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ファンファーレ  作者: 菅原諒大
第六章 生涯一度の夢舞台
80/100

6-4

「矢吹です。ただいま戻りました」

 僕は厩舎に戻ると、馬房の中に向かってそう声を掛けた。馬房を覗くと、たいていは厩務員の誰かが担当馬の世話をしているからだ。だけど、今日に限って誰の返事も聞こえてこなかった。

「あれ」と、僕は思わず呟く。直後に僕は尻ポケットからスマートフォンを取り出して、現在時刻を確認した。

 十六時二十一分。厩務員の仕事は、日にもよるけれどだいたい十六時くらいには終わっている。僕らが到着したのはついさっきなので、みんな今日の業務を終えて、社宅に帰った後らしかった。

「歩いてきちゃいましたもんね。すみません、私のわがままのせいで」

 僕の数歩後ろから、澪ちゃんが僕にそう声を掛ける。振り返ってみると、澪ちゃんはいたずらがばれた時の犬みたいに、頭を下げてしゅんとしていた。

「いや、澪ちゃんのせいじゃないよ。それに、僕は気にしてないから大丈夫」

 僕が澪ちゃんにそう言った直後、「遅かったな」という声が馬房の奥から聞こえてきた。振り返ると、馬房の壁に寄り掛かった清田さんが、腕を組みながらこちらを睨み、

「今何時だと思ってる。神さんや他の奴らに迷惑かけんじゃねえよ」

 と、僕に向かって怒りながらそう言った。

「すみません」と僕が謝ると、澪ちゃんが僕の後ろから、ひょっこりと顔を出してこう言った。

「あ、大我(たいが)くんだ。今朝ぶりだね」

 その瞬間、清田さんは突然驚いた顔になりながら、「み、み、澪ちゃん」と、焦りと嬉しさを抑えきれない様子で吃り始めた。

「け、今朝ぶりだね。今朝も可愛かったけど、夕方になっても可愛いね」

 清田さんはまるで人が変わったかのように、早口になりながらたどたどしく澪ちゃんにそう言った。

「ありがとう。そう言われると嬉しいな」

 澪ちゃんは純粋無垢な笑顔で、清田さんにそう返す。そして澪ちゃんは勢いそのままに、清田さんに対してこう尋ねた。

「あ、そうそう。私、神先生に用があって来たんだけど……」

「あ、神さんならこっちにいるから、ついてきて」

 澪ちゃんが言い終わらないうちに、清田さんは澪ちゃんにそう言った。直後に清田さんは、踵を返すように軽い足取りで馬房の奥の方へと歩いていく。

「お邪魔します」と、澪ちゃんは馬たちに向かってそう言った。そしてそのまま、澪ちゃんは清田さんの後をついていく。その様子を、僕はただぽかんと眺めることしか出来なかった。

 あの二人、一体どういう関係性なんだ――?

 僕がふとそんなことを思っていると、馬房の中を隙間風が通り過ぎていく。

「ぶるるる」というヨゾラのくしゃみが、ただ虚空に響き渡るだけだった。

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