子狐こんこん山の中
少し時系列をさかのぼって、士官学校に入る前のミカがどんな感じだったのかというお話です。
「くそっ!やっぱロシア人戦車うめーわ!」
「ミカ!リロードあと何秒!?」
耳元から「仲間たち」の差し迫った日本語が聞こえる。「今」から90年程未来の世界で、ミカは仲間たちと「オンラインゲーム」なる遊びのオフライン世界大会、その決勝戦に出ていた。
「今そっち行ってる!あと5秒耐えて!」
ミカが操る戦車は、いわゆるオートローダーと呼ばれる物である。1回のリロード時間がすさまじく長い代わりに、大口径砲を数発連続発射でき、瞬間火力に優れた車両だ。彼女はいったん戦場から離れてリロードをした後、押されている味方を援護するために敵軍を後背から襲撃しようと疾走している。
「行くよ!出て!」
「行け行け行け行け行け行け行け!」
ミカの号令とともに味方も一斉に物陰から飛び出し、決死の反撃を試みる。お互いに集中砲火を浴びせあって1両、また1両と脱落していくが、勝利の女神は背後から好き放題ミカに撃たせまくった日本側に微笑んだ。
「リロード!あと46秒!」
「よくやったミカ!これならリロード終わる前に試合が終わるぞ!」
敵の生き残りは軽戦車1両。こちらは重戦車が2両。勝負は決まったも同然だ。
実際この後、生き残った日本側重戦車がロシア側軽戦車をひねりつぶして試合終了。これが最終マッチだったため、日本側の優勝が確定した。
「私たち、勝ったんだね……」
先天的な内蔵疾患を抱え、病気がちで学校にもろくにいけない自分が唯一他人に自慢できる特技がこのゲームの腕前であった。いつも不調な体に鞭打って、遠い異国の地で仲間たちとつかんだ勝利である。もはやこのまま死んでも悔いはないだろう。
「やったなみんな!」
「いい試合だったぜ!またやろうな!」
あるものはチームメイトを労い、あるものは相手をたたえている。ヘッドセットを外し、自分もその輪に混ざろうかと席を立とうとしたとき、強烈なめまいに襲われて転倒した。
「……!」
「……!」
自分の異変に気付いて近くの人々が駆け寄ってくる。何か言っているようだが、頭が全く回らないため、言語として認識できない。
(死ぬの……?わたし、死ぬの……?)
不意に胃の中から何かがこみあげてきて、思わずそれを吐き出してしまう。床が赤黒く染まったところを見るに、どうやら吐血したらしい。
(嘘……あとちょっとだけでいいのに……)
困惑、恐れ、絶望……ありとあらゆる負の感情が渦巻く中、彼女の意識は深い闇の底に閉ざされた。
「うわぁ!」
寝床から跳ね起きたカヤバ・ミカ・サカダワは、周囲を見渡してここが1920年代のチベットであり、自宅の寝床の上であることを再確認すると、大きく大きくため息をつく。
「へぁ~……またこの夢かぁ……」
そう、彼女はこの夢を何度も見ているのである。にもかかわらず、何度同じ内容を見せられても明晰夢になる兆しはなく、それ故に本当に死んでしまうと焦って朝から疲弊してしまうのであった。
「お母さんは『前世の記憶なんじゃないの』ってよくわかんないことを言うし……でも、小さいころはお父さんの日本語の方が理解しやすかったし、案外間違ってないのかなあ……」
彼女の母親の推測は実は正しい。ミカの前世は令和の女性プロゲーマーであり、まさしく彼女が夢で見る通り、世界大会で優勝を決めた直後に持病が悪化して息を引き取っている。
「んー……でも、ダライ・ラマ猊下みたいにはっきりと記憶が残っているわけでもないし、結局なんだかよくわからないや……とりあえず朝ごはん食べてこよ……」
ただ、彼女にははっきりとした前世の記憶というものはなく、「いろんなものに何となく既視感があり、実際触ってみると異様に呑み込みが早い」と言う程度のものであった。
「……あ、キャロちゃんだ」
学校が終わったら、チベット王立士官学校の中を覗き見するのがミカの日課である。キャロというのは、ミカの幼馴染であるオールコック・キャロリン・トーギャーのことで、彼女もまたイギリスから来たお雇い外国人と、チベット人女性との間に生まれた娘である。
「今は体操の時間か。みんな上手だなあ」
キャロリンはミカと1月しか歳が離れていないが、三月の厄除け祭りに生まれたため、四月の善行月間生まれのミカより学年が1つ上であった。
「チベットの士官学校では4年間のうち最初の2年は普通の学校みたいにみっちり勉強させられるってキャロちゃん言ってたけど、外国の士官学校は最初から軍事教練があって、3年もたたないうちに卒業になるんだっけ」
近代化の遅れているチベットでは、当然教育制度の整備も遅れている。人によってどれほど学業に打ち込んできたかがバラバラなため、士官学校の年数を伸ばし、基礎教育を受けさせる時間を確保しなければならなかった。
その分若い内から入学することができ、現在15歳のミカも、来年度には士官学校に進学しようと決めている。
「あっちの方には……あったあった」
ミカの視線の先にあるのは、日本とのバーター取引で入手した十年式軽戦闘車だ。
「十年式はぎゅっと詰まったかっこよさと研ぎ澄まされたフォルムが魅力だよね。チベット人は欧州大戦で活躍した三年式突撃車が好きな人が多いけど、私はこっちのほうが好き」
前世の影響か、彼女は装甲戦闘車両が好きという変わった趣味がある。士官学校に入ったら、当然戦車科を目指すつもりだ。もっとも、軍に入ろうと思った理由は別にあって、戦車が好きというのは戦車科を志望する理由でしかないのであるが。
「日本には十年式をもっと大きく、強くした十二年式中戦闘車っていうのがあるらしいのよね。いつかうちの国にも導入されないかなあ」
十二年式中戦闘車は、十年式軽戦闘車が対戦車戦闘では早々に陳腐化すると読んだ日本が開発した中戦車である。下に示す諸元の通り、1920年代の車両でありながら、すでに史実の四号戦車F2型と同等の総合力を持った"OP"戦車であった。これを可能にしたのが、逆行転生者「鷹司耀子」が航空機用に開発させた「帝国人繊 A系」エンジンである。耀子の知る未来技術によって徹底的に熱効率を向上させた強制掃気2ストロークエンジンであるため、たった8.0Lの排気量でありながら、240hpを絞り出す小型高出力エンジンに仕上がっていた。
陸軍技術本部 十二年式中戦闘車 1型
全長4.9m
全幅2.5m
全高2.4m
戦闘重量:14.4t
乗員数:4名(運転手、車長兼無線手、砲手、装填手)
主砲:十二年式車載砲
口径:75mm
砲身長:3.4m(45口径)
砲口初速:750m/s
装甲貫通力
破甲榴弾(Semi-AP):84mm/90°@100m、73mm/90°@500m
装甲
砲塔正面:75mm
砲塔側面:25~40mm
砲塔天蓋:10mm
砲塔背面:25mm
車体正面
上部:25mm30°
下部:25mm35°
車体側面:25mm90°
車体背面:10mm90°
車体上面:10mm
車体下面:10mm
エンジン:帝国人造繊維"A080C" 強制掃気2ストローク強制空冷水平対向8気筒
最高出力:240hp/3000rpm
最大トルク:70.4kgm/1400rpm
最高速度:42km/h
「おいこら、そこで何してる!……いつもすまないね、ミカ、これも仕事だからさ」
覗きに夢中になっていると、見回りの兵士に怒られてしまった。といっても、彼とは顔なじみなのか、ミカの事情は知っているような雰囲気である。
「おっと、すみません。戦車が見たくて、つい……」
「まあそうだろうけど、何のために塀があるのかをもうちょっと考えてほしいかなあ……」
兵士は頭を掻きながらミカに文句を言った。
「ご迷惑かけた分は来年以降御国に奉公してお返しするつもりですので」
「軍隊はきついぞ。何せ万年人手不足なうえに、軍閥どものせいで仕事は山盛りだ」
兵士はおどけた調子でミカを脅す。だが、それこそミカが軍人を目指す理由であった。
「だからこそです。軍人が大変なのは、おっしゃる通り人が足りないからでしょう。であれば、戦場に出られる者は出るようにして、その苦労を分かち合えば、一人当たりの苦労は少なくなります。私は、誰かの助けになることがしたいのです」
チベットは武力によって強引に独立をつかみ取ったこともあり、中華民国(正確にはその緩い統制下にある地方軍閥)との間で頻繁に領土紛争が起きている。戦線が広く、急拡大した生産力に対して人口が見合っていないこともあり、軍事の担い手はいつも不足していた。
士官学校の教官を父に持つミカは、人手不足から時折戦場に引っ張り出される父を見て、彼らの役に立つ人間になりたいと願ったのである。
「じゃあまず俺たちの仕事を減らすところから始めないとな」
「それは……後学の為ですので……」
痛いところを突かれてしどろもどろになるミカであった。
チベット、そこかしこに転生するお坊さんがいるので、逆行転生のスタート地点としては悪くないんじゃないかと個人的には思います。まあ、ミカは転生者と呼べる程はっきりとした前世の記憶を持っているわけじゃないんですけどね。