3-4
まだ暖まりきらない朝の空気が、つんと鼻の奥を通り抜けていく。
言語化できない速度でそんなことを感じながら、僕はロッキーの手綱をしごく。それと同時に、ロッキーはぐんぐんと加速していった。
十月十三日、水曜日。ロッキーが『芙蓉ステークス』を制したことで自信を付けた僕たち神 祐馬厩舎は、次なる目標を『京都2歳ステークス』に定め、それに向けた調教を開始した。今はこうして、南調教馬場にある二〇〇〇メートルコースで追切を行っていた。
『京都2歳ステークス』は、芝コースの二〇〇〇メートルで争われるGⅢ競走だ。これを制することができれば、ロッキーは来年のクラシック戦線に送り出せるだけの実力馬であることの証明になる。
それだけじゃない。もしそうなれば、それはロッキーとしても、厩舎としても、騎手である僕自身としても、初の重賞制覇を達成できることを意味していた。風早が騎乗するダンガンストレイトも出走するとの噂もあり、厩舎にとって重要なレースになることは間違いなかった。
感じる。
ロッキーが地面を蹴る蹄のリズム。前に出ようとする闘争心。呼吸と鼓動。馬体に宿る熱。それらが鐙を伝って一気に僕に押しよせてきた。
風になっているのは空気じゃない、僕たちの方だ。
そう感じながら、僕がさらに手綱をしごいたその瞬間だった。
突然、目の前にあるはずのロッキーの後頭部がふっと地面の方に消えていく。
それと同時に、僕の身体が前に放り出されるような感覚があった。
僕は鐙に体重をかけ、手綱で何とかロッキーを抑えようとする。
しかし、慣性のせいですぐには止まれない。
やがてロッキーの両肩まで見えなくなると、いよいよ僕は宙に放り投げられていた。
地面が一気に近付いてくる。
すぐさま僕は受け身の態勢を取った。
地面に殴られる感覚。
最初に伝わったのは衝撃だった。
一瞬後に、それは痛みへと昇華されていく。
それとは別に、鎖骨の辺りを圧迫されるような鋭い痛みが、一気に脳まで伝わってきた。
空と地面が交互に替わるのを何度か繰り返した後で、ようやく焦点が固定される。
「大丈夫か」
神さんが僕とロッキーに呼びかけながら、こちらに走って来る音が聞こえてくる。
ああ、落馬したのか、僕。
そこで初めて、僕は自分の身に起きたことを理解できた。




