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ファンファーレ  作者: 菅原諒大
第二章 一心同体
30/100

2-6

 7枠7番、ダンガンストレイト。

 今回のロッキーの標的は、この馬でほぼ決まりだろう。

 中山競馬場の場内で買った競馬新聞。それの注目馬として取り上げられているから、上位人気になることは必須だと思う。予想オッズでは一番人気となっているが、そうでなくても二番人気にはなるはずだ。

 そんなことを思いながら、僕は納豆ご飯を一口ほおばる。テーブルの上にたたんである、さっき印を付けたばかりの新聞の方をちらりと見た。

 十月二日、土曜日。午前六時半ごろ、僕は中山競馬場の調整ルームで朝食をとっていた。

 中山競馬場は千葉県船橋市にある。美浦トレセンからはタクシーで一時間ほどと近い場所にあり、当日の朝の調教をしてからでも間に合う距離だった。そのため、僕は昨夜美浦トレセンの調整ルームに宿泊し、ロッキーの調教を終えてから、タクシーに乗って六時ころに中山競馬場に到着した。

 僕は毎朝、納豆とご飯を食べることにしている。納豆はたんぱく質とビタミン、ミネラルを同時に摂取できるし、ご飯は腹持ちがいいから、僕の場合それだけで半日くらいは活動できる。僕の胃が小さいから、それだけで満腹になるというのもあるのかもしれないけれど。

「相席ええか?」

 ふと僕にそう尋ねてくる声が聞こえた。

「どうぞ」と僕が言うと、その声の主は僕の向かいの席に座った。同時に僕は顔を上げて、声の主の方を見る。

「よ、矢吹」と、そいつはにかっと笑いながら僕に声をかけてきた。

「久しぶり、風早(かざはや)」と、僕はそいつに返事をする。

 風早(かざはや) 颯也(そうや)

 競馬学校にいた時に、僕と一番仲良くしてくれた同期だ。ほとんどの同期が中学校を卒業して間もなく入学したのに対し、唯一十八歳で入学した僕にも、気さくに声をかけてくれた。

 そんな風早も、確か一度競馬学校の試験に落ちてから、一年後にもう一度受験して合格していたはずだ。

「相変わらず朝は納豆なんやな、お前」

 風早は僕にそう言った。

「そっちこそいつものサンドイッチじゃん」と僕が返すと、「まあな」と言って、風早はまたにかっと笑う。

「いただきます」と手を合わせて、風早はサンドイッチにかぶりついた。その豪快な食べっぷりを見ながら、僕は納豆ご飯をまた一口ほおばった。

 ふと風早が、テーブルの上の新聞をちらりと見る。

「それ、もしかして今日の奴か」と言って、風早は新聞を指さした。

「そうだよ」と、僕は答える。「どの馬をマークすべきかなって思って、一応印付けたんだ」

「真面目か」と、風早が間髪入れずに僕に言う。「そっかあ。せやったら見せてもらえへんよなあ」

「え、どうしたの」と、僕は風早に尋ねる。

「いや、俺な、今日どのレースにどの馬が出るんかメモしたやつ忘れて来たんよ」

「え」と、僕は思わず口から声を漏らした。

「あかん。また芥川(あくたがわ)先生に怒られる」

 そう言って、風早は左手で頭を掻きむしりながら、顔全体で悲しみを表現した。しかし、その間にも風早の口にはサンドイッチが運ばれていく。その光景がおかしくて思わず笑いそうだったけれど、僕はそれがばれないようにぐっとこらえる。

 芥川先生は、風早が所属している厩舎の調教師だ。ベテラン調教師の一人で、確か「鬼の芥川」と呼ばれていた気がする。風早はそんな「鬼」の愛弟子だった。こんなに感情が表に出やすい騎手に、「鬼」らしさは全く感じないけれど。

「別にいいよ、印付いたので良ければ」

 僕が風早にそう言うと、風早は「え、まじ?」と言って目を輝かせた。

「どうぞどうぞ」と言って、僕は新聞を風早に貸し出す。

「ありがとう、ほんまに助かった。いやあ、神様仏様矢吹様やわ」

 そう言う風早の表情は、さっきとは打って変わって上機嫌なものになっていた。

「どれどれ」と言って、風早は新聞を左手で広げながら、また一口サンドイッチにかぶりつく。こういう時、片手で持って食べられるのがサンドイッチの魅力だな、と思っていると、しばらくして風早が「あれ」と言った。

「矢吹、お前ダンスに印付けとるんか」

「ダンス?」と、僕は風早に尋ね返す。

「ダンガンストレイト、略してダンスや。うちの厩舎ではそう呼んでんねん」

 風早のその言葉に、僕は「ああ、なるほど」と納得した。そして風早は、僕にこんなことを言った。

「つうか矢吹お前、俺のことライバルと思てくれてたんやな」

「え」と、僕は思わず口から声を漏らした。

「いや、『え』やないわ」と、風早が僕に間髪入れずに言う。「まさかお前、騎乗する騎手の名前見てないんか」

「うん」と、僕は返事をした。

「見とけや」と、風早は右手を垂直にして、素早く僕に向けて振る。そして一度口から深く息を吐き、新聞を僕に見せながらこんなことを言った。

「ダンスに騎乗すんの、俺やねん」

「あ」という声が僕の口からあふれた。確かに、ダンガンストレイトに騎乗する騎手の名簿に、風早の名前が記載されている。

「ごめん、そうだったね」と僕が言うと、「まあ、別にええけどさ」と風早は口をとがらせながら言う。しかしすぐに何かをひらめいたように目と口を開け、僕に向かってにやりと笑った。

「なあ矢吹。そんなにダンスに注目しとるんやったら、俺と一発勝負せえへん?」

「勝負?」と僕が尋ねると、風早はにかっと笑いながら僕に説明し始める。

「今日の『芙蓉ステークス』、どっちが一着を取れるか勝負や。ただ、それだけやったらおもんない。明日の夜の焼肉代、どっちが奢るかそれで決めようや」

 突然の出来事に、僕は思わずぽかんとしてしまった。

 でも、何だか風早らしい提案だ。

 そういえば、風早は競馬学校時代、いつもこうやって僕に勝負を挑んできたっけ。

 それを思い出し、僕は思わず笑ってしまった。

「何笑っとるんや」と、風早が僕にそう言ってくる。

「いや、ごめん」と言いながら僕は笑いを抑えると、風早に対してこう言った。

「そんなこと言ったら、僕のロッキー勝っちゃうよ?」

「馬鹿言え。俺のダンスしか勝たんわ」

 そう言って、風早は僕のことをじっと見つめてきた。

 なるほど、これは思っていたよりも強者かもしれない。

 相手にとって不足はなかった。

「いいよ。その勝負受けて立つ」

 僕がそう言うと、「そう来なくちゃな」と言って、風早はにかっと笑う。それにつられて、僕も少しだけ笑えたような気がした。

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