第21話 フローズヴィトニル
体力的に三人の限界が近づいてきた頃、山頂全体を呑み込むほどの眩い閃光が迸り、白銀の光が吹雪の残滓を押しのけるように周囲を照らし上げた。
発光源は、メロディの前で静かに浮かぶ一つの石鹸。
次の瞬間——その光はふっと消える。
外へ溢れ出ていた輝きは内側へ収束し、小さな石鹸は巨大な存在感を放っていた。
残滓となった白銀の光が吹き荒れるだけで、黒鞭は一瞬で霧散する。
ルシアナ達は肩で息をつきながら、その光景にただ呆然と立ち尽くしていた。
ゆっくりと、メロディの方へ目を向ける。
「……メロディ」
ふわりと宙に浮かぶ石鹸の下で、彼女は静かに目を開く。
その両手で石鹸をそっと包み込んだ。
その瞬間――掌の隙間から、大量の泡が噴水のように溢れ出した。
泡は生き物のようにうねりながら左右に広がり、黒鞭を想起させる異様な存在感を放つ。
メロディは石鹸を挟んだまま、両手を前へと突き出す。
その動きに合わせるように、手と手の隙間は少しずつ狭まり、石鹸は光に溶けるように小さくなっていく。
パチパチと無数の気泡が弾ける音とともに、巨大な泡の塊がゆっくりと形を成し、両手が完全に合わさった瞬間、泡の流れが静止する。
メロディが手を放すと、左右に広がっていた泡は巨大な腕の形をとった。
彼女が両腕を広げると、泡の腕も同じように大きく広がる。
そして、後ろへ引き――。
「……白銀の祝福の名の下に、あなたの汚れを徹底洗浄して差し上げます」
――勢いよく前へ突き出した。
泡の腕は矢のように伸び、らせんの柱へ襲いかかる。
二本の巨大な腕が柱へ触れた瞬間、白銀の泡が一気に柱を包み込み、凄まじい速さで上へと駆け上がった。
真っ黒な柱は、雪原へ落ちる火の粉のように、次々と白へ食われていく。
途中で生まれた黒鞭も、泡に触れた端から侵食され、動きを止めて消えていった。
抵抗はもうなかった。
白銀の泡はそのまま雲に到達する。
黒雲が内部から暴れ、白銀の光が閃く。
音のない雷が雲の中で炸裂しているような異様な光景だった。
泡は途切れることなく生まれ続け、らせんの柱を伝って空へと流れ込む。
ルシアナ達はただその圧倒的な光景に呑まれ、メロディから放たれる魔力の奔流に言葉を失っていた。
やがて、柱の先に広がる雲の色が変わり始めた。
黒雲は灰色へ、そしてさらに淡い白へと変化し、その浄化は波紋のように空全体へ広がっていく。
雪雲は高い空にあり、変化がゆるやかに見える。
だが実際には、凄まじい速度で黒い魔力を食らい尽くしていた。
ルシアナが南の空を見た。
さきほどまで吹雪で何も見えなかった空の向こうに、ロードピア帝国の街並みがかすかに見えた。
雪に覆われながらも、外壁だけははっきりと確認できる。
「……ロードピア帝国って、こんな姿をしていたのね」
浄化されていく空の下、白銀と雪の幻想的な帝国が広がる。ルシアナはしばし戦いを忘れ、静かにその景色に見入った。その傍らで、メロディはなおも魔力を注ぎ続けている。
泡は空へ、空へと昇り……。
どれほど時間が経っただろう。ふっと、メロディの手から泡の光が消えた。
らせんの柱は泡に取り込まれたまま、黒鞭を生み出す気配はない。山頂は静寂に包まれている。
メロディはゆっくりと両手を天へ翳し、静かに告げた。
「洗浄……完了」
声を合図に、白銀の泡が空気へ溶けるように消えていく。
その内側にあるはずのらせんの柱の姿もなく、やがて全ての泡が消え去ると、らせんの柱も完全に山から姿を消してしまう。
ルシアナ達は空を見上げながら、その光景を目にした。そして、ふわりと冷たいものが鼻先に落ちる――雪だ。
黒い魔力に遮られて降らなかったこの場所に、優しい雪が舞い降りてくる。
「メロディ、これって……」
「私の魔力を含んだ雪です。しばらく帝国中に降り続けます。地上に積もった黒い魔力が、完全に浄化されるまで」
「じゃあ、帝国はうちみたいに不作になったりはしないのね」
「もちろんです。ご安心ください、お嬢様」
「さすがはメロディ。我が家のメイドは本当に優秀だわ!」
「ふふふ。ありがとうございます」
メロディは微笑んだ。
その横顔は、戦いの直後とは思えないほど穏やかだった。
(よかった……これならガルムさんの弟達も浄化できる)
敵地の只中で戦っていた。
空も大地も雪を通じて黒い魔力に汚染され、まるで海の中で戦うような状況だったと、メロディは感じていた。
あのままでは、本体を引きずり出す前に押し返されていたかもしれない。
メロディは深く息をつく。さすがに疲れが滲む。
「メロディ、大丈夫?」
「はい。こんなに力を使ったのは初めてで……少し疲れましたけど、まだまだ大丈夫です」
「凄かったわよ。黒い雲が一気に白くなっていったんだから」
「ええ、私……すごく頑張っちゃいました。もしかしたら黒い魔力だけじゃなく、汚れた食器とか、人の心だったり、ぜ〜んぶ浄化しちゃったかもしれませんね」
「もう、メロディったら」
軽いジョークに思わず笑ってしまうルシアナ。それにほっとしつつ、彼女は三人へ振り返り、気を引き締める。
「さあ、次はガルムさんの弟達を浄化しますよ。行きましょう」
「あぁ……そっか。まだ終わりじゃなかったのね」
戦いを終えた気になっていたルシアナは、肩をがっくり落とす。
黒鞭との戦いで三人ともヘトヘトだが、一番頑張ったメロディの手前、弱音は吐けない。
三人は気持ちを切り替え、姿勢を正すと、再びメロディの後を追った。
「伸びろ、仮初めの手――『延長御手・千手』」
瞳に魔力を集めて確認する。やはり、この地下深くにガルムの弟達を封印しているものがあるようだ。無数に伸びる見えざる腕が、らせんの柱があった場所の土を掘り返す。
しばらくして、メロディはようやく二つの球体を取り出すことができた。バスケットボールほどのメタリックな球体だ。
(だけど……)
魔法の腕に包まれた球体を見つめ、メロディは眉を寄せる。
「なんだか、前に見たものよりボロボロね」
ルシアナも言葉少なに呟く。
二つの球体はガルムを封印していた物よりも破損が酷く、いつ壊れてもおかしくない状態だ。薄く白い魔力が球体を包み込み、それがガルムの力だとメロディは理解した。
おそらく、学園舞踏祭の夜に弟達の行方を知らせるために放った流星の魔法が、最終的にこうなったのだろう。この魔法のおかげで、今日まで封印を維持できたのだと考えられる。
(それでも、間に合った……)
メロディは安堵の息をついた。
「それじゃあ、浄化を始めましょう」
「メロディ、その……大丈夫なのか? 少し休んでからでも」
心配そうにレクトが言った。
「大丈夫です、レクトさん。この子達を浄化するくらいの魔力はまだありますから」
「二体同時にやるのか? 本当にできるのか?」
リュークが眉を寄せて尋ねる。
「ええ、問題ないわ。多分、この子達、一体ずつならガルムさんより弱いはず。二体の力が重なったから今回、こんなに大きな影響が出たの。黒い魔力の雲も、らせんの柱も消えた今なら、十分浄化できるはずよ」
メロディの説明に、リュークは納得したように頷いた。
そう、その力は強大だった――。
この地に封印されているのは、第四聖杯実験器『スコル』と第五聖杯実験器『ハティ』。双子の聖杯実験器で、力を共鳴させるとガルムをも凌ぐ力を発揮する。
封魔球から漏れた魔力がらせんの柱を形成し、雲を通して空と大地に充満していた。それは擬似的な結界であり、敵のみならず同質の魔力を持つ存在をも阻む。
――だが、その結界はもう……存在しない。
メロディが球体へ手を伸ばしたその瞬間、地面が大きく揺れた。
「――え?」
「きゃあっ!」
突然の大きな地震に、メロディとルシアナは転倒する。レクトとリュークは必死に踏ん張った。地面はまるで裂けるかのように震え、過去にルトルバーグ領で経験した地震よりも強烈だ。
「だ、大丈夫ですか、お嬢様!」
「だ、だ、大だいじょう……ぶうううっ!」
声も震え、言葉が噛み合わない。
揺れは収まる気配を見せず、メロディは焦って思い出した。
(そうだ、ガルムさんの弟達は!?)
二つの球体は、メロディの魔法の腕に包まれ、無事に浮かんでいる。
だが、地面が突然盛り上がり始めた。
ボコ、ボゴッと、かなり広範囲に隆起している。
まるで巨大な何かが地下に潜んでいるようだ。
(何が起きてるの!? ここはさっき掘ったはず……)
球体を取り出すために『延長御手・千手』で地面を掘り返した。穴が空いているはずで、盛り上がる土などなかったはずだ。
(あるとしたら……さらに地下? 一体何が――っ!)
考える間もなく、地面が爆発するように破裂し、四人は吹き飛ばされた。
「うう、今のは――っ」
立ち上がったメロディの視界に、宙に浮かぶ二つの球体を挟む巨大な顎が現れる。まるで狼の口そのものだ。
「待っ――」
瞬間、メロディの脳裏に、なぜかガルムの声が響いた。
『フローズヴィトニル!?』
気づいた瞬間、顎は球体を挟み込む。
咄嗟に『延長御手・千手』を展開するも――。
ブチリ、と鋭い牙が魔法の腕を噛みちぎった。メロディの魔法を、たった一噛みで。
「うっ!」
痛みを感じるはずもないのに、思わず呻いてしまう。魔力的な繋がりが断たれた感覚に、体が反応していた。顎は目的を果たすと、沈み込むように地面の中へ戻り始める。
「待って……!」
急いで駆け寄るも、顎は穴の中へ消えてしまった。真っ暗な穴の奥を覗き込むが、その姿を見ることはできない。あの巨体で、既に離脱してしまったらしい。
「そんな……」
「……何が起きたの」
ルシアナがポツリと呟く。
リュークもレクトも無言で、メロディの様子を見つめる。
(追いかけないと! この穴からならまだ――)
だが、地面は再び大きく揺れ始める。
「今度は何!?」
ルシアナの叫びとともに、ドドドドッと何かが崩れる音が響いた。
「これは……まさか雪崩!? 『天翼』!」
地震の影響で、山の南側から雪崩が発生していた。勢いは強く、街まで届くかもしれない。マイカが滞在しているコテージも危険だ。
(雪崩を止めなくちゃ!)
「待って、メロディ!?」
ルシアナの制止を聞かず、メロディは雪崩の前に急行した。
バッと右手を掲げる。手のひらに白銀の光が溢れ、銀の箒が顕現した。
「この雪にはまだ黒い魔力が宿っている……なら、浄化して雪ごと消す!」
雪崩が迫る中、ありったけの魔力を籠める。箒の穂先が白銀に輝き、魔力が迸る。
箒をゴミを掃くように構え、メロディは襲い掛かる雪崩を睨み付けた。
「ちりも埃も雪もみーんな一緒! 一掃きで、全てを綺麗に! てりゃあああああああ!」
メロディは、下から上へ箒を振り上げた。
箒に籠められた白銀の魔力と、大質量の雪が激突した。瞬間、閃光のような白銀の光が雪崩を包み込む。ルシアナ達は光に目を覆った。
まるで二つの雪崩がぶつかり合うような轟音が鳴り響く。
数秒後、光が収まると、雪崩は跡形もなく消えていた。雪崩の分だけ雪が消え去り、山は雪に覆われたままだ。
「メロディ!」
ルシアナが周囲を見渡すと、ふらつきながら滑空して戻るメロディを見つけた。着地寸前、ルシアナに抱き留められる。
「大丈夫、メロディ!?」
「は、はい、雪崩は食い止めました……でも、もう魔力が……」
「メロディ!?」
魔力を使い切り、メロディは意識を失う。直後、『銀清結界』が解除され、白銀の光に包まれてメロディとセレーナは分離した。二人を支えられず、ルシアナは倒れ込んでしまう。
「大丈夫か、お嬢様」
「メロディ!」
リュークがセレーナを、レクトがメロディを抱え、自由になったルシアナが立ち上がる。
「魔力を使い切っただけなら問題ない。それより急いでコテージへ戻ろう。『通用口』の扉も消えるかもしれない」
「そ、そうね! 早く二人を休ませなきゃ! 行くわよ!」
こうして、メロディ達は山頂を後にするのだった。
次回、エピローグ。
最新小説9巻 4月1日発売予定です。
オーディオブック最新5巻 4月27日配信予定です。
最新コミック7巻 7月1日発売予定です。




