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崔浩先生の「元ネタとしての『詩経』」講座  作者: ヘツポツ斎
国風 衛風

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碩人(立派な嫁入り/姜氏の将来を悲しむ)

碩人《せきじん》 引用24件

嫁入り歌 美しき人 斉の姫 衛荘公 乱政のきざし



碩人其頎《せきじんききん》 衣錦褧衣《いきんけいい》

齊侯之子《せいこうしし》 衛侯之妻《えいこうしさい》

東宮之妹《とうぐうしまい》 邢侯之姨《けいこうしい》 譚公維私《たんこういし》

 素敵なあの方はすらりと背が伸び、

 錦衣にかかる薄絹もまた立派。

 斉公のお子にして衛公の妻。

 斉の太子の妹御にして、

 邢侯の夫人の姉上。

 ならば譚公が義兄である。


手如柔荑《しゅじょにゅうい》 膚如凝脂《ひじょぎょうし》

領如蝤蠐《りょうじょしゅうせい》 齒如瓠犀《しじょこさい》 螓首蛾眉《しんしゅがび》

巧笑倩兮《こうしょうせいけい》 美目盼兮《びもくふんけい》

 手は柔らかいつぼみ、

 肌はぷるぷる、コラーゲン、

 首筋はスクモムシのごとく白く、

 歯はウリのようであり、

 広く引き締まった額に、

 カイコガのような鮮やかな眉。

 笑う口元の艶やかさ、

 ぱっちりとした美しき目。


碩人敖敖《せきじんごうごう》 說于農郊《せつうのうこう》

四牡有驕《しぼゆうきょう》 朱幩鑣鑣《しゅふんひょうひょう》

翟茀以朝《てきふつじちょう》 大夫夙退《たいふしゅくたい》 無使君勞《むしくんろう》

 素敵なあの方は実に艶やか、

 しばし近郊に車をお停めになる。

 四頭の牡馬はいきりたち、轡には、

 鮮やかな赤い手綱が結ばれる。

 キジの羽で飾り立てられたその車は、

 やがて御殿に入ってゆく。

 出仕した大夫たちよ、退出なされよ、

 かの君をお疲れさせぬよう。

  

河水洋洋《かすいようよう》 北流活活《ほくりゅうかつかつ》

施罛濊濊《しろさいさい》 鱣鮪發發《たんゆうはつはつ》 葭菼揭揭《かえんけいけい》

庶姜孽孽《しょきょうせつせつ》 庶士有朅《しょしゆうけつ》

 とうとうと流れる黄河。

 北に流れゆくその活発さ。

 魚取網を投げ込めば、

 コイやシビがその中で跳ね回る。

 岸に伸びるのはアシやオギ。

 お供の侍女らもまた美しく、

 お供の侍もまた勇ましい。



○国風 衛風 碩人

斉の国の姫が、衛に嫁入りする。彼女は斉公近しき縁者であり、ならば斉の衛星国である譚の主とも近しきお方。彼女自身も艶やかであり、かつ嫁入り行列も壮観。北に流れる黄河のその広く豊かで、滔々としたさまのごとく、前途は洋々。そのように歌われておるわけである。



○儒家センセー のたまわく

「閔莊姜也。莊公惑於嬖妾,使驕上僭。莊姜賢而不答,終以無子,國人閔而憂之。」

斯様に盛大に、まさしく「鳴り物入り」で荘公のもとに嫁ぎ来た姜氏! その彼女が、将来大事になされず、子もなせず、養子にと迎えた子はその弟に殺され、と悲惨極まりなき思いをするのである! 悲しきかな、悲しきかな!



○崔浩先生、儒家センセーにビビる

む、この詩自体に「憐れむ」要素は一切ない、よな……? 詩に見える状況の未来を見るのも、それはそれでよかろうが、そこまで先をわざわざ見ることもあるまいに。

まあ、いわゆる「フラグ詩」とみなすのが良いのかな。嫁入りの様子を盛大に讃えまくれば、その後には不幸が待ち受ける、的な。そう考えれば、儒家センセーのお言葉にも理解が及ぼうというものである。



■莊姜のお話をしましょう

儒家センセーの仰る荘姜は実際に左伝、史記に載る。実際にこの歌が荘姜の嫁入り歌であったかどうかを裏打ちできる史料があるのならばそれをよこしてからお話しくださいませんか? と申し上げたいところではあるのだが、需要史的な問題として「その前提でこの詩が語られ続けてきた」事は動かせぬ。そもそもいい加減にしろよそういう尾籠な姿勢、こそが最も言いたいところではあるのだが、その尾籠さこそがひとの営みである、とは受け入れねばならぬのだ。人間の理性というやつは驚くほど弱い。


・左伝 隠公3

衞莊公娶于齊東宮得臣之妹。曰莊姜。美而無子。衞人所為賦碩人也。

・史記37 衞康叔世家

莊公五年,取齊女為夫人,好而無子。又取陳女為夫人,生子,蚤死。陳女女弟亦幸於莊公,而生子完。完母死,莊公令夫人齊女子之,立為太子。



■前詩に話が戻る

前詩『考槃』に、「考槃在阿,碩人之薖。」と言う句がある。ここで「薖」字について辞書は「「寬大」「空腹」の二義を引く。そして詩の全体の流れを見れば明らかに前者を引くべきであるのに、陰謀論大好きな儒家センセーがたはすぐに後者の意味で詩を解釈したがる。どうぞご自由に、と言うよりほかないのだが、ちょくちょく史書上にて後者的解釈が載せられておるのを見ると、「ほんとキミら尾籠な動き好きな」と申し上げるよりほかなくなるのである。


・後漢書53 申屠蟠

悽悽碩人,陵阿窮退。

・宋書22 楽四

嘯歌流激楚,傷此碩人懷。

・魏書7 元宏

碩人所以窮處幽仄,鄙夫所以超分妄進,豈所謂旌賢樹德者也。



■当詩引よ……なに?

論語、史記ともに子夏、孔門高弟のうち最も文章力に優れた弟子が孔子に問うのであるが、ここで問題がある。このやり取りにおけるキーは「素以為絢兮」にある。孔子はこの句を取りだして「絵に白をまぶすのは最後だ」と語り、子夏が「なるほど、(様々な徳を修めた上で)最後に礼を修めるようなものですね!」と返す内容であり、つまり当詩にない内容について語られている。どないせいっちゅうねん。


・史記67 卜商

・論語 八佾8

子夏問:「『巧笑倩兮,美目盼兮,素以為絢兮』,何謂也?」子曰:「繪事後素。」



■凝脂は二種類

ひとつが「凝脂のようにガチガチに固められたもの」という意味合い。もう一つが「凝脂のようにつややかなもの」。基本は前者の用法であるようであるが、王羲之はそうしたお約束から自由であったのがうかがわれる。最も史書の世界より離れ文学方面に行けば後者の用法が多いのやもしれぬな。


・史記122 酷吏伝序 注

鹽鐵論云「秦法密於凝脂」。

・晋書25 輿服

及凝脂布網,經書咸燼,削滅三代,以金根為帝軫,除棄六冕,以袀玄為祭服。

・晋書93 杜乂

王羲之見而目之曰:「膚若凝脂,眼如點漆,此神仙人也。」

・世説 容止26

容止王右軍見杜弘治,嘆曰:「面如凝脂,眼如點漆,此神仙中人。」

・魏書111 刑罰

法繁於秋荼,網密於凝脂,



■むしろ蛾眉が載るのか

蛾眉と言えば「美しき女性の眉」の代名詞である。なのでまぁ史書にはなかろうなと高をくくっておったのだが、意外といた。とは言え出てくるのはやはり史書中に採録されている賦上の内容である。さすがにここまで直接的な「なまめかしい」女性向けの言葉が史書にダイレクトで載るはずもないのである。


・漢書87.1 揚雄 上

知衆嫭之嫉妒兮,何必颺纍之蛾睂?

玉女無所眺其清盧兮,虙妃曾不得施其蛾眉。

・後漢書52 崔駰

揚蛾眉於復關兮,犯孔戒之冶容。

・後漢書59 張衡

咸姣麗以蠱媚兮,增嫮眼而蛾眉。



■もう少し使われそうなものだが

「農郊」句は農務最優先の世界観であればもう少し用いられそうな気もしたのだが、むしろ蛾眉よりも少ないという結果になり驚きを隠せぬ。まぁ、やや特殊な言葉であるのは否めぬのであろうな。印象としては「農地と、町外れ」を併せて用いられておる感があり、確かにあまりここは一緒くたとして語られるまい。


・史記117 司馬相如

・漢書57 司馬相如

地可以墾辟,悉為農郊,以贍萌隸;隤牆填斬,使山澤之民得至焉。

・後漢書60.1 馬融

鍠鍠鎗鎗,奏于農郊大路之衢,與百姓樂之。



■朱幩、人君の扇

後漢書119 輿服上 注

赤扇汗-詩云:「朱幩鑣鑣。」毛傳曰:「人君以朱纏鑣扇汗,且以為鑣飾。」


輿服志において当詩の歌っている朱幩が赤扇汗のことだよ、と説明されておるわけである。輿服志は掘ればいろいろ興味深そうな世界ではあるのだが、正直文章で説明をしないで写真でお願いしますと申し上げたいところである。



■いやいやもったいない

後漢書80.2 趙壱

是以夙退自引,畏使君勞。


後漢末のクソ人品(文才マックス)文人、趙壱。弘農太守の皇甫規の元を訪問しようと思ったら門番に追い返された。なので立ち去ったのだが、趙壱の名声を聞き及んでいた皇甫規、慌てて引き留めようと手紙を出す。その手紙に対してくっそ丁寧なお断りの言葉を返した、その一節である。「いやいやそんなまさか、あなた様のお手間をこれ以上煩わせるわけには参りませんよわはははは」というわけであるが、まあ普通に考えて「テメエいまさらなにけつかっとんねやなめとんのか」の微意であろう。こわいこわい。



■いつもの、プラス

漢書地理志はいつもなのでもはやどうでもよい。後漢書李業伝では、李業が「なんでわざわざ王莽のもとなんぞに出仕して竇鳴犢みたいにならにゃあかんねん!」として語る。そして注が引かれ、春秋時代の晋において趙簡子に殺された賢人であり、このひとが殺されたと聞いたため孔子は晋入りを取りやめにした、このときに孔子が「美哉河水,洋洋乎!」と語った、とされる。ただし史記を紐解くと孔子のセリフは「美哉水」である。なぜ注でここに「河」が加えられたのか、については、正直検討のしようもない。何かそうしておきたい事情があったのだろう、までしかわからぬ。


・漢書28 地理

衞曰「瞻彼淇奧」,「河水洋洋」。

・後漢書81 李業 注

美哉河水,洋洋乎!丘之不濟,命也夫!


毛詩正義

https://zh.wikisource.org/wiki/%E6%AF%9B%E8%A9%A9%E6%AD%A3%E7%BE%A9/%E5%8D%B7%E4%B8%89#%E3%80%8A%E7%A2%A9%E4%BA%BA%E3%80%8B

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