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黄色いヘルメットの紐を締めて、左手、右手の順に手袋をはめる。青地に緑の襷模様が描かれた勝負服のファスナーを上げ、首元まで閉めてから、僕は検量室を後にした。袖は黒地で、緑の一本輪がある。
ふと顔を上げると、検量室前に神さんと五十嵐さんがいた。僕は二人の方へと駆け寄る。
「おう、矢吹」と、スーツ姿の神さんはいつものように右手を軽く挙げた。
「久しぶりね、矢吹くん」と、五十嵐さんが笑顔でそう言ってくれた。
「お久しぶりです」と言って、僕は五十嵐さんにぺこりと一礼をする。
「また会えて嬉しいわ。二か月ぶりかしら。前走は大村くんだったものね」
五十嵐さんのその言葉に僕は気まずくなり、いつの間にか五十嵐さんに謝っていた。
「その節は、本当にすみませんでした」
すると五十嵐さんは一瞬驚いた顔をしたものの、「ううん、気にしないで」と僕に言ってくれた。
「ミスは誰にでもあること、仕方のないことよ。それより、矢吹くんが元気そうで本当に良かった」
そう言って、五十嵐さんは女性特有の上品な笑い声を漂わせながら、僕に女神のような微笑みを浮かべる。僕はそんな五十嵐さんにどきりとしてしまい、会釈を返事の代わりにすることしか出来なかった。
「うちの矢吹にまた依頼してくださり、本当にありがとうございます」
そう言って、神さんは五十嵐さんに頭を下げる。
「いえ、礼を言われるほどではありません」と、五十嵐さんは神さんにそう言った。
「普段お世話になっている神先生のお弟子さんですもの。馬主として、騎手を信頼するのは当然のことです」
「ありがたいお言葉です」と、神さんは顔を上げて微笑を浮かべる。そして神さんは僕の方に振り返ると、僕にこんなことを言った。
「頼んだぞ、矢吹」
「はい」と僕が返事をすると、神さんは僕の肩を一回、ばしっとたたく。その瞬間、一気に背筋がしゃんとする感覚がした。こういう時、神さんは子どもみたいな、くしゃっとした笑顔になる。
「では、僕はこの辺で失礼します」
僕がそう言うと、「無事に戻って来いよ」と神さんが言う。
五十嵐さんは「気を付けてね」と僕に言ってくれた。
「はい」と僕が返事をすると、神さんも五十嵐さんも僕に微笑みかけてくれた。僕は二人に一礼をし、そのまま騎手控室へと向かう。この時の僕が、自然と緊張していなかったのが、何だか自分でも不思議だった。




