おんさ
かなり前に実際みた夢を元にして書きました。
夢でみたのは“事件”の瞬間そのものだけ。
そんなに細かい描写はしてないですが、一応指定つけときました。
僕の弟によく似ていたんだ。
弟の小さい頃にね。似ていたんだ。
可愛い弟だったんだ。僕、弟のこと大好きだったんだ。
だからきっとあれは弟だったんだ。大好きな僕の弟だったんだ。
僕ずっと見てた。だって大切な弟を見つけたんだから。
でも、あの知らないおばさんがいつも横に居たんだ。邪魔だったんだ。あのおばさんが居る時は、僕、弟に近付いちゃいけない気がしたんだ。
あの時も見てたんだ。そうしたら、おばさんが1人で出ていった。
僕、弟があの家に居るの知ってたんだ。だから会いに行ったんだ。
家に入ったら弟が寝てたんだ。可愛いなって思って、だから腕を切ったんだ。
そうしたらすぐに起きて悲鳴をあげたんだよ。
弟は泣いてて、いつも家で聞いてた声とおんなじだったんだ。
パパがいつも「これは可愛がってるんだよ」って言ってたから、僕もおんなじように可愛がろうって思ったんだ。
僕、家から、ナタを持って行ったんだよ。
だってパパは弟を可愛がる時いつも、縄とか、火とか、棒とか、そういうもの使ってたから、きっとそういうのがいるんだって、僕知ってたんだ。
その時の話?うん、いいよ!
パパは、「愛する者にはこうするものなんだ」って、いつも弟のこと、手で殴ったり棒で叩いたり縛り付けたり、いろいろしてた。毎日。
弟が生まれた時からそうだったよ。
僕にも時々、「お前もやれ」って。僕も弟のこと愛してたからもちろんやった。
そういう時の弟はいつも泣いてた。そのあとはなんだか、何にもないみたいな目をするんだよ。ビー玉みたいな。
あの目は少し怖かったけど、でも僕は、弟のこと、大好きだったから。
あの日、パパがやる時とおんなじような声で弟が叫んだから、やった、正解だ!って思ったんだ。うまくやれるかわからなかったけど、ちゃんと可愛がれて嬉しかった。
だから「かわいいね」「かわいいね」って、腕とか、脚とか、顔とか、頭の後ろとか、いろんなところ、切ったんだ。
え、詳しく?おじさん、“はなしのこしをおる”のはダメなんだよ?
…最初は腕。腕の、二の腕のあたりかなぁ。そこを削いだんだけど、まだ小さくてあんまり肉がなかったから、すぐ骨が見えたなぁ。
その次は脚だったかな?脛のあたりだったか…あんまり覚えてないや。だってもうずーっと前のことじゃない?あ、でもね、その時はまだ泣き声が聞こえてたよ。それは覚えてるの。
ああ、それから、頭!パパが僕を撫でてくれたみたいに、僕もナタで撫でてあげた!
てっぺんの方から後ろの方にかけて、すーっと。あ、ううん、そんなにスムーズにいかなかったんだった。頭は硬かったんだ。
だからギザギザって、ノコギリみたいにしてさ。
そうしたらね、なんにも言わなくなっちゃったんだ。パパの時はいつまでも叫んでいたのに。失敗しちゃったのかなぁって思ったんだ。
でも僕すぐに気付いたんだ。そういえば、パパがいなくなる直前、最後に弟を可愛がってた時、あの時もそのうち黙っちゃったんだ。
いつもの悲鳴が聞こえなくなって、その後パパがいなくなって、なんだか弟にも会えなくなった。
どうしてだろうって今もわかんないけど、でも、あの家でまた会えたからいいんだ。
だから弟は黙っちゃったけど、パパの時もそうだったんだから、やっぱり僕は上手にできたんだ!
嬉しかった。
嬉しかったから、しばらくあの家の近くに居たんだ。
ちょっとしたらあのおばさんが戻ってきて、その後大きな悲鳴が聞こえて、五月蝿かったなぁ。弟の声とは全然違って、汚い声だった。
それでもそのままそこに居たら大人がたくさんやってきて、そのうち弟を外に運び出したから、なんだろう、どこに連れて行くんだろう、って思ったけど、僕、とにかく上手にできたのが嬉しかったから、近くに居たお兄さんに、
「それね、僕がやったんだよ!」
って言ったんだ。
でも、お兄さん、褒めてくれなかったな。
うん、そう。パパは褒めてくれたよ。
僕が上手に可愛がれたら、褒めてくれた。
でも僕を可愛がってくれることはなかったんだ。
「上手だ」って頭を撫でてくれることはあったけど、弟みたいにはしてくれなかった。
パパ、僕のこと嫌いだったのかなぁ?だからいなくなっちゃったのかなぁ?僕は愛されてなかったのかもしれない。
ママ?いないよ、そんなの。いたことないよ。
弟は僕のこと、時々すごく怖い目で見るんだ。
僕は弟のこと大好きだったし、パパに「こうすることが人を愛するってことなんだ」って教わってたからその通りにしただけなのに、時々怖い目で僕を見てた。
どうしてかなぁ。もしかして弟も、僕のこと嫌いだったのかなぁ。
僕は本当に、大好きだったのになぁ。
“再会した弟”のこと?うん、前はよく思い出してたけど、最近はあんまり覚えてないんだ。
なんだか頭にモヤがかかったみたいになって、いろんなこと思い出せなかったり覚えられなかったりするんだ。どうしてかわからないけど。
もしかしてこれが大人になった、ってことなのかなぁ。へへ、僕も大人になったのかもしれない!
だって僕、もうすぐ中学生だからね!もう子供じゃないんだ!
…ねえねえ、おじさん、大好きな人、いる?
もしいたら、ちゃんと可愛がってあげなくちゃダメだよ。
やり方がわからなかったら、僕が教えてあげるね!
***
あれから20年と3ヶ月になります。
そんなに細かく覚えてるんですね、って…当然でしょう?なんでしたら、何日、まで正確にお伝えしましょうか?
…いえ、別に構いません。不躾な言葉にはもう慣れてますから。
あの頃のことをまともに思い出せるようになったのは最近のことです。もちろんこれまでにも何度か、貴方のようなお仕事の方にお話したことはあるんですけれど。ここ10年くらいは全くありませんでしたね。世間はもう忘れてしまったんでしょう。
他人の痛みなんて、そんなものです。
私は一瞬も忘れたことなんてないのに。もっとも、私が忘れるなんて決してあってはならないことです。
本題に入りましょう。早く終わらせてしまいたいの。
あの子は元々とても手のかかる子だったんです。
まぁ私はそれまで、子育てはもちろん、赤ちゃんと接する機会もあまりなかったから、比較しようもないと言えばそうなんですけれどね。
それでもきっと一般的に見ても、手のかかる子だったと思います。
それに私には夫がいませんでしたから…。あの子は最初から“父親のいない子”でした。
そのせいもあってか、毎日疲れていたんです。
日中は、当時近所に住んでいた母親に子供を預けて仕事に出ていました。食べていかなくちゃなりませんから。
仕事に育児に、確かに疲れていました。
…あの日は何故か、特に。だからあんなことになったんでしょうか。
あの、やっぱり私の口から話さなくてはいけませんか?貴方だって全部知っているんでしょ?
…そうですか。みんな同じことを仰るんですよね。“生の声が”って。そうしたからって何も変わらないのに…。
ああ、ごめんなさい。貴方のお仕事を貶したわけではないんです。やっぱり冷静じゃないのかしらね。
続けましょう。大丈夫、ちゃんと話します。
あの日、あの子はいつにも増して特に神経質でした。母によれば、昼間一緒にいる間もずっと泣いていたみたいです。
夕方前にうちに連れ帰ってからも、何が気に入らないのか、ひたすら泣き喚いていました。
抱いたりおもちゃを出してみたり必死にあやしたんですけど、全然落ち着かなかった。2歳ともなると抱っこも一苦労でした。
夕方…もう夜になる頃だった。泣き疲れたみたいで寝入ってしまって、ようやく静かになったんです。
その時には私もくたくただったんですけれど、翌日のあの子の朝ごはんが無いことに気が付いて。仕事終わりに買い物をするのを忘れてしまったんです。
迷いました。
何度も言っているようにすごく神経質で、一度寝ついても些細なことですぐに起きてしまうような子だったんです。
明日食べさせる朝食が無い。この子は今ようやく寝たばかり。
ご存知だと思いますが、当時私の家のすぐ側にはスーパーがありました。歩いて数分の距離です。
朝食に与えていたパンはいつも同じもので、つまり、あの時買うべきものは決まっていたんです。だから特別、時間がかかることはありません。
いつもだったらもちろん、連れて行ったでしょうね。そうでなくても、母に連絡したらよかったのかもしれない。
けどあの日はそうしなかった。すぐに戻れるからって、寝ているあの子を気にかけながらも1人で買い物に出たんです。
鍵はきちんとかけたつもりでした。…つもり、だったんです。
それで買い物を済ませて、たぶん10分か15分か、それくらい経って家に帰った……ごめんなさい。ちょっと待ってもらえますか。
思い出したら、少し…気分が悪くなってしまって。
はい、大丈夫です。すみません。
家に帰ったら、扉が少し開いていたんです。
嫌な予感がしました。鍵をかけ忘れたんだということはすぐにわかりました。
あの子は眠っていたし、さすがに外に出ているなんてことはないだろうと思いながらも、居なくなってたらどうしようってドキドキしながら扉を開けました。
実際には、想像よりもっと酷いことが起きていた…。
框を上がってすぐの畳に、赤い染みが点、とあったんです。
こんなのあったかしら、なんの染みかしら、なんて考えながら、とりあえずあの子の無事を確認しなくちゃって中に入って…。
たぶん私、その時、叫んだんです。
警察の方の聴取を受けている時、ようやく喉の痛みに気が付きました。少しだけ血の味もしたわ。
家に帰ってからそれまでの間のことは、自分でもしばらくわからずにいたんです。
でも時間が経つとだんだん思い出してきて…。この目で見た光景も、実はちゃんと頭に残っていたみたい。
だからここから先は後から私が思い出したことで、もしかしたら実際とは少し違うかもしれませんけれど、いいですか?
なるべく冷静に、お話しますね。
真っ赤でした。
真っ赤な畳の上に、真っ赤な布団が敷いてあって、真っ赤なあの子が居ました。
買い物袋を投げ捨てて駆け寄りました。事件のかなり後で一度家に戻った時、ぐしゃぐしゃに潰れたパンが床に転がっていました。あの子が食べるはずだった。私があの子を1人残して買いに行った、パン。
ああ、どうしよう、怪我をしてる、血が出てる、って、最初はそれだけでした。
どうして怪我をしているのかわからないけどとにかく怪我をしてる。血が出てる。救急車を呼ばなくちゃ。って。
救急車が来るまで、ずっとあの子を抱いていました。
「そういえば、きっとすごく痛いはずなのに泣いていないのはどうしてだろう?」と思ったのは、到着した救急隊の方が中へ入ってきた頃です。
部屋の中に入って、状態を確認して、すぐに担架を持ってまた戻ってきて…という流れが、妙に遅く感じました。
思わず、「一刻を争う怪我かもしれないんだから、早く病院へ連れて行って!」と叫びました。
そうしたら、何も言わずにそのまま目を伏せるんですよ。
どういうことなの、どうしてなの、って、その時は思ってました。
後になってみれば当然なんです。あの子はもう亡くなっていたんだもの、急ぐ必要なんてなかったのね。
救急隊員達がどうしてすぐに絶命を判断できたのか、わかりますか?
わかりますよね。どうせ遺体の状態もご存知なんでしょう?
でもきっと、これも私に言わせたいのよね。
いろーんな肉が無かったんです。腕も、脚も、顔まで、すうって削がれていたんです。ぜーんぶ…。
当時の私はそんなこと知らなかった。
いえ…本当はちゃんと見えていたんですよね。本当は見えていたから、後から思い出したんです。あの子の顔が、もう、顔じゃなくなってたことも…。
何度もごめんなさい、少し時間をもらってもいいですか。
世間の皆さんが興味を唆られるのは、もしかしたらこの先なのかもしれませんね。
私、犯人とすれ違っていたんです。
買い物を終えて家に向かう時、まさにその家であの子を殺して、出てきた犯人と。
もちろんその時はそんなこと思いもよりませんでしたけれど、なんだか妙に機嫌が良さそうな人だ、とは思った記憶があります。
あの時あいつを殺していれば…何かが変わっていたかもしれないのに。
犯人の男が捕まったのは自首でした。あれを自首と言うのなら、ですが。
事件が発覚した時も我が家の近くに居たあの男が、その後何をしたのか。誰に何を言ったのか。
私の息子“だった”ものを担架に乗せて運んでいた救急隊員に近寄って、こう言ったんです。
「それね、僕がやったんだよ!」
そうしてあの男は逮捕されました。
自分の功績を親に見せびらかす子供のように…なんて聞きました。
事情聴取でも「可愛かったから」と笑顔で繰り返していたそうですね。
結局精神鑑定を受けて、心神耗弱、責任能力なし。
あの男は何の咎もないまま解放されました。
まだ2歳の子供を殺しておいて、心を病んでいるからとお咎めなしで、きっと今もどこかで生きている。だって今、あの男はまだ70代くらいでしょう。生きていたっておかしくないわ。
自分のことを小学生だと思い込んでる頭のおかしなやつだって、何かの週刊誌に載っていました。ああ、貴方が書いたの?
まぁそんなこと、どうだっていい。
もちろん子育ては大変だったけど、あの子が可愛くないはずなかった…大切だった。宝物だったんです。
大変だけどこの子のことは絶対に私が守ろうって、本気で思っていました。
そんな存在を私から奪って、あの子から未来を奪った男が、何事も無かったように生きているなんて。信じられますか?そんなことが、あっていいと思いますか?
心を病んだ人間が人を殺しても罪にならないとしたら、私があいつを殺したらどうなるのでしょう?
あの子を喪って、悔やんで、悔やんで、自分を責めて、何度も死のうと考えて、そんな私があの男を殺したら、私は裁かれるでしょうか?
あの日、買い物になんて出なければよかった?
少しの時間でも、母に来てもらえばよかった?
たとえ起きてしまってでも、一緒に連れていけばよかった?
もっと念入りに、戸締りを確認すればよかった?
ううん、そもそも、私が、あの子を産みさえ、それすらしなければ、あの子は、あんな、あんな風に、こ、殺されることもなかった?あんなに痛い、苦しい思いをすることもなかった?
この20年間、ずっと!ずっとずっとずっとずっとずっと、そんなことばかり…そんなことばっかり!
こんな私があいつを殺したら罪ですか?私は罰を受けますか?
ねえ、貴方、貴方はあいつの居場所を知っている?
知っているでしょう?
どうか、教えて。