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短編

ただの芋けんぴじゃない!

作者: われさら

 それは夏のある日、前触れもなく起こった。


「ただいまー」


 友人たちと遊び終わった高校生の森崎(はじめ)が家へと帰ってきたのはいつもの夕暮れ時。「おかえりなさい」と奥から母親の美紀が声だけで迎える。


「今日暑かったし先にシャワー浴びるから」


 肇は奥のリビングにいる母親に声をかけると、まっすぐに自室のある二階へと上り、着替えを持って脱衣所に立った。


「あっつー」


 手早く着ていたものを脱ぐと、シャワーを浴びるために肇は浴室のドアを開けた。そして、肇の目に飛び込んできたのは、そこに本来ならあるべきではないものだった。

浴室のタイルの上には、ぽつんと芋けんぴが一袋。近所のスーパーで売ってある、肇が見慣れたパッケージ──黄金色をした芋けんぴが皿に盛られている様子が描かれている──の芋けんぴが未開封のまま、浴室に置いてあったのだった。

肇は不審に思いながらそれ指で袋の端を摘んで、軽く回転させて袋の裏表、両面を眺めてみた。しかし特に変わった様子はなく、それは普通の芋けんぴだった。


「母さーん?なんか、芋けんぴがお風呂場にあるんだけどー!?」


 肇は脱いでいた服を再び着て、夕飯の支度が一段落しリビングでTVを眺めていた母親の美紀の所までそれを持って行き見せた。


「え……なんで?」


 美紀も驚いたように、肇と芋けんぴを見比べている。


「あれ、母さんが買ってきたんじゃないの」


 肇はぷらぷらと芋けんぴの袋を振ると、テーブルの上にぽいと軽く投げるようにして置いた。

彼の母親は少々抜けているところがあったので、肇はてっきり母親が何かの拍子に芋けんぴを浴室に置き忘れたのだと考えたのだった。


「昨日も今日も買ってないけど。……あら、開いてないわね」


 言うが早いか、母親の美紀はテーブルの上の芋けんぴの袋を開いた。


「ちょ……大丈夫かよ」


 美紀は黙って匂いをかぐ仕草をすると、安全だと判断して袋の中に手を突っ込み芋けんぴを一本取り出した。何の変哲もない芋けんぴが美紀の指に摘まれている。

そして、ぽり、と乾いた音をたて、取り出された芋けんぴは美紀の口の中へと運ばれていった。

うわ、という顔をして肇は母親をまじまじと見やる。


「食べない方が良いんじゃないの」


「いやでも普通の芋けんぴよ、これ。うん、美味しい。昨日、お父さんが酔っ払って置いたのかしらね」


 咀嚼をしながら適当なことを言う母親に肇は呆れた。ちょっと変わったところがある母親だとは思っていたが、どこからともなくやってきた芋けんぴを食べるなんてどうかしてる──思わず肇の口から困惑の声が漏れた。


「ええ……」


「なぁに。肇、あんたも食べたいの?」


 ん、と開いた袋の口を肇の方へ美紀は向けたが、肇は手を伸ばさなかった。


「いや、俺はいいよ……」


「あ、夕飯前だからあんまり食べない方がいいわね。肇も早くシャワー浴びてらっしゃい」


 更に数本の芋けんぴを袋から取り出すと、美紀は台所から持ってきた輪ゴムでぐるぐると袋の口を縛った。肇の目にも、袋から取り出された芋けんぴはどれも普通の芋けんぴに見えたが、やはり食べる気にはならない。彼は黙って脱衣所へ戻った。


「まさかまた落ちてるなんてことないだろうな……」


 そんな独り言を言いながら肇は浴室のドアを開けるが、幸い何もない。いつも通りの浴室に肇はほっとした。


「なんだったんだろうなぁ」


 シャワーを浴びながらそうぼやく肇の声は、浴室で鈍く、くぐもって響いた。


 その後、夕飯までのしばしの時間、突如現れた芋けんぴについて自室で考えていた肇は、決心をして一階へ降り母親にこう告げた。


「誰か入ってきていないか一応確認しておこう」


 最初美紀は乗り気ではなかったが、少しだけ、ということで二人で簡単に家の中を見回ることになった。

しかし家の中には誰かが入り込んだような形跡は見当たらなかった。肇はしきりに首をひねったが、何もわからない以上は調査を切り上げて夕飯にするほかなかった。


 その日の夜遅くのこと。肇の父親であり美紀の夫である隆史はいつものように残業で遅くなり帰宅を果たした。寝ているかもしれない家人を起こさないよう、そっと家の中に入る。

リビングでは夫の帰りを待っていた美紀が本を読みがてらソファで眠っていた。テーブルの上には隆史の分の夕食がラップをかけられ並んでいる。今夜はアジフライか、と隆史を思う。


「ただいま」


 ネクタイを緩めながら隆史は妻に小さく声をかけたが、起きる気配はない。

夕飯より先に風呂に入ることに決めた隆史は、支度をし脱衣所へと向かい浴室のドアを開けた。──そこには、湿ったタイルの上に未開封の芋けんぴの袋がぽつんと置いてあった。


「うわっ!」


 思いもかけないものがあったことに驚き、隆史は大きな声が出た。


「ちょ、母さんー!?」


 隆史は慌てて芋けんぴの袋を拾うと浴室を飛び出し、妻の美紀を揺り起こした。


「もーなにー?」


 美紀は目をこすりながら自分を起こした全裸の夫を睨んだ。そこで、彼女は夫の手に芋けんぴの袋が握られていることに気がついた。


「あら~……」


「風呂に入ろうとしたらこれが落ちてて……母さん、何か知らない?」


 父親のそれなりに大きな声に驚いた肇も自室から出てきて、目を丸くして言った。


「げ、またぁ……?俺がシャワー浴びようとした時も落ちてたよ。……ていうか父さん、下くらい何か着なよ」


 そんな息子の言葉に隆史は絶句した。

──風呂場に芋けんぴが何度も落ちているとか普通じゃない。一体我が家に何が起きているんだ。


「食べたけど、味は普通の芋けんぴだったわ」


続く妻の言葉に隆史は頭を抱えた。突然現れた芋けんぴを平気で口にした彼女を思うと、恐怖と称賛の感情が入り混じる。


「いや、食べたって……」


肇は戸惑っている父親の背中を突っつくと、振り向いた父親に輪ゴムで口を縛ってテーブルの上にある芋けんぴの袋を顎で指し示した。

袋の中の芋けんぴは残り僅かになっている。


「結構、食べたんだな……」


「俺は食べてないよ」


 自分も芋けんぴを食べたと父親に勘違いされたくない肇は首を横に振って否定した。

そんな二人の様子から、芋けんぴを一人で食べたことを非難されているように感じた美紀は少し腹が立った。


──この人たち、なんなのかしら。芋けんぴ、芋けんぴって大騒ぎして。そんなに気になるのなら、食べたらいいじゃないの──


「もう、そんなことより、早くお風呂に行きなさいよ。いつまで裸でいるつもり?」


 妻の怒気を含んだ言葉に、隆史はすごすごと浴室へ戻った。


「いや絶対おかしいだろ」


 身体を洗いながら隆史は浴室の四方を睨む。穴が空いているとか、芋けんぴが天井に貼り付いているとか、そういう様子は微塵もない。いつも通りの浴室だ。

ただ、理由もなく芋けんぴが現れたことを少し不気味に感じた隆史は、シャンプーで頭を洗う時に目を瞑るのが少し怖かった。

目を開けたら目の前に芋けんぴが──嫌な想像を振り払うかのように、隆史は勢いよく頭をかいた。


 隆史が風呂から上がると肇はもう部屋に戻っていて、美紀は芋けんぴをポリポリと食べていた。肇が見つけた方の芋けんぴは食べ終えていて、今は隆史が見つけたものを開けて食べている。


「ええ、また食べてるの……」


 思わず、呆れた声が出る。


「大丈夫なの、それ」


「あなたと肇、同じような反応するのねぇ。気になるなら、食べればいいじゃない」


 ん、と美紀は芋けんぴの入った袋を隆史に差し出した。


「いや、ぼくはいいよ」


 隆史は冷蔵庫からビール缶を取り出しテーブルにつくと、ぐいと呑んだ。


「今夜はもう遅いからあれだけど、明日は休みだし、一応どこか不審者が潜り込めるような隙間とかないか確認するよ」


「夕方、肇と一緒に軽く見回ったけどそんなとこ無かったわよ?あんまり気にすることないんじゃない」


 妻の呑気な声に、隆史は少し腹が立った。

もう少し真剣に心配してもいいじゃないか。芋けんぴが浴室に落ちているなんて、普通じゃないんだぞ。何故のんびりとその芋けんぴを食べていられるんだ──喉元まで出かかった言葉をぐっとビールで腹に戻しこむ。

美紀は、元来そういう女性(ひと)だ。時々噛み合わないズレもアクセントとして楽しんできたじゃないか。隆史は自分に言い聞かせながら冷めたアジフライに箸をつけた。


「それもそうかも、ね」


 夫婦喧嘩は芋けんぴが原因、なんてことになったらバカバカしすぎる──隆史はまた、ビールを流し込んだ。明日は美紀が寝ている朝の早いうちに家を見て回ろう。そんなことを考えながら。


 翌朝、肇と隆史は洗面所で鉢合わせた。


「おはよ」


「おう……早いな」


 二人ともいつもならまだのんびりと寝ている時間帯だったが、芋けんぴのことが気がかりでなかなか夜も眠れずにいたのは肇も同じだった。

寝癖をつけたまま二人は、浴室のドアの前に立った。


「……じゃあ、開けるぞ」


 頷く肇を見ながら隆史がおそるおそる浴室のドアを開けると、やはりそこには芋けんぴの袋が落ちていた。もはや二人は驚く気にもなれない。ただ黙って顔を見合わせると、どちらからともなく浴室の壁という壁、床という床、更には天井の換気扇も念入りに調べた。もちろん、人どころか芋けんぴの袋が入るスペースすらない。


「どうなってんだこりゃ……」


 玄関はチェーンを下ろしている。窓はもちろん鍵をかけている。そもそも、他人が侵入しているとしても浴室に芋けんぴを置いている意味がわからない。隆史は念のため、銀行の通帳や印鑑など貴重品に異常がないか確認するがそれも何ら変わりがない。


「こわ……」


 浴室に置いたままの芋けんぴから目を逸らし、肇は言った。


「まじ、何なのこれ」


 親子二人でおたおたしていると、流石に物音で目が覚めたのだろう、美紀が起きてきた。


「おはよう……早くから二人ともゴソゴソして、また芋けんぴが落ちていたの」


 伸びをしながらそういう美紀を尻目に、とっさに父と息子は目配せをして芋けんぴの袋を隠すと振り向いて彼女に嘘をついた。


「いや落ちてないよ」


「昨日は何だったんだろうねぇ」


 適当に話しをして誤魔化すと、「ふーん」と美紀は寝巻きから着替えるために寝室に戻って行った。


その隙に、二人は芋けんぴの置き場所を小声で相談した。


「父さんたちの寝室には無理だし、お前、部屋のクローゼットに隠せ」


「えーちょっと怖いんだけど……」


「仕方ないだろ。他に母さんに見つからないような場所はないし。捨てるのは……なあ」


 その日から、芋けんぴを見つけては肇の部屋のクローゼットの奥へと押し込む、父と息子の二人だけの秘密の作業が始まった。

不思議なことに、芋けんぴは美紀が浴室を開けた時は出ることがなく、出るときは必ず肇か隆史かがドアを開けた時だった。そして芋けんぴは毎回出るわけではなく、一日に一度も出ないこともあれば、二人で合わせて一日に何個も出たことがあった。


 母親が用事で出掛けたある日のこと、肇は家に一人でいるタイミングになった。そこで肇は、ドアの開け締めを繰り返すと芋けんぴがどうなるか実験してみることにした。

浴室の完全に締めてあるドアを、肇は大きく深呼吸をしてから開けてみる。そこには、まだ(・・)何も無い。またドアを締めて開ける──次は、出た(・・)。そのままにしてまたドアを締めて開ける──先程出た芋けんぴはそのままに、隣に更に一袋落ちていた。


「まじか……」


 その後もかちゃかちゃとドアを開け締めした肇は、最終的に十七袋もの芋けんぴを手に入れた。実験の結果は、出てきた芋けんぴが消えることはないことと、増えるのは一袋ずつ、という分かったところで特に意味のないことばかりだった。


 それからも母親の目を盗んでは肇と隆史は芋けんぴの処理について話し合ったが、どうすべきか結論は一向に出なかった。

食べ物を粗末に捨てるのは気が引けるが、自分たちでは食べたくない。かと言って誰かに食べてもらうのも責任が持てないし恐ろしい。どうしようもないまま、日は過ぎ芋けんぴはたまり続けていた。


 だが、その日々は美紀が肇の部屋を掃除したことで終わりを告げた。

掃除をしに肇の部屋に入った美紀は、何の気なしに息子のクローゼットを開け、そこに芋けんぴが大量に隠されているのを見つけた。そして、息子とおそらく夫が自分の目を盗んで芋けんぴを隠してきていたことを悟った。


──自分たちのためというよりは、私のためにしたんだろうけど──


このまま見なかった振りをしようかとも美紀は思ったが、家族間でこのような隠し事をするのは彼女の信条に反したし、何よりもこのまま放置して賞味期限がくると捨てざるを得なくなる芋けんぴが可哀想に思えた。


 その日の夜。隆史が家に帰るとリビングには空き箱に詰められた芋けんぴと、妻、そしてばつの悪そうな息子の姿があった。


「おかえりなさい」


 とんとん、と椅子に触れ隆史に席につくよう美紀は促した。


「……見つけたのか」


「ええ」


「勝手に俺の部屋、掃除するなよな」


 どうやら肇は、芋けんぴが見つかったこともだが勝手に部屋に踏み込まれたことに、隆史が帰ってくる前から怒って不貞腐れていたらしい。年頃の息子らしい反応に隆史は心のなかでニヤリとしたが、今はそっちが問題じゃない、と気を引き締める。

テーブルの中央に美紀は芋けんぴが詰め込まれた箱を置くと、責めるように隆史に言った。


「これ、溜め込んでどうするつもりだったの」


「いや……」


「いや、じゃないでしょう。食べなきゃ食べられなくなるのよ」


 そう言うと美紀は予め取り出しておいた、一番賞味期限が間近だったものを隆史の目の前に突きつけた。


「これなんか、あと一週間とちょっとしかないのよ」


「お前、また食べるつもりなのか」


 芋けんぴの袋を持った妻の腕を、隆史はとっさにつかんだ。


「最初に見つけた時も食べていたけど、身体、あれから本当に大丈夫か。熱とか腹の具合とか……」


 そんな隆史の心配をきょとんと受け止めると美紀は、夫に見せつけるように芋けんぴの袋を振ってみせた。袋の中で芋けんぴ同士ががさがさと音を立てる。


ただの(・・・)芋けんぴよ」


「ただの芋けんぴは風呂場に落ちてないだろ!」


 思わず、隆史は大きな声で妻を怒鳴りつけた。一瞬の沈黙。その沈黙を破ったのは、肇だった。


「……俺も父さんも、母さんが心配なんだよ」


 隆史はそっと妻の腕を離すと何も言わずに妻の顔をじっと見つめた。


「──心配してくれているのは、わかってる。ありがとうね。でも、これは、やっぱりただの芋けんぴなのよ」


「だから……!」


「確かに、変な形で我が家に来ていることはそうだと思う。でも、匂いも味も、ただの芋けんぴなのよ、これ」


「いや、絶対おかしいって!『ただの』芋けんぴなわけないじゃん!」


 肇はばん、と手でテーブルを叩いて立ち上がった。


「じゃあ、自分で食べて確かめてみなさい!」


 肇の剣幕に臆することなく、美紀は袋を息子に突き出した。逆に圧倒されて、肇は思わず半歩下がった。ず、と椅子が音を立ててずれる。


 隆史はここに来てようやく妻と自分たちとの考え方が決定的に違うのを理解した。これでは埒が明かない。

諦めたように首を振ると隆史は妻に尋ねた。


「美紀、芋けんぴが風呂場に落ちているのが不思議じゃないのか?怖くないのか?」


「そうだよ、母さん」


 肇も父親に同調する。


美紀は、持っていた袋を開封すると中から芋けんぴを取り出し、二人が「あっ」と言う間もなく、齧った。


「何言ってるのよ。美味しいんだからそれでいいじゃない。それに食べないのなら捨てることになるのよ。そんなの、もったいないでしょう?」


 美紀は夫と息子に向かって微笑むと、まだ開けていない袋を箱から取り出しそれぞれに差し出した。


「だから四の五の言わず、あなたたちも食べなさい」

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