、たどたどしいけれど懸命で、本当に地上に出たいんだな、と改めて思う。お兄さんとの会話を終えたミヨは、観光パンフレットを手に、興奮した様子で戻ってきた。


「テレビ塔と白雪パーラーがおすすめらしいぞ! どうだ!」

「お、じゃあ行こっか」

 ミヨの手にしたパンフレットも見ずになつめが歩き出そうとすると、ミヨがあんぐりと口を開ける。

「おまえ、知ってて聞かせたのか!」

「練習問題を作るんだから、答えも知ってないとね」


 もともとすずと観光しようと思っていたなつめは、札幌の観光名所とグルメのことは調べていた。それがミヨのせいで叶わず、すずはもうきっとオープンキャンパスに行っている。少しくらいは仕返ししてもいいかな、と思っていたのだ。


「乳業会社がやってるお店の、しかも卵なしのアイスなんだってよ? どんな味なのか楽しみだよねえ」

 ここぞとばかり、これ見よがしに語ってみせると、

「この、食欲お化け!」

と憎まれ口を叩くミヨを見て、ちょっとにやにやする。


 けれど、ミヨが、

「がんばったのに」

と肩を落とす姿を目にして、なつめはつい、

「ごめんって。やればできたじゃん」

と励ましてしまった。


 そのとき、さっきの眼鏡のお兄さんがふたりに声をかけた。

「そうそう、テレビ塔は今日ですと『階段のぼり』をやっていますよ」


    §


 階段からはるか下を覗き込んだミヨが、小さな悲鳴を上げた。

「地上を見に来たのに、下なんて見てられないぞ!」


 八月らしい青空の下、ミヨとなつめはテレビ塔の外階段を上っていた。『階段のぼり』は上りの片道で外階段を使えるイベントらしく、地上九十メートルの展望台までを、シンプルな鉄板の階段で上っていく。周囲のビルよりも高いところに来てしまうと、階段の周りには、テレビ塔の骨組みとエレベーターのロープくらいしかなくて、空の上の鉄板を歩かされていると言っても過言ではなかった。


 もしも今、スマホを持つ手を滑らせたとしたら、きっとスマホは数十メートル下で粉々になってしまうだろう。その様子を思い浮かべてぞっとしたなつめは、スマホを慎重にポケットの奥に押し込んだ。


 ミヨの声が震えている。

「あの眼鏡、後で文句言ってやる——」

「ほら、展望台まで行けば怖くないはずだから」


 前を行くミヨは、震える両手で手すりを握りしめて、及び腰の情けない姿で階段を上る。なつめですら怖いのに、高いところが初めてなうえ周りに嫌いな青色ばかりでは、震えるのも無理はない。


 直視できずに視界の端で捉えた地上の景色の中では、豆粒みたいな大きさの人たちが、広い大通公園で思い思いに過ごしている。ときどき、楽しげな声がはるか下の方から聞こえた。


「ミヨはさ、地上に住んだらやりたいこととかあるの?」

 周囲の景色から意識を逸らそうとしてなつめが聞くと、ミヨは少し考えてから、震える声で答える。


「……ただいま、って言ってみたい」

「ただいま?」

「おまえらは家に戻ったときに、『ただいま』とか『おかえり』って言うんだろ。帰ったら誰かがいるっていう気持ちを、知ってみたい」


 それがわたしの夢だ、と言ったミヨが、階段を上る足を止める。

「……できるんだろうか」

「ミヨががんばったら、いつかできるかもよ」

「本当にそうか? じゃあ、おまえの夢はなんだ?」


 質問を返されて、なつめは少しの間、言葉を失った。

「無い、かなあ」

 医学部に受かる未来なんて全然見えないのに、どうせ、父の病院を継ぐ道しか選べないのだ。それとも、なつめに夢があったら、医学部に行かせようとする父にも言い返せたのだろうか。

「将来どうしてるかとか、よくわからないし」


 なつめの前に立ち止まっていたミヨが、及び腰のままで振り向いた。

「じゃあ、食べ物のことを仕事にするっていうのはどうだ? レストランの仕事なんて、食欲お化けのおまえにぴったりだろう」


 飲食系かあ、と少し考える。確かに食べ物は好きだけれど、人と話すのが苦手ななつめには、接客業は荷が重い気もする。

 テレビ塔の外階段という場所のせいか、なつめは急に、心もとなさがこみ上げてきた。


 そのとき、強く風が吹いた。

 ミヨがまた悲鳴を上げて、階段の上にしゃがみ込む。

「やっぱりだめだ——まともに地上に出たこともないのに、こんな高いところ、わたしには無理だったんだ」

 首輪になった尻尾から、ミヨの震えが伝わる。地上を紹介するといっても、こんなに怖がらせてまでやるべきことじゃないのかもしれない。


 けれど、でも。なつめはミヨの尻尾に手を重ねた。

「いいよ、無理なら戻っても」

「おまえ——」

 ミヨの瞳が揺れていた。

「——でもミヨが進むなら、わたしも一緒に怖がってあげる」

 わたしはミヨと一緒に外に出たいんだと、ミヨがいつか『ただいま』を言えると信じたいんだと、そう思う。


 なつめの目を見たミヨは、両手で手すりを掴んだまま、立ち上がって、踏み出した。

「なつめの、バカ——!」


 ミヨは叫びながら、駆け出していく。上を向いて、必死な顔で。

「ちょっと、首! 首輪!」

 駆け出したミヨに首を持っていかれそうになりながら、なつめも続いて駆けあがる。


 周りに何もない階段の上で、ふたりで空へと走っているみたいだった。もう立ち止まったりなんかせずに、そのままゴールの展望台へと駆け込んだ。


 なつめもミヨも、その場にしゃがみ込む。なつめは自分が息切れしているだけじゃなくて、身体ががちがちにこわばっていることに気がついた。


「こんな怖いことをしてるなんて、やっぱり地上の人間は正気じゃないぞ」

 息も絶え絶えなミヨの背中をさすってやろうと立ち上がると——顔を上げたなつめの視界に、その光景が飛び込んでくる。

「でも見てよ、ガラスの向こう」


 ガラス越しの目の前には、札幌の街を作り上げているたくさんのビルや家たちが、地平線みたいな緑の山々の方まで、見渡す限りにどこまでも続いている。今、ふたりはその建物たちよりも上にいて、ここから見上げる空はどうしようもなく広くて、青かった。


「……わたしが、わたしの足でここまで上ってきたのか? こんな世界のてっぺんまで、わたしが」

「そうだよ。ほら、あっちの窓から大通公園が見えて、その下に地下道が通ってる」


 地上の景色に、ミヨが目を丸くする。無邪気な笑顔を浮かべて、声を上げる。

「すごい! すごいなあ!」

 喜ぶミヨを見ていると、なんだか自分まで一歩踏み出せたような気がして、なつめはしばらく、満ち足りた気持ちで広がる空を眺めていた。


    §


 テレビ塔を下りて、次の目的地、白雪パーラーに向かう。

 ミヨにどうやって注文練習をさせようか、と考えていると——パフェの並んだショーケースの前に、そこにいるはずのない、すらりと背の高いあの子が立っていた。

「なっちゃん」

 どうして、となつめは息を呑む。


 そこにいたのは、オープンキャンパスに行っているはずの、すずだった。

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