14歳④
ソラは面白くないとムラを抜け出す。抜け出すといっても夜には戻るくらいのささいな距離だ。
ムラの外周は直径100メートル程、深さ2メートル程の溝で囲まれており、一か所だけ掛っている橋が出入り口になっている。ソラは時々思う。この溝は何のためにあるんだろう。
以前、誰だったか、大人に聞いた時、イタチやクマなど食べ物を荒らすケモノが入ってこないように、うまくいけば溝に落ちて捕まえられるようにと言っていた。確かに理屈は通っている。実際にケモノが獲れることもごくたまにある。しかし、それにしては溝は深すぎるし、幅も広すぎるように思える。むしろ人が入れないようにと言われたほうがしっくり来る。まあ、滅多にムラの外から人なんて来ないのだが。
ムラを出ると緩い上り坂の一本道が続く。500メートルほど登り切るとそこが天辺で、そこからはケモノ道だ。天辺には大きな木があり、あたり一面を見渡せるので、その木の上が気に入っている。むしゃくしゃした時や悲しい気分になった時、ひとりでいろいろと考えたいときはたいていこの木の上に登る。
今日もソラは木をよじのぼって適当な枝に座った。その時、不意に頭上から声。
「よう。ソラ。何やってるだ?」
このマヌケ声は、いつも一緒にいるドングリか。木の上はソラのお気に入りの場所だが、うすらバカのドングリのお気に入りの場所でもある。
「ちょっとな。お前は?」
「オラも、ちょっとな」
ドングリが、少し元気がない。ある程度察しがつく。ドングリの「ちょっとな」はだいたいいつも同じだ。
「また振られたな」
「うるせえ」
「今度は誰だ?」
「マ、マボ・・・」
「そうか、マボにか・・・おまえずっと好きだったもんな。なんて言った?」
「オラのすげえところを見せようと思ってな」
「まさか、あの石を木の棒で打つってやつを・・・」
「マボのやつ『それって何かの役に立つの?』だってよ」
ソラは思わず噴出した。「さすがマボは言うことがまともだ」
「すげえ遠くまで飛んだんだけどよ・・・」
ドングリのうすらバカを治す方法はあるんだろうか?
「オラのことはもうほっとけ。ソラは?どうせオサとの話がうまくいかなかったんだろう」
「そんなところ。やってられねえ」
「オラもだ。気が合うな」
「オレとお前じゃ悩みが全然違う」
憎まれ口を叩きつつも、ドングリと話しているとふと気が楽になる。無駄に木の棒を振り回すことに熱中するドングリ、いろいろ考えては皆に理解されずに苛立っている自分。結局おんなじことなのかもしれない。でも、人に理解されないことの中にも意味のあることはあるんじゃないか。ドングリと話していると、そう思えることがたまにある。
「・・・ソラ。あれ見てみろ。人が歩いてくるぜ」
ドングリが不意に言った。こんな時間にムラへ人がやってくるなんておかしい。 言われてソラも目を凝らす。
「・・・本当だ。ムラハチ・・・」
「ああ、ムラハチだ。やけに早ええな。この前来たばっかりだろう」
ケモノ道を歩いて来るムラハチは冬を20回超えた、ソラとドングリよりも年長の男だ。見たこともないような貝でできた装飾品を首や手首から下げていて、ムラの男とは少し雰囲気が違う。何と言っても厳格なムラの男たちとは違って圧倒的に性格が軽いのだ。
しかし、実はムラハチはオサの息子だ。どうしてオサの息子がムラの外からやってくるかと言うと、ずいぶん前にオサと大喧嘩をしてムラを出たからだ。それ以降ムラハチは、海の集落と山の集落を行き来して、海で採れるものを山に、山で採れるものを海に持っていくことで暮らしを立てている。
自分の意志でムラを出た男なんてこれまで例がなかった。そのため、かなりの変人と見られている。
ムラハチがオサと大ゲンカをしてムラを出た時のことはソラも覚えているが、それは台風のような大騒ぎだった。オサは怒り狂って、実の息子を槍で突こうとするし、ムラハチのカカや弟は泣きすがって止めようとした。しかし、結局ムラハチは最後に「じゃあな」と言い残してムラを去って行った。
ムラを自分の意思で出て行く。そんなことソラだって考えたこともなかった。あまりにも衝撃的。しかし、ソラだけかもしれないが、そこには救いがある気がした。ムラの暮らしが窮屈なら、何かをしたくなったなら、いざとなれば、自分もムラを出て行けばいい。そうすれば、きっと新しい世界が広がっている。そんな道を教えてくれた男。口には出さないがソラはムラハチに憧れている。
ソラとドングリはするりと木の上から滑り落ちて、ムラハチが歩いてくるのを待った。
「よう。ソラ。ドングリ。出迎えご苦労」
今日もムラハチは軽い。
「出迎えなんかしねえよ。たまたまだ。この変人野郎」
ソラは憧れの対象にまで憎まれ口をたたいてしまう。ひねくれっぷりは筋金入りだ。
「なんだよ。冷てえな。ほら、塩だ。食え」
ムラハチは肩から下げた袋から塩を少し取り出し二人に差し出した。
「ありがてえ。あーしょぺえ。ごほごほ。うめえ。うめえ。」
さっそく、ドングリが一気に口に入れてむせていた。山の暮らしでは塩は貴重だ。滅多に口にできない。
「それで何してたんだ?こんなところで。もうすぐ日が暮れるぞ」
「ちょっとな」
「面白くねえことがあるって顔に書いてるぜ。話してみろよ。最近ソラの話はおもしれえからな」
「面白くねえよ。また、すげえことを考えてオサに話しに行ったんだけど、『暮らしは変えるな。森の神様の定めるとおりに暮らせ』で終わりさ」
「ははは。相変わらずだな。あのジジイ。オレがムラに塩や魚を持ってくるのもよく思ってねえしな」
「みんな喜んでる。ごちゃごちゃうるせえのはオサだけだ。他のやつらは口じゃいろいろ言ってもオサの手前言ってるだけだ」
「よくわかってるじゃねえか。お前だんだん大人になっていくな」
「オラは?」塩を食い終わったドングリが話に入ってきた。
「お前は相変わらずだ。うすらバカのまま」
ムラハチはにかっと笑って言う。ムラハチの笑顔につられて、ソラもドングリも笑った。ムラハチと話していると悩んでいることがバカバカしくなってくる。
「それで、ソラ。今度はどんなすげえことを考えたんだ?」
「モンジさ」
「モンジ?」
「声を書くんだって。意味わかんねえだろ」
ドングリが言う。ムラハチは少し黙ってから聞いた。
「声を書く?それをソラが自分で考えたのか?」
「そうだ。でも誰も理解できねえ。理解しねえ」
ムラハチはまた少し黙る。そして言った。
「いや。ソラ。お前すげえぞ」
「ソラがすげえってどういうことだ?」
ドングリが聞いた。
「声を書くって聞いたことがあるんだ。見たことはねえけど」
「どういうことだ?教えてくれ」
ムラハチが説明をする。
「ここから日の沈むほうに1000日間歩いて行くんだ。そうすると海があるからその海を越える。今度は100日間船をこぐと、見たこともねえようなでっけえムラがあってそこの人達は声を書いているらしい。そういうことだけをして暮らしているやつもいるらしいぞ」
「そいつらは何で声を書くんだ?」ドングリが聞いた。確かに、書くことだけで人が暮らしていけるなんて想像がつかない。一体どんなムラなんだろう?
「それはオレもよくわからねえな。でも、人の数が違うと、ムラのきまりや、そこで暮らす人がやらなくちゃいけないことも違うんだろう。とにかく、ソラは声を書くってことを考えたんだろう。お前のムラじゃ役に立たねえかもしれねえけど、でもすげえことだ。もしかしたらソラはオレたちの誰よりも先を行っているのかもしれねえぞ。ソラ。お前の考えはいつかきっと役に立つ時が来る気がする。考えるってことを大事にしろ」
「ありがとう。ムラハチ。嬉しいよ」思わず素直な言葉が出た。生れて初めて自分の考えを認めてもらったように思えて嬉しかった。
「なあ、ムラハチ。オラも聞きてえんだけど」
ドングリがいつになく真剣な顔をして言った。
「何だ?」
「そのでっけえムラでは丸い石を木の棒で打つってことはやってねえのか?」
「そんなこと聞いたこともねえ」
ドングリは「そうか・・・」とつぶやき、うなだれる。かわいそうなやつ。
「それでムラハチ。今日は何で来たんだ?この前来たばっかりだろう。早くねえか?」
確かにムラハチがムラに塩や魚や貝を持ってくるのは年に数回。それも一度来たらしばらくは来ない。
「実はすげえものが手に入ってな。それを持ってきたんだ。お前たちこれを食ってみろ」ムラハチは今度は袋から掌で握れるくらいの白く光る塊を取り出した。
「何だ?これ?」
「ヒエみてえだな」
「ヒエじゃねえ」
「アワだ」
「アワでもねえ。これはコメって言うんだ。いいから食ってみろ」
ムラハチは白いコメのおにぎりをソラとドングリに差し出した。
「こ、これは・・・」ソラは言葉が出ない。
「う、うめえ。こんなうめえもの初めて食べたぞ」ドングリがおにぎりをガツガツと食いながら言った。
「だろう。うめえだろう。これはなヒエやアワみてえに地面で採れるもんだが、作ろうと思えばたくさん作れる。毎日こんなものが食えたらすげえと思わねえか?」
「す、すげえ。これを毎日?それが本当なら餓えることがなくなる」それはソラがずっと思い描いていたことのひとつだ。
「こんなうめえものを毎日食えるなんて・・・」ドングリもよだれを垂らしながら感激している。
「これをな。オヤジに。いや、オサに食わせてみる。オサが許せばお前らコメをムラで作れ」
「ああ。絶対に作る」
「オラも」
日本にコメを、稲作文化を持ってきたのは中国の、あるいは東南アジアの渡来人だと言われている。どっちが本当かはわからない。だが、とにかくムラハチの手元にあるコメは、渡来人が持ってきたものが日本の西から東へ、北へと伝わっていく過程でその手に渡ったものだろう。これを機に日本の経済基盤は狩猟採集から農耕へと変化し、自然をコントロールするという概念が芽生え始めた。
自然発生的に、あるいは運命的にもたらされたこの歴史的転換点は、その後、ムラの、ソラの、ドングリの運命を大きく変えていくことになる。しかし、このムラでは何をするにもオサの承認を得なければならない。ソラにとってムラハチの持ってきたコメは希望のそのもののように見えた。そう簡単にはいかないだろうとは思いつつも、胸の高鳴りを抑えることができなかった。




