三十日目
三十日目
ボロボロになりながらたどり着いた次の目的地は、今までと比較にならないぐらい大きな町だった。ちなみにボロボロになった原因は道中に出会った魔物……なわけがなく、もちろん修業と称して不定期に攻撃してくるリィナのせいだ。それでも立てないぐらいに疲労していた頃と比べて、今ではある程度の余力を残して宿屋にたどり着けるぐらいになったのだから、かなりの進歩だと思う。……たまに「おっと手が滑った」と演技下手な声で光の剣を突き刺してくるのだけはホントやめてほしい。死ねるから。
「でかい町だなあ」
5メートルほどある城壁を背にして、町の中へと向かう。視界に広がるのは石造りの街並みで、大きな通りの両側には良い匂いのする露店が並んでいた。ヨーロッパの地方にありそうな光景だなと、ふと思った。
「王国内でも1、2を争うからのぉ。オルガの子孫は上手くやっておるようじゃの」
「オルガ?」
「この街の領主じゃよ。ヤツにはいろいろと世話になってな」
「いろいろと……酒でもたかったのか?」
「お主はわしをなんだと思っとるんじゃ……」
眉間に皺を寄せたリィナが半眼を向ける。それに応えることはなく、大通りへと向かう。
「知り合いなら顔見せにいくか?」
「必要ない。行ってもおるのはオルガの子孫じゃからな。無駄に歓迎されて疲れるだけじゃ」
「……そういうところ、全然王族っぽくないよな」
「わしは外であれこれやっていた時期の方が長いからの」
「なるほど。だからこんな野蛮人に……」
「なんじゃと……む?」
俺を睨んで細めていた目が丸くなっていく。くるりと体の向きを変え、くんくんと鼻を鳴らした。
「どこからか旨そうな匂いが」
たしかに軒を連ねて並ぶ露店から食欲をそそる良い香りがしてくる。太陽が西へ傾いたこの時間は食べ物を扱う露店が多いようだ。
「涎垂らすなよ。一応有名人なんだからな」
インターネットやデジカメのない世界だ。王都外に今の彼女の姿が知られることはなくとも、リィナが魔王討伐に向かっているという報は伝わっているはず。一応口伝の救世主なのだ。痴態は晒せない。
とは思うものの、ぶっちゃけどうでもいい。ただこのおっさん少女……いや、見ようによっては幼女が救世主だとバレて一帯が騒動になり、それに巻き込まれるのだけはイヤだ。そりゃ俺が主人公してたら騒がれるのもやぶさかではないのだが、今の俺はリィナの付き人その一だ。注目されるのは俺ではなくリィナであり、キャーキャーと声援を受ける彼女の横で惨めな思いをするだけなので御免被りたい。
「よ、涎など垂らしておらぬ」
じゃあなんで手の甲で口の端を拭うのか。
「な、なあ孔雀よ。そろそろ腹が減っておらぬか?」
減っているのはそっちだろ。という言葉を飲み込み、そうだなと同意する。
「よし、ではここの露店で晩飯としようではないか」
俺の方を向き、両腕を一杯に広げる。仕草が子供っぽくて思わず頬が緩む。
「孔雀。あっちに肉の串焼きがあるぞ。どうじゃ?」
「いいんじゃないか?」
「うむうむ。ではあれと……むっ、あそこの露店からも芳ばしい香りが。あれもどうじゃ?」
「いいと思うぞ」
嬉しそうにリィナが頷く。あくまでも俺が食べたいから買う、としたいのだろう。
「ほら、売り切れる前に行くぞ」
前を歩くリィナの後を追って、立ち並ぶ露店の一つへと向かった。
「ふぅー。食った食った」
少女にあるまじき膨れた腹を擦って叩くという行為にこっそりため息を吐く。いろいろと台なしだ。
「む、どうした。ため息なんぞ吐いて」
「何でもない。さて飯も済ませたことだし、宿でも探すか」
「そうじゃな。最近床の固いベッドばかりじゃったから、今日はもう少しマシな――むっ」
ふいにリィナが怪訝な顔をしてあさっての方向を向く。なんだろうと視線の先を追うが、特に気になるものはなし。強いて言えば、露店が洋菓子を扱っている店のようで、他の露店とは違う甘い香りを漂わせていることだろうか。
酒飲みおっさんに甘味の趣味はないだろうと思っていたら、またもやリィナは鼻を鳴らしていた。もしやとそのまま見守っていると、なんとその足が露店へ吸い込まれるように向かって行くではないか。
「どうしたリィナ?」
見つめる先が何か分かっていながら敢えて聞いてみる。ハッと気付いたように俺の方に振り向くと、しばらく視線を彷徨わせてから口を開いた。
「あ、あれはなんじゃ?」
リィナが露店に並ぶケーキらしき物を指差す。ショートケーキのようだが、スポンジの間に挟まったのとクリームの上に乗せられた果物がイチゴや桃ではない何かだった。
「見れば分かるだろ。菓子だよ菓子」
「ほぉ、これが菓子か……っ」
初めて見たかのような言い方で目を輝かせる。この世界で菓子は珍しいのだろうか。いや、露店としてあるぐらいだからどうでもないばずだ。リィナが知らなかっただけだ。
しかし冷蔵庫や透明度の高いガラスのないこの世界でどうやって菓子類を陳列しているのだろうと見れば、ケーキの収められた透明なケースらしき物から白いもやが出ていた。触ってみると冷たく、どうやら氷らしい。この半袖快適な時期に野外で氷が解けず残っていることに驚く。
「この氷、よく解けずに残ってるな……」
「ん? ああ、ほらそこに魔方陣と魔法石があるじゃろ。あれで氷を生成しとるんじゃよ」
魔方陣は魔法が使えない者でも魔力を注ぎ込みさえすれば発動できる便利グッズ。魔力石は魔力がない人が魔法を行使する際に使用する、魔力が詰められた特殊な石だ。その二つを使うことでこの氷のケースを維持しているようだ。
「へぇ、便利だな」
「便利じゃが、魔力石はそこそこ値の張るものでな、これでは割に合わないと思うんじゃが……そういえばこの町の近くに魔力石の鉱山があるとか言っておったな。それで安く仕入れることができるんじゃろな。……それよりも」
リィナがチラリとこちらに目を向ける。
「孔雀よ。これ、旨そうだと思わんか?」
「え、まあ、そうだな。でも今食べたばかりだろ?」
さっき腹を擦っていたと思うのだが。
「うっ……。た、たしかにそうじゃが……ほら、まだ腹に余裕はあるじゃろ? あれだけではお主も満足しておらんじゃろ? まだ〆がほしいところじゃろ?」
「いや俺は八分目で丁度いい感じ――いだっ!?」
いつの間にか掴まれた腕がミシミシと悲鳴を上げる。
「ほしいじゃろ?」
笑顔でさらに締め付けてくる。彼女の腕には血管の一つも浮かんでいない。顔色一つ変えずにその細腕から繰り出される全てを握りつぶすほどの握撃は、それでも彼女がかなりの手加減をしていることが分かる。
「ほしい、ほしいから止めろ折れる!」
そう言うとすぐさまリィナは手を離した。腕にくっきりとした手の跡を残して。
「そうかそうか。孔雀は食いしん坊じゃのぉ。しかし腹を空かせたままでは寝付くのもしんどかろう。ちょうどここに菓子がある。菓子でも買うて腹を膨らませるとするか。っと、どうしたんじゃ腕なぞ擦りおって。どこかでぶつけたのか?」
「……別に」
ペラペラと言い訳がましく喋ってからの惚け顔。一発土突きたいところだが、俺では彼女に傷一つつけることもできない。むしろ反撃されるのがオチだ。ここはギリギリと歯を噛んで耐える。
「なんともないようならいいんじゃ。さあ、どれを買おうかの。孔雀の分もわしが見繕ってやろう」
分もって、どうせほとんどお前が食べるんだろ。
リィナがクルリと人差し指を回す。するとその円から細かな細工が施された巾着袋が現われた。リィナ個人の財布だ。いつもは別次元に保管しているらしいのだが、入り用の時はああやって呼び出している。あれのおかげでその他の荷物も同様に仕舞って貰えているので、俺達は旅人らしくない手ぶらでの旅ができている。
リィナは巾着袋から金色に輝く貨幣を1枚取り出し、露店の主に投げ渡した。
「それで足りるかの?」
巾着袋を異次元に戻しつつ尋ねる。露店の主は受け取ったその貨幣に目玉が飛び出るほどに驚いて、ひとしきり慌てふためいた後に「ご、ご自由にどうぞ!」と魔方陣の書かれた紙を台から取り払った。
「……リィナ、いくら渡したんだ?」
魔方陣が取り払われたことで氷のケースが消えていくのを眺めつつ小声で尋ねる。
「宿で渡しているものと同じじゃよ。小銭は持っておらぬのでな」
宿屋で支払っている物と同じということは、家一軒買えるというこの国で最も高額な貨幣か。そりゃ店主も驚くはずだ。
「そんな無駄遣いしてもいいのか?」
「なに、金なら腐るほどある。お主が気にすることではない」
「それなら良いけど……って、なんか周りから注目されてないか?」
いつの間にやら俺達に多くの視線が集まっていた。とくに目立つようなこともしていないのにと怪訝に思う。
「わしらが金持ちとバレてしまったからの」
「え? ああ、そうか。って、それってやばくないか? 変なヤツに目を付けられ出もしたら――」
「それこそお主が気にすることではない。わしに敵意を持つ者はそれだけで勝手に自滅するよ。ほら、あそこにいるあやつらのように」
リィナが指差した先には、何故か火だるまになった男達数人が火を消そうと地面を転げ回っていた。
「自業自得じゃの」
「……なんで燃えてるんだ?」
「盗みに入る前か後にわしらの泊まっていた宿を燃やすつもりじゃったのじゃろ。わしの魔法はその者がやろうとしていたことをそのまま返す。便利じゃろ?」
たしかに便利だが、やられた相手としてはまだ何もしていないのに突然自分が燃えだしたのだ。少しだけかわいそう。
「皆の目があいつらに向いている今がチャンスじゃ。店の主よ、適当に貰っていくぞ」
そう言うと返事を待たずに持てるだけのケーキやクッキーを俺に抱えさせ、自らもいくつかの菓子を手に、その場から逃げるように立ち去った。