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ファンファーレ  作者: 菅原諒大
第四章 無敗の女帝
59/100

4-13

 僕は鞍を胸の前で両腕に抱えて、そのままデジタル式の計量秤の上に乗った。

 五六・〇キログラム。

 制限重量に過不足なし。そのまま僕は、検量室前で待つ神さんと五十嵐さん、それから清水さんとロッキーの元へと向かおうとした。

「矢吹」と、ふと風早に呼び止められる。僕がそちらに振り向くと、風早は犬のようにこちらに近付いてきた。

「お疲れ」と僕が言うと、「うえい」と風早が返事をする。そして僕と風早は、どちらからともなく拳を突き出し、それをこつんと突き合わせた。

「しっかし何なん、あの化けもんは」

 突然風早が、癇癪でも起こしたかのようにそう言った。

「化け物って、ローレルのこと?」と、僕は風早に尋ねる。

「それしかおらんやろ」と、風早は少し涙目になった表情を僕に見せながら即答した。

「何なん、あのハイペース。追い付けるわけないやろ。そんで鞭入れたらさらに伸びたなあ、あいつ。ほんまもんの怪物やないか。あんな奴相手にどうやって勝てっちゅうねん」

 風早はもはや脊髄反射で喋っているのではないかと思うほど矢継ぎ早にそう言った。そんな風早を見て、僕は思わず苦笑いをしてしまった。

 でも、風早の気持ちも分かる。〈無敗の女帝〉の実力を決して軽視していたわけではない。

 しかしいざ戦ってみたらどうだろう。軽視できるかどうかという話ではないくらいの強さだったということは、おそらくあの場にいた全員が感じたことだと思う。

 はっきり言って強すぎる。

 いくら良血と良血の配合の下に生まれた存在とはいえ、三歳時点であんな逃げをされたら、他の三歳馬なんて牡馬でも相手になるはずがない。これからもっと成長していくことを考えれば、末恐ろしいとさえ感じるほどだった。

 あれが本当に牝馬なのか。

 だとしたら、ローレルは日本競馬に新たな歴史を刻む存在となる。それだけはなぜか、自信をもって言うことができる。ローレルの強さはそれほどのものだった。

 そんなことを思っていると、ふと計量秤の方へと向かって人影が通り過ぎていくのを、僕は視界の隅で捉えた。僕はその人影の方へ振り向く。

 そこにいたのは早乙女だった。鞍を胸の前で両腕に抱えて、計量秤の上に乗っている。僕は早乙女が計量秤から降りるタイミングで、早乙女の方へと歩を進めた。

「矢吹?」と、風早が僕の行動を不思議がったのかそう呟いた。それとほぼ同時に、早乙女がはっと僕の方に振り向く。

「次は負けないから」

 ふと僕はそんなことを言っていた。直後、急に僕は恥ずかしくなって、思わず早乙女から顔をそむける。ちらりと早乙女の方を見ると、早乙女は微笑みながら、僕に向かってこんなことを言ってくれた。

「はい、次も負けません」

 突然、場内放送のチャイムが流れる。

「お知らせいたします。中山競馬第十一レース『スプリングステークス』は、写真判定の結果、三着8番、ポケモーターとなりました」

 一瞬、僕は何のことだか理解が追い付かなかった。そんな僕を嘲笑うかのように、アナウンスの声はもう一度だけ僕に事実を突きつける。

「繰り返しお伝えいたします。中山競馬第十一レース『スプリングステークス』は、写真判定の結果、三着8番、ポケモーターとなりました。払い戻しの準備が完了するまで、しばらくお待ちください」

 そっか、四着になったのか、僕。

 何となくそうなるだろうなとは思っていた。でも、こうして言葉にして聞かされると、何だか悔しくなってくる。

「すみません、私、これからインタビューがあるので」

 ふと早乙女が僕に向かってそう言った。

「そっか、行ってらっしゃい」と僕は早乙女に言う。早乙女は僕に軽く会釈をしてから、検量室を早足で去っていった。

 さて、いつまでも余韻に浸っている場合じゃない。神さんたちが待っている。

 結局中山の空は、今朝からずっと曇ったままだった。それが何だか、僕の心模様を表現してくれているように感じたのは、僕の気のせいだったのだろうか。

第五章へ続く

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