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ファンファーレ  作者: 菅原諒大
第一章 メイクデビュー
4/100

1-3

「おう、矢吹」と、ヨゾラの調教終わりに声をかけてきたのは難波(なんば)さんだった。ちょうど僕と同じタイミングで、ウシワカベンケイの調教が終わったようだ。難波さんはうちの厩舎の調教助手で、その週にレースがない馬の調教を神さんから任されている。

「そっちも調教終わり?」と、難波さんは僕に話しかける。

「そうですよ」と僕が答えると、「そっか、せやったら一緒に帰ろうや」と言って、ベンケイをヨゾラの隣に寄せる。そのまま僕は、難波さんと一緒に厩舎まで向かった。

「矢吹、この後はどうするん?」

「とりあえず、厩舎に戻ったら朝ごはんですかね。その後はもう一頭、他の厩舎からの騎乗依頼が来ているので、その子の調教したら、あとは神さんと今週のレースに関する打ち合わせです」

「相変わらず忙しいなあ」

「どうしても木曜は、レース前の準備日になりますからね」

「そんな忙しい時に、新入りが来るんやもんな」

「そういえば、新しい子が入厩するのって今日でしたっけ」

「その言い方は完全に忘れとったな?」

「う」という声を、僕は言葉に詰まった口から絞り出す。「はい、今週のレースのことで頭がいっぱいでした」

「まあ、そんくらいレースに集中できとるのはええことやん」と、難波さんは苦笑しながらそう言ってくれた。「お前の評判、えらいことなってるで。鞭使わんのに馬券に絡んでくる奴がおるって」

「いや、僕が単に忘れっぽいだけですよ。それに騎乗依頼だって、他の同期に比べたら少ない方ですから」

「まあ、どうしても一着を量産する奴ばっか注目される世界やからな」

 難波さんの言う通りだ。騎手は実力がなければ、馬主(うまぬし)から騎乗依頼を申し込まれることはない。実力者にはどんどん有力馬に騎乗する機会が増えていき、逆に実力を示せない者は、どんどん依頼がなくなっていく。

 実際、僕の同期にも、デビューから二週間で初勝利を収めたのが一人いる。そして騎手になって五年目の今年、あと少しで通算三〇〇勝というところまで来ていた。

 一方の僕は、ようやく通算一〇〇勝に手が届く範囲まで来た、というところだった。

「でも、だとしたら、何で神さんは僕なんかを勧誘してくれたんでしょうか」

 ふと僕は、そんな疑問を呟いていた。「せやなあ」と難波さんは考え込みながらそう言うと、少し経ってから再び言葉を紡ぎ始める。

「これは俺の推測やけど、神は矢吹にチャンスを与えたいんとちゃうかな。なかなか勝たれへん騎手にも、いろんな馬に乗せてやりたい思てるのかもしれん」

 そういえば、僕が以前の厩舎にいた時よりも、他の厩舎からの騎乗依頼が増えたような気がする。もしかしたら、僕が他の厩舎に呼びかけるのと同時に、神さんも僕のことを紹介してくれていたのだろうか。いや、それはさすがに考えすぎかもしれない。

「まあ、うちの厩舎は開業三年目なわけやし、信頼、実績ともに足らんことこの上ないけどな」と、難波さんは苦笑しながら言い加えた。「せやから矢吹、うちの厩舎の管理馬全五頭に乗せてもろてること、ありがたい思た方がええで」

「はい」と僕は返事をする。「よろしい」と、難波さんが笑顔でそんなことを言ってくれた。

 やがて厩舎に辿り着くと、清田さんと(あん)さんが待ってくれていた。安さんが僕らに手を振り、こちらまで駆け寄って来る。その後で清田さんが、ゆっくりと歩きながら近付いてきた。清田さんがヨゾラに、安さんがベンケイにそれぞれリードを付け、僕と難波さんはそのタイミングでそれぞれ下馬する。

「難波さん、何か楽しそうでしたね。何を話してたんですか」

 安さんが難波さんにそう尋ねた。

「いや、いろいろとな」と、難波さんは僕に視線を送る。「な?」とでも言いたげだった。僕はそれに対して、ぺこりと軽く頭を下げる。

「へえ、僕も聞きたかったなあ」と、安さんが羨ましそうにそう呟いた。

「矢吹との会話なんて、どうせつまんねえ内容なんだろ」と清田さんが言うと、安さんは清田さんに向けてこんなことを言った。

「そうやって決めつけるの、清田おじさんの悪い癖だよ」

「誰がおじさんだよ。お前と二歳しか変わらねえじゃねえか」

「中国だとおじさんは誉め言葉だよ」

「嘘を言うな」

「本当だよ」と、むきになる先輩をからかうように、安さんは清田さんに言う。「矢吹くんも覚えといた方がいいよ。中国だとお兄さんお姉さんより、おじさんおばさんって言った方が喜ばれるから。これ豆知識」

「はあ」と僕が曖昧な返事をすると、清田さんが仕返しとばかりに、安さんに突っかかってきた。

「何が『中国では』だ。ここ日本だぞ」

「我不知道你在说什么」

「おい日本語で話せこの野郎」

「僕、日本語分かりません」

「嘘を言うなお前」

 そんな漫才みたいな言葉の殴り合いをしながら、二人はどちらからともなく、ヨゾラとベンケイを馬房の方へと引いていく。難波さんは僕の後ろで、口を抑えながら笑いをこらえている。

「なんやかんやで、あの二人仲良しよな」と、難波さんは涙で潤んだ目をぬぐいながらそう言った。

 そういえば、普段は大股で歩くはずの清田さんが、安さんと同じ歩幅で歩いるように見えたのは、僕の気のせいだったのだろうか。

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― 新着の感想 ―
[一言] 時間を作ってじっくり読まねばならない作品をありがとうございます。
2023/01/17 04:50 退会済み
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