初めての狩り
本編に追い付きました
≪そろそろ作戦地域につく頃だから、今回の作戦を確認するぞ≫
防衛線予定地に移動しながら、萱場は僚車に無線で今回の手はずを確認する。
≪本作戦の目標は、現在ラサに急行中の英国インド兵師団がラサに到着するまで、ナクチュ方面からの敵の進軍を可能な限り遅延させることだ≫
ナクチュを経由してラサに向かっている敵勢力はどうやら主攻であるようで、1500km近い前線を守備するために薄く広がっている日英、それからネパールとブータンの計5個師団では対応しきれないということらしい。
≪我々にできるの……いえ、弱気になってしまいました。やらなければいけないんですよね≫
≪気持ちはわかるがそういうことだ。幸い、援軍となるインド兵は続々チベット入りしている。玉突きで日本兵たちがここに来るまで、そう長くはかからない≫
ラサという都市は山に囲まれた盆地にあり、守りやすい地形であるが、それはいったん入り込まれてしまうと追い出すのに苦労するという意味でもある。計算上、インド兵に持ち場を譲りつつラサへ延翼する日本軍より、新疆軍のほうが2日ほど早くラサに到着するため、彼女たちが時間稼ぎのために駆り出されたというわけであった。
「……いい景色」
「なんだろう、いつものチベットって感じの風景なのは変わらないのに、戦闘車に乗ってるとこうも楽しいものなんだね」
砲手用キューポラから周辺を警戒するミカに、キャロリンが話しかける。
「まあ、車に乗って基地の外を走ることってあんまりなかったし、もしかしたら馬に乗って走っても同じ気持ちになるかもよ」
「あーわかるかもしれない」
チベットでも競馬は広く行われており、それにまつわるゲン担ぎなども存在している。
「ほら、周辺警戒しないと。敵がどこにいるかわからんぞー」
「おっとすみません」
「変なものに乗り上げないように気を付けます」
萱場に注意された二人は、意識を任務に戻した。
(こうしてどこか緊張感の抜けた状態で戦闘車に乗れるのも、これが最後だろうな……)
どこか憐れむような気持ちを抱きながら、萱場はそんなことを考える。彼はもともと歩兵科の人間で、チベット再独立作戦のために矢島保次郎率いる遣蔵軍事顧問団の一員として現地へ派遣された。その時の自分もチベットの雄大な自然に見とれがちであったことを思い出す。
(風景だけじゃなくて現地の女性……今の妻にまで一目ぼれしてミカを仕込んじまったりしたが、俺が戦闘車に乗るようになったのはすべてが終わった後からだから、俺も乗り物に乗って戦場に出るのはこれが初めてなんだよな)
チベット独立から少し経った頃、ツァイダム盆地からわいた石油をだぶつかせているチベットにも装甲部隊を創設する話が持ち上がり、急遽妻子を日本に連れて、突撃車とそれを使った戦術の勉強をし直すことになった。妻が慣れない日本生活で体調を崩したり、一次大戦の戦訓が得られたことで戦術論が変わっていたりしたため、大いに苦労したことを覚えている。
「俺の苦労は報われるのかね……」
ここに来た頃とそこまで変わらないチベットの雄大な自然を見つめながら、萱場はため息をついた。
「……いよいよ実戦だぞ、ミカ」
「はい」
実の父であり、教官であり、ついでに今回は車長でもある萱場氏郎が、娘に覚悟のほどを問いかける。
「これから我々は、自分たちのために名も知らない兵士たちを殺す。操縦手のキャロはまだいいが、ミカは直接その引き金を引くことになるぞ。後悔しないな?」
「砲は私が構えましょう。照準も私が定めましょう。ですが、彼らを殺すのは上官たる萱場教官の殺意です。上の人間が殺すといった以上、部下である私には彼らを殺す義務が生じます。そこに後悔も罪悪感もありません」
戦場の空気に当てられて興奮しているのか、娘たる部下はいつになく饒舌に回答した。
「……ちゃんと勉強はしているようだな。さあ、そろそろ新疆兵が見えるころだろう。全員、生きて還るぞ」
1911年末のチベット再独立前からこの地を守ってきた日本人は、教え子たるチベット人たちにそう訓示した。
「方位3-3-0、歩兵隊」
「方位330、歩兵隊……照準不可、有効射程外」
「だろうな。ひきつけるぞ」
「了解」
チベット高原は起伏が激しく、草木こそ乏しいものの、身を隠せるくぼみには困らない。稜線から砲塔だけを出し、ミカたちが敵を待ち受けていると、有効射程外に敵歩兵が見えるようになった。
「……妙に隙だらけですね」
「完全な奇襲攻撃だったから、国境警備隊ぐらいしか新疆からここまでの間に戦力が配置されていなかったんだ。気も緩むだろうさ」
萱場の言う通り、新疆軍は国境警備隊を撃破した後、実に500kmもの距離をほぼ無抵抗で進軍できてしまっていた。ここ10年でインフラが整備されたといっても限界があるので、それなりに時間がかかっているし、その分気も緩んでしまう。
「でも、ここからは日本語で言うところの地獄の一丁目になる。そうでしょ?おじさん」
偵察隊を放って付近の起伏に何か潜んでいないか調べてはいるようだが、自分たちに戦車跨乗してきた歩兵たちにたやすく処理されている。彼らは義勇兵となってくれた高地戦訓練中の日本兵たちで、ラサを出発したときにちょっと寄り道をして拾ってきたのだ。
「ミカ、お前また変な単語をキャロに教えたろ……まあそうだ。俺たちの手で、ここを地獄に変える。できなければ、死ぬのは俺たちだ」
萱場はまるで自分に言い聞かせるように、キャロリンの問いかけに答えた。
やがて、割と無警戒に射程内に敵歩兵が入ってくる。中隊各車の車長は、時折キューポラから頭を出して周囲を確認し、先行偵察隊が随伴歩兵によってきちんと排除され、自分たちを発見していないか警戒を続けた。
≪教官、まだ攻撃しないのですか?≫
≪焦るなツェダ。もう少しひきつけないとすぐに有効射程圏から脱出されてしまうだろ。もう少しの辛抱だから我慢してくれ≫
僚車の車長である士官学校4年生のキナー・ツェテン・ダワをなだめつつ、萱場はじっと敵歩兵隊の接近を待つ。
(とはいえ、俺以外は全員素人だ。むしろ良く今まで勝手に発砲しないでくれたと思った方がいい)
「……」
じっと攻撃命令を待っている娘のミカも、操縦席でそわそわしている同僚の娘のキャロリンも、チベットにはよくいる「女性戦車兵」の卵である。まだチベットが自分で戦車を作ることはできないが、現在激戦が繰り広げられているゴルムドに自前の油田があるため、動かすための燃料は豊富にあった。
≪第1中隊、攻撃開始!≫「放てぇ!」
もう我慢の限界だろうと判断した萱場は、攻撃命令を下し、砲手に射撃を命じる。号令一下、各車両に装備されている39口径40mm毘式機関砲が火を噴き、目標を瞬く間に血霧へと変えていった。
≪各車後退の後、主砲の弾倉交換を待って配置を転換せよ!再攻撃位置は各車長に任せる!もたもたしてると砲弾が飛んでくるぞ!≫「全速後退!」
「Aye aye sir!」
4.0L強制掃気2ストロークエンジン「A040C」が唸り、6tに満たない車体を稜線の向こう側に引っ張り込む。
「……再装填ヨシ!」
「俺たちは右に転回して射撃位置を変えるぞ!キャロ!随伴歩兵を轢くなよ!」
「Affirmative!」
萱場教官車は配置を転換し、また別の稜線からハルダウンの体勢を取った。
「照準ヨシ!」
「放てぇ!」
壊乱する敵歩兵に対して0.98kgの40mm榴弾が秒速620mで撃ちだされ、彼らの足元に命中しては炸裂していく。萱場が砲塔から身を乗り出して様子を見るに、僚車もそれなりにうまくやっているようだ。
「初動はよし。だが、こっからが厳しくなるな……」
先遣隊を壊滅させてしまったため、次の攻撃は今回とは比較にならないくらい苛烈なものになるだろう。ラサに行くには谷底を進むか山を上り下りするしかなく、すでに要所を押さえている自分たちにとって状況は有利だが、とにかく練度と戦力が心もとない。
「ちょっとやり過ぎちゃったかもしれないね」
「そんな派手に殺してたの?それはそれで見たかったかもしれないなあ……自分の位置からだと、丘の向こうで何が起こってるのか見えないんだ」
「あのさあ……」
砲手席のミカに対して、操縦席のキャロリンが軽口をたたく。
「下手にこの期に及んできれいごとを並べているよりよっぽどいいぞ。それより、次に来る相手は相当激しい攻撃をしてくるからな。今のうちにゆっくり休んでおけよ」
「今しがた叩きのめしてやった彼らの復讐戦になりますからね。この辺で我々が防衛線を引いていることも露見しましたし、次はもっと念入りに偵察と、支援砲撃が来るはずです」
「ただ、それを今から準備していると攻勢発起が最速で夕暮れになってしまい、練度に不安のある敵軍には同士討ちの危険があるので、おそらく払暁を待って攻撃をしてくるだろう……であってる?」
「あってる……そうですよね?教官?」
萱場の指示に対して、その理由をミカとキャロリンが得意げな顔で確認した。
「……その通りだ。わかってるなら車外で少し休憩してろ」
「了解」
「敵の再攻撃に備えて英気を養ってまいりますっ」
そう答えると、二人は車外に降りていった。
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