別れの時、旅立ちの時
1929年3月。王立士官学校で卒業式が行われた。今年の卒業生は新疆軍との一連の戦闘によって少なくない戦死者が出ているため、無事に卒業を迎えられて安堵する空気と、一緒に卒業できなかった戦友を悼む沈痛な空気が入り混じっている。
「まさか私達も見送られる側になるなんてね」
「あれだけ濃密な実戦経験を積んだ私達に、いまさら何を教えるんだってところは確かにそうだけどさ……」
新疆軍との戦闘に最後まで参加していた教導戦闘車大隊の面々は、4回生だけでなく、3回生も飛び級で卒業し、少尉に任官されることになった。
「そういえば今気づいたんだけど、ミカは士官学校で都合2回も飛び級したことになるよね。やっぱすごいよミカは」
「それほどでもない」
やはりミカは主人公にふさわしかった。しかも謙虚にもそれほどでもないと言った。
ミカの口調が唐突におかしくなることはよくあることなので、キャロリンは何ら突っ込むことなく話を続ける。
「わたしもさ、これまでいろいろ頑張ってきて、人並み以上に優秀な自信はあったんだけど……ミカはそれ以上だよ」
「……キャロちゃんにそう言われちゃったら、私どう返していいかわからないや」
謙虚に否定したら嫌味になりそうであるし、素直に受け止めるのもなんか違う気がして、ミカは困惑した。
「んー……まあ、私はそう思ってるってこと。あんまり気にしなくていいよ」
「そうする」
そろそろ式が始まる時間である。皆が姿勢を正して正面を向き、会場は冬の早朝のように静まり返った。しばらくするといよいよ卒業式が始まり、まずは卒業証書と学位記の授与が一人ずつ行われていく。それが終わると、まずは学長の式辞である。
「本日をもって、諸君らはこの王立士官学校から旅立ちの時を迎えることになります。ご卒業、おめでとうございます。また、諸君らをこれまで育て上げてきた御家族の皆様にとっても、とりわけ感慨深いものがあるものでしょう。この場をお借りして私からもお祝い申し上げます。本日の式典にはダライ・ラマ猊下をはじめ……」
学長は来賓に対して隣席にお礼を言いつつ、式辞の本題に入っていく。
「……諸君らにとっても、我々にとっても、苦難の年でありました。忘れもしない1928年7月7日、新疆軍は突如として我が国に侵攻してきました。陸軍は中華民国との国境に集中配備されており、貧弱な国境警備隊はなすすべなく撃破されました。敵軍がここラサまで迫る中、諸君らは我々の苦渋の決断に応じて、まだ扱いなれぬ装備を取り、悪戦苦闘の末新疆軍を撃破することができたのは、今でも記憶に新しいところです」
触れないわけにはいかない新疆軍との戦争の話題である。会場の空気も一層張り詰めたように卒業生たちは感じた。
「車両科の皆様においては、既に軍務についている先輩たちとともに教導戦闘車大隊を編成し、新疆軍との戦争が終わるまで戦い抜いていただきました。約半年間にも及ぶ濃厚な戦闘経験は──教育に携わるものとしては少々歯がゆい物でもありますが──1年間の教育課程にも勝るものとなっているでしょう。そのため、車両科の生徒については、4回生だけでなく、3回生についても飛び級で卒業を認めることといたしました」
最初の方でミカ達も話していた通り、このような経緯で車両科については3回生も卒業することになった。もっともおかげで従軍経験だけではカバーできない、国際法とかの知識面については、クチャ戦車戦後の2か月間で詰め込まれることになり、「現場より地獄だ」と漏らす生徒も居たという。
「……以上を持ちまして、学長式辞とさせていただきます」
その後、生徒に限らずすべての新疆軍戦での戦死者に弔意を示し、当たり障りのない話題に戻って学長式辞は終了した。その後のダライ・ラマ13世による訓示、国防担当大臣であるツァロンによる訓示も大体似たようなものであり、卒業生たちはおくびにも出さないものの、少々飽きが来ているところである。
そんな中、来賓祝辞で登壇したのが、ミカ達、とくにツェダには思い出深いテンジン・タシ大隊長──今は中佐に昇進し、チベット機動第1旅団参謀長に異動している──であった。
「卒業生の皆様、ご卒業おめでとうございます。そうそうたる来賓の皆様を差し置いて、私如きが祝辞を述べさせていただくというのは誠に恐縮でございますが……」
テンタは「未熟な士官候補生たちを率いて、ベテランにも負けない戦果を出した名指揮官」ということになっているため、今回の卒業式に呼ばれ、来賓祝辞を読み上げることになったのだろう。だが、クチャ戦のあとの会合で、中隊長達に何度も泣きながら頭を下げるテンタの姿を見ていたツェダ達は、彼が執拗に説得されて、複雑な思いを抱きながら仕方なく受けたことを想像してかわいそうに思った。
「……諸君らの同期はもっと大勢いたと思います。彼らが戦死し、あるいは生きていたとしても負傷して今回の卒業式に出られなかったのは、私の指揮が拙かったからでございます。諸君らを過信し、過大な期待を背負わせてしまった結果、諸君らの戦友をクチャの地で消耗させてしまいました」
声色からも、悔恨の念が強く感じ取られる。40mm装備車が突撃せざるを得なかったのは、敵歩兵戦闘車の装甲が強力で、接近しないと装甲を貫通できなかったからである。消極的な戦闘をしてイギリス軍の不興を買うわけにもいかない以上、大隊長があれ以上のことをできたとは考えにくかった。それでも彼は、今でもそれを後悔しているのであろう。
「しかし、そんな私にも、粘り強く付き従ってくれた皆様のおかげで、チベットは今も独立を保ち続けております。皆さんは本当に優秀です。そんな皆さんが、これからの国防を担ってくれることは、きっと我が国にとって幸運なことであるに違いありません……」
それでも彼は、辛い心情を押し込んで、何とか祝辞を読み終えることができた。車両科の席からは、とりわけ大きな拍手がテンタに贈られる。
最後が卒業生の答辞である。これを読み上げるのはミカであった。
「本日、ここにダライ・ラマ猊下をはじめとする来賓各位のご臨席を賜りつつ、王立士官学校の卒業式を挙行いただきましたことは、私たち卒業生にとって格別の名誉でございます。心より、お礼申し上げます」
当初はツェダが代表に打診されていたのだが、彼女がかたくなに「ミカの方がふさわしい」と固辞したため、彼女に回ってきたという経緯がある。
「残念ながら、生きて今日という日を迎えることができなかった戦友が少なくない数いたということも事実です。しかしながら、我々が学生という身分に甘えて無抵抗でいたら、今頃ここラサには新彊軍の旗が翻っていたかもしれず、指揮官たる上官の皆様の尽力があったからこそ、我々の犠牲も少なく抑えられたということは想像に難くありません。テンジン・タシ"大隊長"、どうか、気に病むことはおやめくださいますよう、お願い申し上げます」
この部分は先ほどのテンタの祝辞を踏まえたミカのアドリブである。こういうことはあまりよろしくないのだが、ミカは言わずにはいられなかった。
「さて、我々の在学した4年間──まあ私個人は2年間しか在学していないわけですが──は、ひたすら真の武人を、そして真の紳士淑女をめざして己を研鑽してきました。士官候補生の身分で戦闘に参加するという、珍しい体験もさせていただきました」
実戦にまで参加させるのは、もう二度とあってほしくないものだと、生徒はもちろん教職員一同も思ったに違いない。
「そんな厳しい訓練と実戦の中でも、先輩や後輩、そして同期と支えあえたことで、私達は今日という日を迎えることができ、これから我が国の国防を担う士官として軍務につく決心をすることができました。新疆軍との戦闘は終結しましたが、中華民国との戦いはまだ終わりが見えておりません。もしかしたら、日本からロシアとの戦争を支援するよう求められる可能性もあるでしょう。このように、いまだ国際情勢は予断を許さない状況で、我が国はその中を生き抜いていく必要があります。そのための柱の一本である国防を、先輩たちとともに、我々が担っていきます……」
新彊が脱落した今、ロシアにとって中華民国は数少ない友好国の1つとなっており、兵器供与や軍事顧問の派遣などを通して中華民国の強化を進めている。歩兵戦闘車が供与されたという情報もあり、次は中華民国との戦闘が本格化することは想像に難くない。
「……最後になりますが、王立士官学校のますますの発展を願って、答辞とさせていただきます」
ミカは無事に答辞を締めくくり、原稿を学長に手渡した。会場から大きな拍手が巻き起こる。
(これで一応、ひと段落なのかな……)
席に戻りながら、ミカはそんなことを考えていた。新疆との戦いは終わり、自分も正式に軍務につくことになる。おそらく、今度は中国戦線で戦闘車に乗ることになるのだろう。
(とはいえ、人生も戦争も、まだまだ続く。この国が続くために、私が生き残るために、明日からまた頑張らないといけないんだろうな)
ミカ自身も答辞で述べた通り、この先、チベットが、世界が、どのように歩んでいくのか、全くわからない。自分がその中でどれだけ力を示せるのか、さすがのミカも、自信は持てなかった。
とりあえず一区切りです。本編の状況次第ですが、チベ砂の方がここから不定期更新になります。ここまで読んでくださった方々、どうもありがとうございました。本編の方もよろしくお願いします。