二十年越しの答え
ゴルムドのホテルに1泊した翌日。耀子たちは70㎞ほど北に進んだところにあるチャルハン塩湖(正確には塩湖群)の周辺で本格的な調査を始めた。ここからは車の近くにテントを張り、野宿をしての調査になる。この日の調査自体は順当に終わり、焚火を囲んで食事を楽しんだり、適当な身の上話をしたりして過ごした。
そんな日の深夜の事。
「っはあ! ……はあ……はあ……」
回る視界、薄れゆく意識、渦巻く無念……テントで寝ていたミカは、e-スポーツ大会で優勝を決めた直後に、持病が致命的に悪化した前世の夢にうなされて飛び起きる。
「はあ……まったく……ついて……ない……」
誰かに見られてないかと心配になったが、おなじテントの人は誰も起きてな……いや、一人足りない。
(耀子さんが、居ない?)
芳麿と響子はすやすやと寝ているが、耀子が寝ていたはずの位置には寝袋しかない。
(人拐い? いや、テントの一番奥にいたあの人を誰にも気づかれず拐うなんて不可能だ。そうなると、御手洗いかなにかで外に出ていったのだろうが……)
そう思ったミカがテントの外に出ると、ちょうど耀子が野外に作ったトイレの方向から歩いてくるのが見えた。まずはひと安心である。
(なにか歌っている……? お揃い……?)
誰も見ていないと油断していた耀子は、前世で好んでいた音楽グループの歌を歌っていた。どうやら満天の星に感化されたらしい。
「『そんな不確かなものを』……うわあ!?」
目をつぶって間奏の語り部分を熱演していたため、耀子はぶつかる直前までミカの存在に気づかなかった。
「ぼ、ボンソワール、マドモアゼル。そんな浮かない顔をして、何事かお悩みかな……?」
気まずさからおずおずとミカの機嫌を伺うように話しかける耀子。普段のミカなら、当たり障りない答えを返して、そのまま耀子と一緒に布団に入っただろう。
「……実は、ちょっと、眠れなくて……」
ただ、今の彼女はとある事情から情緒が不安定になっていたのと、耀子の台詞に感じている妙な懐かしさから、ついつい彼女に甘えたくなってしまったのだった。
「つまり、いきなり持病が悪化して、そのまま亡くなってしまう展開だったんですね。それは、不意打ち的で怖いなあ……」
ミカの話を聞きながら、耀子は必死に自身の心の昂りを抑えている。彼女の語った夢の内容は、どう聞いても耀子が前世で熱中していたことがあるオンラインゲームの決勝大会だ。
「ひとつ聞きますけど、夢の中でミカさんが担当されていたのはどんな車両でしたか?」
「ぬるっとした車体の上にへんてこな砲塔が載っていました。今の戦闘車よりずっと太い主砲を、2、3秒くらいの間隔で4連射できたのを覚えています」
へんてこな砲塔とは、主砲ごと砲塔が上下する揺動砲塔のことだろう。こうしたオートローダーと呼ばれる車両は個人技に優れたプレイヤーが担当するものだから、今の彼女がチベットで戦車エースを張っているのも納得がいく。そして、大会に使われる4発オートローダーというと、耀子には1車両しか思いつかない。
「その車両の名前、AMX50B、だったりしません?」
「!?」
ミカは混乱した。朧気ではあるが、自分の使っていた車両はそんな名前だったような気がする。しかし、なぜ目の前の、ほぼ初対面の女性は、自分の夢の内容をきちんと理解し、自分すら今の今まではっきりわからなかったことを知っているのか。
「その名前に、聞き覚えがあるんですね」
「……はい。でも、なぜ、あなたが知ってるんですか……? まさか……」
「そのまさかですよ。私もまた、あなたと似たような時代から、この時代に転生した人間ですので」
「……」
目の前のもこもこに着込んだご婦人──冬の砂漠はとても寒いのだ──は、長い間疎遠になっていた旧友と再会した時のように、大きな瞳をキラキラと輝かせながらミカの方を見ている。
「そうなん、ですか?」
「私の前世ではあの戦車ゲームで世界大会に挑めそうな女性プレイヤーなんていなかったから、厳密には違う世界線だと思うけど。でも、お互い似たような時代の似たような世界からこの世に生まれ変わってきたんだと思うよ」
奇妙な親近感がわいてきたのか、すっかり敬語を使わなくなった耀子。
「……耀子さんは、どのくらい前世の記憶が残ってるんですか?」
「んまあ、人が35年間覚えていられる範囲内かな。私が覚えている限りの未来の技術知識を事業化し、お国に貢献するために作ったのが、帝国人造繊維って会社なんだよ。大事なことはなるべく復習して覚えているようにしてるけど。他愛もない思い出とか、もうだいぶ思い出せなくなっちゃった」
「じゃあ……やっぱり、あれは前世の自分が死ぬときの記憶なんですね……私も耀子さんみたいに、明るかったり役に立ったりすることを覚えていたかったなあ……」
そう言ってミカはため息をついた。
「本当に覚えていないのかな。意識していない、あるいは忘れてしまっているだけじゃない? 例えばこの曲とか」
それに対して耀子は疑問を投げかけ、唐突に1曲の鼻歌を途中まで歌う。
「それは……!」
「あ、やっぱり聞き覚えある? これの続きを歌ってみて」
促されたミカは、記憶の糸をたどって耀子が歌った続きから1ループの最後までをやはり鼻歌で歌い切った。
「やればできるじゃん。まだこの世界でポーリュシカポーレが作曲されたなんて話は聞いたことないけど、私もあなたもこの歌を、この曲知っている。なんせ、あのゲームで戦闘前に散々聞いたからね」
ポーリュシカポーレは史実だと1934年に初演されたとされる軍歌である。それも、たたえる対象はこの世界線だと影も形もない労農赤軍であるから、この先この歌がこの世界で作曲される可能性は限りなく低い。つまり、この曲を知っていることが、未来から逆行転生してきた証拠になるのだ。
「はあ……」
「この調子なら、ほかにも学校の勉強に何となく既視感があったりとか、あるいは戦車で射撃する時に勘で定めた照準がばっちり当たったとか、そういうことが今まで結構あったんじゃない?」
「そういわれてみれば……確かにそうですね……」
思い返してみると耀子の言うとおりである。士官学校の一般教養課程(チベットは教育制度が未熟なため、士官学校では士官としての教育を行う2年間の前に、普通の勉学を学ぶための2年間が存在している)は1年で修了できたし、戦闘車に乗り始めてからも、射撃の腕では全学生の中でトップだった。今までは自分の才能によるものだとミカは思っていたが、実際にはおぼろげな前世の記憶が助けてくれていたということが今判明したのである。
「それじゃあせっかくだしこのままミカさんの記憶をどんどん刺激して……」
「今日はその辺にしようよ、耀子さん。明日に響くよ」
いつの間にか起きていた芳麿が、テントの出入り口をまくり上げて言った。
「あ、芳麿さん……」
「耀子さんの不思議な話についてこれるかもしれない人を見つけて興奮しているのはわかるけど、このままほっといたらあなた朝までずっとミカさんに話しかけてるでしょ。さすがに申し訳ないよ」
「はい、すみません……」
芳麿に叱られた耀子は、おとなしく芳麿とミカに頭を下げた。
「あの、芳麿さんはどこまで……?」
「義父、つまり、妻の父が亡くなった時に事情を聞いています。この件については口外しないので安心してください」
「あ、わかりました。こちらも、耀子様の事については口外しないことをお約束いたします」
ミカははっきりとした記憶を持たない転生者だが、耀子にははっきりとした史実知識がある。はたから見れば胡散臭い話で、十中八九嘘八百と切り捨てられるだろうが、念のため他国に渡せない情報であった。
「ありがとうございます。それでは、今日のところはこのくらいにして、もう寝ましょうか」
「はぁい」
若干不服そうに耀子が返事をした後、二人はテントの中へ入り、寝袋に潜り込む。この晩、ミカがもう一度悪夢にうなされることはなく、彼女は爽やかな翌朝を迎えることができたのだった。
というわけで、なんてことはないネタバレ回でした。
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