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ファンファーレ  作者: 菅原諒大
第六章 生涯一度の夢舞台
81/100

6-5

 清田さんと澪ちゃんについていくと、神さんは厩舎のロッカールームにいた。テーブルを囲むようにして、難波(なんば)さん、長谷川(はせがわ)さんと何やら話し合っていたようだ。

「失礼します、神さん。澪ちゃんが来ました」

 清田さんがそう言うと、「こんばんは」と澪ちゃんが神さんに挨拶をした。

「遅くなってしまってすみません」

 続けて澪ちゃんがそう言うと、「いや、全然大丈夫」と、神さんが微笑みながら言う。

「清田、俺たちは瀬堀とレースの打ち合わせがあるから、お前はもう帰っていいぞ」

 神さんがそう言うと、清田さんは急にむっとした表情になった。

「いえ、澪ちゃんのことをおっさんたちが襲わないか不安なのでここにいます」

 清田さんがそう言うと、難波さんは何とも言えない表情になりながら、

「そんなはっきり言わんでもええやろ」

 と呟いた。

「まあまあ難波さん。清田が何を言っても聞かないのはいつものことじゃないですか」

 長谷川さんは大声でそう言いながら、難波さんを説得する。神さんはそれを聞いて、突然大声で笑い出した。

「そうだな。確かにそりゃあ不安にもなるわ。分かった。じゃあなるべく手短に済ませるから、ドアの前で待っててくれ」

 神さんが清田さんにそう言うと、清田さんはぺこりと会釈をしてから、ロッカールームの扉を閉める。そしてその外にいた僕に向かって、こんなことを尋ねてきた。

「お前、何で今日は澪ちゃんと一緒だったの」

「え」と、僕は思わず口から声を漏らした。「えっと、松岡先生の厩舎に行ったら声を掛けられたので」

「帰ろうっていうのはお前から誘ったのか」

「いえ、澪ちゃんからです。『先輩と一緒じゃなきゃ嫌だ』って言われたのでつい……」

 そこまで言いかけて、僕は思わず声を詰まらせてしまった。ふと見た清田さんの表情が、言ってしまえば阿修羅そのものだったからだ。直後、僕は清田さんに胸ぐらを掴まれながら、清田さんの目線の高さまで浮き上げられる。そして清田さんは、涙目で僕にこう叫んだ。

「澪ちゃんはお前に渡さないからな」

「何の話ですか」

 僕は思わず間髪入れずにそう言ってしまった。

「うるせえ」と、清田さんはまた叫ぶ。そして清田さんは、勢いそのままに僕に向かって、早口でこんなことを言った。

「確かにお前は他の奴らより顔はいいかもしれねえけどな、いくら何でも女たらしが過ぎるだろ。そんでもって清水だけじゃなく、今度は俺の従妹まで惚れさせやがって。お前は片想い製造機か何かなのか。ふざけんじゃねえぞ、この野郎が」

 そのあまりの剣幕に、僕は何も言うことが出来なかった。

 ――というか、澪ちゃんって清田さんの従妹だったのか。

 そんなことを思っていると、突然ロッカールームの扉が開いた。振り返ってみると、そこから澪ちゃんが、きまり悪そうな表情を浮かべながら顔を出してきた。

「大我くん、うるさい。私、今大事なお話してるから」

 澪ちゃんがそう言うと、清田さんは「あ、ごめん」と、急にしおらしくなりながらそう言った。

「すみません、先輩。大我くんも悪気はないんです」

 澪ちゃんは僕の方を向くと、頭をぺこりと下げながらそう言った。

「いや、僕は大丈夫だよ。だから澪ちゃんは謝らないで」

 僕がそう言うと、澪ちゃんは「えへへ」と照れ笑いをする。その満面の笑みは、やっぱり犬みたいだった。

「ちょ、澪ちゃん今乙女の顔になってたけど、まさか矢吹と恋人なの」

 その様子を見ていた清田さんが、また人が変わったかのように驚きながら澪ちゃんにそう尋ねた。

「何言ってるの、大我くん。今のところは恋人じゃないから」

 澪ちゃんがそう言うと、清田さんはほっと一息つきながら「よかった」と呟いた。その直後、清田さんは目を点にしながら、

「ちょっと待って、今のところっていうのはどういう意味」

 と、澪ちゃんに尋ねる。

「大我くんが思ってる通りの意味だよ」

澪ちゃんは右目でウインクをしながら、右手の小指を立ててそう言った。直後、清田さんはムンクの『叫び』のように目と口を開いたまま、しばらく動かなくなってしまった。

「じゃあ、私は神先生とのお話の方に戻るからね。もううるさくしないでよ」

 澪ちゃんは清田さんに向かってそんなことを言った。そしてロッカールームの扉を閉めかけたその時、「あ、そうだ」と言いながら、澪ちゃんは僕の方に振り向いてからこう尋ねた。

「先輩、次の月曜日って空いてますか」

「うん。僕、基本的に月曜日は空いてるから」

 僕がそう答えると、澪ちゃんは続けて僕にこう言った。

「じゃあ、午後から一緒に檜酵素風呂に行きませんか。ご褒美があればレースも頑張れますし、それで疲れた身体も癒せると思うので」

 いや、僕なんかと一緒でいいの?

 そう尋ねたかったけれど、そうしたら澪ちゃんはまた「先輩と一緒がいい」と言うかもしれない。そうしたら、清田さんはさらにショックを受けてしまうだろう。そう思った僕は、いったん言葉を飲み込んでから、一拍ほど間をおいて澪ちゃんに答える。僕は僕自身のことを、そんなに大した人間だとは思えないけれど。

「いいよ。僕でよければ」

 僕がそう言った瞬間、澪ちゃんはぱっと晴れたような満面の笑顔になった。直後に澪ちゃんは、「えへへ」と、嬉しそうな照れ笑いをする。

「じゃあ、月曜日楽しみにしてますね」

 そう言うと、澪ちゃんはロッカールームの扉を閉めて、神さんたちとの打ち合わせを再開させた。

 僕はふと清田さんの方を見る。すると清田さんは再び僕の胸ぐらを掴みながら、鼻水混じりの涙声で僕にこう叫んだ。

「やっぱりお前ぶっ殺す」

「落ち着いてください、清田さん」

 僕は思わず間髪入れずにそう言ってしまった。

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