24歳③
サルたちが去った後、ムラのみなは、その後ろ姿が見えなくなった後も、黙って立ちすくむことしかできなかった。ムラ同士でもめるなんて初めてのことだ。二つのムラは経済的に独立しているため、たとえ食料の不足する時も、基本的に自分たちで何とかしてきた。それが暗黙のルールでもあった。よそから奪うという発想はなかったし、当然、ムラ同士で戦ったことなんてこれまでなかった。一体どうなってしまうのか?ソラは不安に胸を駆られながらも、仲間たちにそれを見せないよう気丈にふるまわなければならなかった。オレが不安になればみなが不安になる。オレがしないといけないのは考えることだ。オレが考えないと誰も助けちゃくれねえ。オレがオサなんだ。ちくしょう。オレが何とかしないといけないんだ。なあ、ヒカリ。ムラハチどうすればいい?
その夜、ムラでは会議が開かれた。サルたちは50人で武器を持ってやってくると言う。問題はさしせまっている。戦うか、大人しくコメを渡すか。
「ソラ。どうする?」重たい空気で最初に沈黙を破ったのはイシコロだった。それを受けてソラが言った。
「まずはみんながどう思っているか聞きたい?」
ざわつく空気の中で各家長はぼそぼそと思っていることを話し出した。
「あいつら50人で来るって言ってたな」
「やっぱりあいつらのムラはでかい。戦える男が50人いるってことだ。それに、あのオサ。サルはでかい。力も強い。ここにいる15人じゃ勝てねえ」
「でも戦わなければコメを全部取られちまうぞ」
「戦うなんてオレは嫌だ。怖ええ」
「じゃあコメがとられてもいいのか?」
「それは嫌だ」
みんな怯えている。無理もない。ソラだってそうなんだ。
「じゃああいつらをやっつけるしかねえだろう」
「だから50人に15人で勝てるのか」
「何弱いこと言ってるんだ。戦わねえうちから」
中にはすでに戦う決意を固めているものもいるがあくまで少数派だ。初めて直面する隣村との戦いの危機に、意見はなかなかまとまらない。
そんな中イシコロが言った。
「オレも戦わなくちゃいけねえと思う。今回コメをやったらあいつらはきっとその次も、その次もやってくる。そうなるとその度にコメをやらなくちゃいけない。一度たりともあいつらに弱いところを見せちゃあいけねえ」
ムラの実力者であるイシコロの意見が議論の均衡を少し破る。
「イシコロの言う通りだ。戦うしかねえ」年の若いイヌが赤く頬を手で押さえながら、まっさきにイシコロに賛同した。イヌは今日、サルに殴られた恨みがある。
「そうだ。狩りと一緒だ。遠くから矢で射てやればいい。4,5人も殺せばあきらめて帰るだろう」
家長の中で特に体力に自信のある若い連中から、イシコロやイヌら、武力行使派に賛同する声が徐々に聞こえだす。
「狩りと一緒なら死んだやつの肉は食えるな」
「そうだ。狩りに行く手間も省ける」
「そうだ。そうだ」
みなが自分を奮い立たそうとして叫んだ言葉が、徐々に自分たちの闘争本能に火をつけ始めていた。戦いへの熱はゆっくりと回りに広がり出す。
そんな中、むっつりと黙っていたドングリが口を開いた。
「お前らそれ、本気で言っているのか?」
イシコロが少し驚いた顔でドングリを見る。
「どういうことだ?ドングリ?お前まさか怖ええのか?」
「ああ、オラは怖い」
その割にはドングリはいたって平静に見える。むしろ、戦いを恐れているのは、興奮している武力行使派だ。イシコロはドングリをにらみつけて言った。
「お前は狩りの腕はよかったがとんだ腰抜けだな」
ドングリは下を向いたまま静かに言う。
「オラはお前たちが怖い」
「どういうことだ?」
「お前たちいつの間に人をケモノのように殺すなんてことを平気で言うようになった?いつの間に隣のムラと戦うなんて考えるようになった?それもたかがコメのためだぞ。イシコロも、みなも、コメを作りだしてから狂っていっているようだ。オラはそれが怖い」
「じゃあ、せっかく作ったコメをあいつらに黙ってやれって言うのか?」
「ああ、オラはそれでいい。食い物ならオラが狩りをして取ってきてやる。もともと数年前まではコメなんかなくても暮らしてた。また狩りをしたり栗を拾ったりして生きていけばいい。こんな、みなが狂うようなコメ作りならやめたほうがいい」
ドングリは静かに言う。その主張は筋が通っている。しかし、戦いの熱気。それを鎮静化させるほどの力はなく、その声は簡単には届かない。
「今さらコメのねえ暮らしに戻れるか」
「そうだ。そうだ」
「コメは渡さねえ」
ついさっきまでは戦うか戦わないかで議論が均衡していたはずが、今ではドングリに賛同するものはいなくなっていた。
自分たちが優位にあると感じイシコロが言った。
「決めるのはソラだ」
ソラは黙ってみなの話を聞いていた。みなの視線が注がれてもしばらく黙っていた。そうだな。簡単なことだ。答えなんてはじめから出ていた。そして口を開いた。
「コメはやれねえ」
「戦うのか?」イシコロが聞く。
「ああ」静かに肯定する。
その言葉を聞いて、ドングリはソラの目をまっすぐに見て言った。
「よせ。ソラ。戦うってことはけがをしたり、死んだり・・・。危ない。危険だ。みなを危険にさらすってことだ。それもたかがコメのためにだ。お前はオサだ。みんなを守るのがお前の役割だろう」しかし、ソラの瞳は揺るがない。
「戦うのはみんなを守るためだ。みんなを守るためにオレたちは戦うんだ。みんなの豊かな暮らしをオレたちで守るんだ」
「戦いなんて豊かとは違うだろう。豊ってのはそんなことじゃあねえ」
「いや、そういうことだ。オレはいつかこの日がくるとは思っていた。オレたちは豊かになるためにコメを作った。そして豊かになった。でもそれだけじゃあだめだ。豊かになったらその豊かさを守らなくちゃいけねえ。オレはわかってたんだ。豊かになるっていうことは工夫するってことだけじゃだめだ。いつか戦わなくちゃいけないんだって。戦いに勝ったやつしか豊かに生きていけねえんだ。もともと、オレたちの暮らしは戦いそのものだったんだ」
「違う。そうじゃねえ。おまえが戦わせようとしているだけだ。戦わなくても生きていけるのに」
二人の議論は平行線だった。このまま話しても交わらないだろう。ソラはそれがわかっているのかドングリとの話を遮って言った。
「みな聞いてくれ。確かに15人で50人と戦うのは怖いと思うかもしれない。だが、恐れることは何もない。オレはこの日がくることが分かっていた。どうすればあいつらに勝てるかも知っている。戦って、勝って、あいつらのコメも奪ってやろう」
コメを奪う。戦い。勝利。略奪。ソラの言葉で新たな概念がムラにもたらされた。今まで奪われそうなコメを守ることしか考えていなかった。しかし、ソラの言うとおりだ。戦いに勝てば隣村のコメを奪うこともできる。そうすると来年の秋までずっとコメを食べることができる。その事実はムラの人間にとって衝撃的な発見だった。
そして、ソラが力強く言った。
「それでは戦うことに賛成のものは骨をオレの前に置け」
迷いをなくした時、ソラの声には不思議な響きがこもる。人々を従わせる響きだ。自分こそが善であると妄信させるような響き。ソラはこれまで随所随処でその声を駆使し、皆を導いてきた。そうすると、誰もがソラの判断を疑わなかった。
かちり。かちり。今回も当然のように、ほとんど全員が手にした白い骨をソラの足元に置き、隣村と戦うことが決まった。反対したのはドングリだけだった。みなが一心にソラの支持を待っている中、ドングリは目に表情もなく下を向いていた。ソラはほんの一瞬で勝利への道筋を頭に描き出した。オレは戦いに向いている。自分の考えの輪郭を固めながらソラはそのことを実感していた。
「それではこれから何をするか話す」ソラが段取りの説明を始める。ドングリのことはもう視界にすら入っていない。
「まずはイノシシ、タカ」
イノシシとタカは年も若く、ソラへの忠誠心も強い。呼ばれて即座によく通る声で「はい」と返事をした。
「お前たちはこれからすぐに隣の村まで走れ」
「どういうことだ?」と、イシコロ。
「今夜は月夜だ。今から行けば夜が明ける前に隣の村に着く。隣の村についたらやつらの武器をありったけあつめて火をつけろ」
イシコロは膝を叩く。
「なるほど、矢や槍を持った50人と素手の50人じゃあ全く違うな」
皆の目を見てソラが言った。
「うまくすればこれだけで戦いを終わらせられる。しかし、もしもの時のためにムラの中でも戦う準備をしておく。イノシシとタカには戻ってから話す。早く行け」
イノシシとタカは月夜を矢のように駆けて行った。
「そして、残ったみな」ソラは再びみなを見た。
「これから夜通し準備をする」
「何をするんだ?」
「作りながら教えてやる」そういいながらソラの口の端はかすかに歪んでいた。ドングリはそれを見ながらソラの中の狂気を見た気がして恐ろしく思った。




