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崔浩先生の「元ネタとしての『詩経』」講座  作者: ヘツポツ斎
頌 周頌

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291/326

天作(引用1:文王の徳に集う人)

天作てんさく



天作高山てんさくこうさん 大王荒之だいおうこうし

彼作矣かさくいー 文王康之ぶんおうこうし

彼徂矣岐かそいーき 有夷之行ゆういしこう

子孫保之しそんほし

 天がお作りになった偉大なる山、岐山。

 古公亶父がこの山麓に移り住み、

 開拓をされた。

 古公亶父の切り開かれた地を、

 後に文王がよく治め、安んじた。

 岐山の麓に人々が更に集ったのは、

 まさに文王の平穏なる政がゆえ。

 子孫よ、文王の業をよく保たれよ。




○周頌 天作

岐山は周の始まりの地の象徴とされておる。いわば霊山である。その地が栄えたのは文王の徳がゆえ。ならば子々孫々、文王の徳に倣い、善政を布かん、と誓うのであろう。




■ワイが王の徳を示しましたやで


後漢書86 莋都

 臣聞『詩』云:『彼徂者岐,有夷之化。』傳曰:『岐道雖僻,而人不遠。』詩人誦詠,以為符驗。


後漢明帝の治世時に益州、いわゆる蜀の刺史となっていた朱輔が功を立てんと志し、「周辺の蛮族に漢帝の偉大さをふれて周り」(※要検討)、百三十万世帯、六百万以上の蛮族を「臣属させた」(※要検討)とのことである。それをアピールするための書簡で朱輔がこの詩をピックアップし「偉大な王の元には人が集まるもんですねへっへっへ」と語っておるのである。併せて遠方の夷狄より「漢帝を讃える詩」が献上されたという。いろいろと要検討したくなるエピソードであるな……。



毛詩正義

https://zh.wikisource.org/wiki/%E6%AF%9B%E8%A9%A9%E6%AD%A3%E7%BE%A9/%E5%8D%B7%E5%8D%81%E4%B9%9D#%E3%80%8A%E5%A4%A9%E4%BD%9C%E3%80%8B

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