アオサギは人を覚える
アオサギという鳥は人間のことをよく観察していて、しばしば出くわす個人だと、それを特定し識別する。
これはアオサギに限った話ではなく、カラスやスズメなど他の野鳥も同じだ。(鈍い種類の――あるいは警戒心が強いだけの――鳥もいるけれどね。)
衣替えをしたり帽子やカバンを替えたりしても、『顔なじみ』の人物を遠くからでも見つけることが出来る。
サングラスにマスクをして目鼻立ちが分からないような場合や、ダウンジャケットでモコモコになってシルエットが変わってしまっていたとしても見抜くから、顔立ちや外見からだけでなく、歩き方や動き方の特徴で人間を見分けているのかも知れない。
人間だって、特に親しい友人や好きな異性相手だったら、豆粒みたいに遠くに見えても誰だか分かるのだから、鳥類が特に優れた感覚を持っているのでもなさそうではあるけれど。
そして『トモダチ認定』した人間には表敬訪問してくるし、『敵認定』した人間は避ける。
場合によっては『敵認定』している人物(や動物)だと、威嚇することもある。
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以前よく通っていた小さな防波堤には、釣り名人の老人と、その相棒のアオサギがいた。
その防波堤自体は、海水浴場の脇に突き出た30mほどの長さしかない小さな突堤なのだけど、いかにも『小場所』という外見に似合わず”知る人ぞ知る”といった良い釣り場だった。
まず、秋のカタクチイワシが群れになって押し寄せてくる時分には、ブリの子供やカンパチの子供が釣れる。
子供といっても40~50㎝、時には60㎝の大きさのものが釣れることもあるから、馬鹿にはできない。
釣れる時間帯は、なぜかいつも不思議と午前中の中途半端な時間帯で9時半から10時半くらい。その前にも後にも釣れる事はない。
魚釣りで良いとされる時間というのは、普通『朝まずめ・夕まずめ』といって、夜明けか日没ごろなのに、なぜかその最高の釣りタイムにはダメなのだ。
10時くらいになると、海面でイワシのボイル(群れがザワつくこと)が起き、そこにポッパーと呼ばれるルアーを投げ込むと、ガバッと水面を割って食いついてくる。
次にスゴイのが、秋も深まって朝晩の冷え込みが厳しくなる頃から、お正月を跨いで成人の日くらいまでの間。
夜釣りをするのには辛い時期ではあるけれど、この期間はときたま大スズキが出る。
電気ウキを使ったウキ釣り仕掛けで、ウキ下は50~70㎝くらいと表層を攻める。餌はアオイソメの房掛け。
真っ暗な海に漂う電気ウキの赤いLEDが、ユラ~っと海面に滲むと、じわじわ水中に引き込まれてゆく。(子供のスズキ――いわゆるセイゴ――だと、ビュウっと一気に引き込むことが多い。)
竿をあおってアワセを入れると、夏のスズキのようにジャンプ(”えらあらい”というスズキ独特の鈎を外す技)はせずに、野鯉や年無しのクロダイのように底へ底へと持ってゆく。
3号の磯竿が『つ』の字に曲がり、リールからはジリジリと糸が引き出され、ヒーンという糸鳴りの音が心臓をバクバクさせる。
個人的には”エラアライはスズキ釣りの華”だと思っているから、ジャンプが見られないのはチョットだけ残念なのだけれども、ここでは80㎝オーバーを何本か仕留めたから、冬の夜には外せない釣り場だった。
こんな大物も狙える小突堤なのだけど、件の老名人は一年を通じて夕まずめの時間帯にしか姿を現さない。
しかもサビキでアジやウルメイワシが釣れ盛っていようと、ウキ釣りでカワハギやサンバソウ(イシダイの子供)が入れ食いであろうと、全く興味を示さずにノベ竿(リール無しの竿)で突堤の縁を探り釣りする。
仕掛けも単純で、ノベ竿の穂先から鈎まで通しの、道糸・ハリスを分けない仕掛けで、鈎の根本にガン玉と呼ぶ小さなオモリが一つ付いているだけ。
餌は魚の切り身かオキアミの生。
狙っているのはメバルやカサゴなどの根魚一本なのだ。
海水浴場脇の小突堤だから、定着性の強い根魚の魚影が濃いわけではないハズなのだけれども、なぜか老名人の竿には次々と魚が掛かる。
不思議だった。
名人は派手なアワセを入れるでもなく、ひょいと手首を起こすだけで魚を鈎に掛ける。
見た目よりも硬い調子の竿なのか、大きめの獲物が掛かったときでも遊ばせずに、手首を返したと思ったら、直後には魚をもう一方の手に掴んでいる。
この老名人が竿一本と小さなクーラーボックスだけを持って小突堤にやってくると、どこで見張っていたものなのか、必ず一羽のアオサギが舞い降りてくる。
そして名人の後ろに黙って立つ。
他にも釣り人はいるわけだし、魚を分けてもらいたかったら、サビキでガンガン小魚を釣り上げている人の後ろに付いても良さそうなものだけど、老名人とコンビを組んでいるアオサギ氏は見向きもしない。
試しに僕が”呑ませ釣り”の餌にキープした小アジを投げてやっても、アオサギ氏は知らぬ顔だ。
――ガンコなヤツ!
僕が放ぉった小アジを回収に向かうと、氏は横目で見ているだけで慌てる様子も無い。
「そいつ、他の人からは魚をもらわないから!」
教えてくれたのは時折顔を合わせる常連さんだ。
「釣りの上手い下手を見分けるんだよ。で、あの名人以外からは魚を受け付けない。下手なヒトから夕飯のオカズを巻き上げては申し訳ないって考えているんだろ。」
そして常連さんは「俺の魚も、まだもらってくれた事がない。」と笑った。
「きっと、ヤツからは『まだまだ』って思われているんだな。」
老名人は釣り上げた獲物のうち、キープサイズ以下のメバルやカサゴは、どんどん海に戻してやる。
キープサイズは20㎝以上と決めているらしい。
だから名人のクーラーボックスに入っているのは、いつ見せてもらっても数匹ばかりで、まるっきり空のこともある。
相棒のアオサギ氏がもらえるのは、名人が外道認定していると思しきカジカ科のアナハゼや、アイナメの近縁種であるクジメ、ウツボに外見が似ているギンポ、ハゼ科の小魚(たぶんチチブ?)など。
砂地と藻場、捨て石が交錯している突堤だから、小場所ながら魚種はバラエティに富んでいる。
どれも釣りの対象魚としては地味な魚ではあるが、料理を間違えなければ人間が食べても旨いと感じる魚ばかりだ。
ギンポなぞ江戸前の天ぷらだとキスをも凌ぐ高級ネタだし、濃い旨味と締まった歯ごたえから”まぼろしの刺身”として名物にしている料理屋もあるくらい。
もらっている獲物の種類を見るかぎり、老人を相方に決めたアオサギ氏は、他の同輩に比べて口が奢っているのかも知れない。
丸呑みにしている小魚の、味の違いが分っているのかどうかは知らないが。
夕日が水平線に沈むと、まだまだ明るさが残っているうちに名人は帰り支度を始める。
帰り支度といっても、竿を畳んで仕掛けを糸巻きに巻き、クーラーボックスを担ぐだけだから直ぐに済む。
するとアオサギ氏もフワリと空に舞い上がって、どこを塒に決めているものやら姿を消す。
海に夜の気配が濃くなるのは、いつも彼らが去ってしばらくしてからのことだ。
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夕まずめの時間帯になっても、老名人と相棒氏が姿を見せなくなっていたのは、数年ぶりにその小突堤に行ってみた時に気付いた。
釣りに出掛けたのではなく、その地を懐かしさから訪ねてみた時のことだ。
突堤にはアオサギが一羽、物欲しげに待機しているのだけれど、形が小さく明らかに若鳥で、相棒氏とは違う個体だった。
久しぶりに顔を合わせた常連さんに、挨拶と世間話を一通り済ませると
「名人、今日はお休みなんですかね?」
と訊ねてみた。「そろそろ、定時のはずなのに。」
「名人はね、息子さんの所に同居するとかで、しばらく前に引っ越したんだよ。だいたい、もう結構な御歳だったし。」
それが常連さんからの答えだった。
「ただ息子さんが塩尻だかどこか、長野県の精密部品工場勤めらしいから、海からは住処が遠くなってしまったらしいんだ。……もっとも名人の事だから、今ではアッチでヤマメかワカサギでも極めている最中かもね。」
身体でも悪くしているのか、あるいは――という予感が頭を過っていたから、僕は常連さんの答えに安堵した。
――そっか。元気なのか!
「じゃあ相棒のアオサギは、寂しい思いをしてるんじゃないですか。他の人からエサはもらえば良いにしても。それとも相方の後釜が決まりましたか?」
常連さんは微苦笑をもらすと「誰も認めてもらえなかったねェ。」と教えてくれた。
「ヤツにとっては、あの名人以外、相棒には値しないという結論を出したのだろう。名人が引っ越してから暫くの間は、ときおり夕暮れ近くになるとココに姿を見せていたのだけど、魚は誰からももらわないし、その内に来なくなってしまったよ。」
そして常連さんは、夕暮れを迎えて色を濃く変えてゆく遠く青い山々の方を眺めると
「名人を追っかけて、長野にまで飛んで行ったのかねェ。」
と笑った。
冗談で言っているという風ではなく、本当にそう信じているかのようだった。
「羽が有るんだからさ。」
「そうですね。羽があるんですからね。」
僕は常連さんの言葉を強く肯定しながら
「じゃあ、アイツが二代目ですか。」
と若鳥を指差した。「誰を名人認定するんでしょう?」
常連さんは鈎に掛かったスズメダイを若鳥へと投げてやると
「アイツは誰からでもエサをもらうんだよ。」
と言った。
若いアオサギは羽をバタつかせてスズメダイに飛び掛かると、くい、と一息に呑み込んだ。
「アイツも俺も、まだまだ若僧ってわけだ。こっちはもう、いい年齢なんだけどさ。」