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ファンファーレ  作者: 菅原諒大
第一章 メイクデビュー
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1-17

 人の気配を感じると、いつも馬房から顔を出してくるロッキーだったが、今日は僕が近付いても何の反応もなかった。脚の怪我でもひどくなったのかと思い、ロッキーのいる馬房をのぞいてみると、その理由はすぐに分かった。

 清水さんが、座っているロッキーの胸に寄りかかり、うたたねをしている。

 ロッキーはそれを邪魔しないように、そのまま清水さんを寝かせていたようだ。そんなロッキーの左前脚には、冷却シートが綺麗に貼られている。おそらく清水さんがさっき貼り替えたばかりなのだろう。

 六月十四日、月曜日。この日は前日までレースがあったということもあり、今日は騎手の休日だった。でも僕はロッキーの様子が気になってしまい、少し暑いくらいに陽が差す昼下がり、療養用の馬房まで様子を見に行くことにした。

 ロッキーは座ったままで僕に顔を向け、「起こした方がいい?」とでも言いたげな表情で見つめている。僕は意味がないと分かっていながら、人差し指を口の前に立てる仕草をする。そのままでいいよ、という意味合いを含ませたつもりだった。

 すると、僕が言わんとしていることを察したのだろうか。ロッキーは安心したように、顔を清水さんの方に向けながら首を下ろした。そのままロッキーは顎を地面にあて、うつらうつらと瞼を閉じていく。

 ロッキーは、なぜここまで賢いのだろうか。

 そんなことを思いながら、僕は清水さんとロッキーの様子をしばらく眺めていた。自然と、微笑ましい気持ちになっていく。

 ふと、ロッキーの耳が反応する。直後にロッキーは、馬房の外へと視線を向けていた。僕はそれにつられて振り返ると、関根くんが馬房に近付いてくるのが分かった。

「あ、矢吹さん。今日は一日オフじゃないんですか」

「いや、ロッキーがどうしてたかなって思っちゃって」と僕が答えると、関根くんはため息混じりにこう言った。

「俺はいつものごとく、りりあを起こしに来ました。こいつ最近いっつもロッキーと一緒に寝てるんですよ」

「そういえば、最近の清水さん、厩舎とこっちの馬房とを頻繁に行き来してるもんね。夜も遅くまでいるみたいだし、今日はまだもう少し寝かせてもいいんじゃないかな」

「矢吹さんがそう言うなら」と、関根くんは僕と同じように馬房の柵に寄りかかり、笑顔で僕にそう言った。ロッキーはまだ清水さんを起こさなくていいと思ったのか、また首を下げてまどろんでいく。

 ふと僕は、個人的に気になっていることを関根くんに尋ねた。

「そういえば清水さん、朝から夜までロッキーにつきっきりだけど、何だか楽しそうだよね」

「そうですね」と、関根くんは笑い混じりにそう答える。「今朝なんて、ご機嫌に鼻歌なんか歌いながらロッキーの馬房まで行きましたからね」

「そうだったんだ」と、僕も少しおかしくなって笑う。

「でも多分、これがロッキーじゃなかったら、りりあもあそこまで頑張ってないですよ」

「どういうこと?」と、僕は関根くんに尋ねた。

「あいつ、一人っ子なんですよ。だからずっと弟を欲しがってたんですけど、なかなか叶わない願いじゃないですか、それって。そんな長年の悩みの前に現れたのが、とっても可愛いロッキーだったんですよねえ。だからあいつ、『ロッキーは私の弟だ』って言って、らしくもなくつきっきりで世話するようになったみたいです」

 それは知らなかった。少なくとも僕と一緒にいる時は、清水さんはいつも笑顔だったから、てっきりいつものことだと勝手に思っていた。幼馴染だと、ここまで相手のことを知っているものなのか。

 でも、関根くんと一緒にボイジャーの世話をしていたことも一時期あったから、清水さんは元から世話好きだったんじゃないか、と僕は思った。そうでなければ、わざわざ厩務員なんて選ぶはずがない。そんな清水さんがロッキーと出会ったことで、母性本能をくすぐられたのかもしれなかった。

 僕はふと、清水さんが甲斐甲斐しくロッキーをお世話している様子を想像する。

 大人しいのに負けず嫌いな弟の怪我を心配する、快活だけど世話好きな姉。それがロッキーと清水さんなんだと考えると、何だか微笑ましい気持ちでいっぱいになった。

 そんなことを思っていると、清水さんが眠りから覚める気配がした。「ん」という、焦点の定まらない声を漏らしながら、清水さんはゆっくりと瞼を開けていく。ロッキーは首を持ち上げて、「よく眠れた?」というような表情でのぞき込んでいた。

「あれ、矢吹さん?」

 まだ上手く回転していない頭を持ち上げながら、清水さんはこちらへ振り向く。

「おはよう」と、僕はなるべく声を丸くしながら清水さんに挨拶をする。清水さんは数秒遅れて現状を理解したのか、急に赤を赤らめながら、僕にこんなことを尋ねた。

「あの、私の寝顔、見ちゃいましたか」

「可愛かったよ」と僕が言うと、清水さんはさらに顔を真っ赤に染め上げて、両手で顔を覆ってしまった。僕、また何か変なことでも言っただろうか。

「良かったなあ、りりあ」と、関根くんが清水さんをからかうようにそう言った。「矢吹さんから直々にお褒めの言葉を頂けたじゃねえか」

「な」と、清水さんは一瞬だけ戸惑ったような声を漏らすと、直後に「うるさい」と、けんかしている子どものように反論する。それを見て、関根くんはにやにやしながら、僕の後ろに隠れてしまった。そんな二人がおかしくて、僕は思わず、声をあげて笑ってしまっていた。

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