第2話 シエスティーナの悩み
「それではホームルームは以上だ。来年、この教室でまた会おう。予習と復習を怠らぬように」
担任教師、レギュス・バウエンベールはそう告げると、教室を後にした。
「あの、シエスティーナ様。少しよろしいでしょうか」
十二月二十三日。王立学園の二学期最終日。一年Aクラスのホームルームが終わってすぐ、帰り支度を始めていたシエスティーナにセレディアが声を掛けた。
シエスティーナは優しく笑みを浮かべて聞き返す。
「やあ、セレディア嬢。私に何か用かな?」
「お忙しいところ申し訳ありません。よかったらここについて教えていただけないかと」
「ふむ。ああ、ここはね――」
セレディアは数学の教科書を開き、計算方法について尋ねた。休学が続き期末試験を受けられなかった彼女は、この後追試験を受けなければならず、今日は数学の試験日であった。
試験が始まる前に少しでも分からないところを補完しておきたかったようだが、知らぬ仲とはいえ帝国の皇女に勉強を教わろうとするあたり、意外とセレディアは肝が据わっている。
「――ということなんだけど、どうだろう」
「ありがとうございます。ようやく理解できました」
「それはよかった。他には何かあるかい?」
「こちらも少々難しくて」
「ああ、これは……うーん、私もちょっと説明しづらいな」
教科書を眺めながら、シエスティーナは眉根を寄せて唸り始めた。
「シエスティーナ様でもお分かりにならないのですか?」
「ははは。所詮今回の私の期末試験の結果は二位だからね。そうだ、クリストファー様に聞いてみよう。一位を取った彼ならきっと分かるさ」
「ええっ?」
シエスティーナは立ち上がるとセレディアの手を引いて、クリストファーとアンネマリーが座る席へと歩き出した。
「ごきげんよう、お二人とも。セレディア嬢が勉強で分からないところがあるそうなんだ。私も少し躓いてしまってね。よかったら教えてもらえないだろうか」
「ごきげんよう、シエスティーナ様。ですが、シエスティーナ様が難しいところをわたくしが説明できるかしら。クリストファー様、お分かりになって?」
「どこだろう、セレディア嬢」
「あ、はい。ここなんですが……」
「ああ、ここは確かに少々分かりにくいね。まずは――」
セレディアが指差した部分をクリストファーは丁寧に教え始める。きちんと理解しているからこそできるシンプルで分かりやすい説明だ。
「さすがはクリストファー様。そこの部分で苦戦してしまった私とは大違いだ」
「今回はクリストファー様が期末試験で一位でしたものね。点差はかなり僅差でしたが」
「一点の差が勝敗を分かつ。勝負の世界は本当に厳しい」
セレディアへ解説をするクリストファーを見守りながら、シエスティーナとアンネマリーは雑談に興じた。二人は笑顔で言葉を交わす。
しかし、二人が互いに目を合わせていないことに何人が気付いただろうか。
「ありがとうございます、クリストファー様。おかげでよく分かりました」
「お役に立ててよかったよ。追試験、頑張って」
「はいっ」
セレディアはふわりと笑みを浮かべて元気よく返事をした。髪色が銀色から茶色へ変わり、全体的に素朴で愛らしい雰囲気を見せるようになった彼女には、つい応援したくなる魅力があった。
「シエスティーナ様もありがとうございます」
「また分からないところがあったらいつでも……と、言いたいところだけど、今日で二学期は終わりだったね。次は冬の舞踏会かな。また私と踊ってくれると嬉しいな」
「ええっ、は、はいっ。どうしよう、あとで練習しなくちゃ」
ペコリと頭を下げたセレディアは、去り際にそんな言葉を呟きながら自分の席へ戻っていった。
「助かりました、お二人とも。それでは私もこれで失礼します」
「ああ。次は冬の舞踏会で会いましょう」
「ごきげんよう、シエスティーナ様」
クリストファーとアンネマリーに笑顔で見送られて、シエスティーナは教室を後にした。
◆◆◆
「お帰りなさいませ」
「ああ、ただいま」
学生寮に戻ってきたシエスティーナは侍女のカレナに出迎えられ、リビングのソファーに腰掛けた。さっと紅茶が用意され、少し飲んで一息つくとカレナが口を開く。
「それでは、本日の定期報告をさせていただきます」
「頼むよ」
ロードピア帝国第二皇女シエスティーナは帝国が送った刺客である。留学生として王国に潜入し、皇女という立場を囮にして衆目を集める。その隙にカレナを筆頭とした諜報員が王国攻略のために動く計画となっている。
もちろんシエスティーナも学生達との間に繋がりを作り、王国を内側から侵略していくことが求められている。一年生の今は試験に注力し、学園行事にも積極的に参加することで生徒達から信頼を得るために奮闘しているところだ。
九月に編入してからというもの、色々な騒動が起きているせいで当初の想定より成果を上げられていないことが少し気になるが、概ね順調にことを進められていると考えてよいだろう。
(……やはり、何も聞いてこなかったな)
カレナの報告を聞きながら、シエスティーナは教室でのクリストファーとアンネマリーの様子を思い出していた。
(学園に現れた魔物との戦いから今日で三日。二人はまるで戦闘などなかったかのようにいつも通りだ。私に口止めをする素振りさえない)
王立学園に魔物が現れた。ゆゆしき事態だ。本来なら、こうやって今日までゆるりと学園生活を続けられるはずがない。
しかし、事件から三日経った今でも学園が閉鎖されることもなければ、事情聴取が行われることもなく、あまつさえ魔物の件は流れ星が降ってきたという噂話に切り替わっていた。
(流れ星というのはあれのことだろうね)
ヴァナルガンド大森林の魔物、タイラントマーダーベア。奴を倒すため空から打ち込まれた強力な魔法は、まさに流星の如き威力だった。
(白銀の髪の幼い少女、彼女は何者だったのだろう。あの魔物の巨体が跡形もなく消え去るほどの魔法を使い、こちらに被害が出ないように周囲に結界まで張っていた)
現場には確かに流星が落ちてきたかのような大穴が生まれ、魔物が出たことを知らなければそのように噂されても仕方がなかったのかもしれない。
そして、シエスティーナにはそれ以降の記憶がなかった。
気が付いた時、彼女は学生寮の自室に戻っていたのだ。まるで戦いなどなく、普通に散歩から帰ってきたような状態だった。
最初は夢でも見ていたのかと自分を疑ったりもしたが、その夢はあまりにも鮮明すぎた。
ようやく我に返った彼女が現場に戻ると、そこにクリストファー達の姿はなかった。
そして翌日、教室で会っても二人は何事もなかったかのように振る舞うものだから、シエスティーナは追求する機会を逃してしまう。
王国の王太子がそのように振る舞う前で、関係がまだまだ良いとは言いがたい帝国の皇女が「王立学園に魔物が出た!」などと一人で吹聴すればどうなるか。これまで少なからず積み上げてきた彼女の信頼は地に落ちるだろう。シエスティーナに言及する勇気はなかった。
それはアンネマリー達も同様だった。三人とも素知らぬ顔をしてしまったせいでお互いに詳しい話をする機会を失ってしまったことに、彼らはまだ気付いていない。
「――定期報告は以上となります」
「分かった。まあ、ほどほどに順調といったところか」
「まだ情報収集と環境整備の段階ですのでこんなものかと。我々が本格的に動き出すのはシエスティーナ様が二年生、三年生となってからになるでしょう」
「そうだね。それまで精々作戦が露見しないよう気を付けてくれたまえ」
「承知しております。それと、先日仰っていた雑貨屋の件ですが」
ソファーで足を組み、顎に手を添えながら話を聞いていたシエスティーナは、ここにきてカレナと目が合った。
「雑貨屋が見つかったのかい?」
「いいえ、申し訳ありません。シエスティーナ様が仰ったあたりを隈なく捜しましたが、該当する雑貨屋を見つけることができませんでした」
「えっ? 本当に?」
「はい。念のため探索範囲を広げて捜してみましたが、それでも発見には至りませんでした」
「……そうか」
「さらに捜索範囲を広げますか。もしかするとシエスティーナ様の記憶違いの可能性もあります」
「いや、いいよ。捜索を終了してくれ。ありがとう」
「畏まりました。それでは失礼します」
全ての報告を終えたようで、カレナはシエスティーナの前を辞した。リビングに一人になった彼女は、思わず後頭部に手を触れた。そこにメロディと買ったバレッタはもうない。
思わずため息が零れた。
(諜報員のカレナが捜して見つけられない? どういうことだろう……? 本当に、この国は謎がいっぱいだな)
シエスティーナは苦笑を浮かべた。
この国に来てからというもの、想定外の出来事に遭遇してばかりだ。
情報収集の一環で始めたダンスではセシリアに手玉に取られ、学園舞踏祭ではメイド服という、生まれて初めて女性らしい格好をしたかと思えば唐突にシュレーディンと再会し、極めつけは王立学園の敷地内でヴァナルガンド大森林の魔物と戦う羽目になるとは。
編入してまだ四ヶ月も経っていないのにイベントが目白押しである。戸惑うなと言う方が無理というものだ。
(だけど、今日分かったこともある)
先程の教室のやり取りでようやく把握できた。クリストファーとアンネマリーは自分を警戒しているのだと。
これまでであれば会話中に目が合うことなどよくあったが、この三日間、彼らと目が合うことはほとんどなかった。こちらを意識して、距離を取っていることは明白だ。
いつも通りに見えて、彼らもまた何かを隠していることは間違いだろう。
(あの魔物との戦いは私の夢なのではない。だけど、それについて私に相談してこないということは、探りを入れられている? なぜ? ……決まっている)
彼らにとってあの事態は想定できる事件だったということだ。三人は学園に魔物が現れた原因について何か知っているのかもしれない。口止めをしないのは、その事実を公にしたくないから。
他国の皇女に王国の問題を明確に示すわけにはいかないのだろう。魔物ではなく流れ星の噂が広まっていることも意図的なものを感じる。魔物の存在を隠したいのだ。
(確か、夏の舞踏会の夜にも王都に魔物が現れたと報告が上がっていたはず。そして王立学園に現れた魔物は、タイラントマーダーベア……ヴァナルガンド大森林の魔物だ)
世界最大の魔障の地、ヴァナルガンド大森林。
もしやそこで何か異変が起きている……?
(王国はそれを隠したい? 王太子が知っている以上、国王や宰相も当然把握しているはず。これは、王国に付け入る隙になるのだろうか。だけど……)
もし、王都に隣接しているヴァナルガンド大森林に異常が発生していた場合、ここは非常に危険な土地になったと言わざるを得ない。
タイラントマーダーベア一体を倒すのに、シエスティーナ達だけでは力不足であった。突如現れた謎の銀髪の少女がいなければ、シエスティーナ達は生き残れなかったかもしれない。
(……もしかして、王国を手に入れるとか言っている場合じゃないのか? まさか、シュレーディンはこのことを知って……方針を変えた? だから行方をくらました?)
さすがに憶測が過ぎるだろうか。
シエスティーナは首を横に振って頭を切り替える。
「これでは推測ではなく妄想だ。気持ちを切り替えなくては」
おそらく魔物の件は国でも超重要な国家機密扱いになっているはず。シエスティーナが王国に来てまだ四ヶ月弱。脆弱な情報基盤で太刀打ちできる相手ではない。
無理をすれば墓穴を掘ることになりかねない。今は無理に関わらない方がいいだろう。
「直近の課題は冬の舞踏会だ。気を引き締めなくては」
(あの三人から何か情報を得られないだろうか。舞踏会で少し探ってみようか)
シエスティーナはソファーから立ち上がると歩き出した。
最新小説9巻 4月1日発売予定です。
わたくしごとな宣伝失礼します。
あてきち原作・TVアニメ『最強の職業は勇者でも賢者でもなく鑑定士(仮)らしいですよ?』の放送日が決定しました。
TOKYO MX 4月4日より毎週土曜 22:00~
BS朝日 4月4日より毎週土曜 25:00~
AT-X 4月9日より毎週木曜23:00~
配信情報
先行配信(第2話以降は地上波より1週間先行)
dアニメストア、ABEMA
第1話:4月1日(水)0:00~
第2話以降:4月4日より毎週土曜22:30~
キャスト
金元寿子様 伊藤静様 三宅健太様 ほか
OP担当 緑仙【りゅーしぇん】様
ED担当 ファントムシータ様
XやYouTubeで「鑑定士(仮)」と検索していただければPV等が見られます。
オールワークスメイドより先にこっちが放送スタートの予定です。
よろしくお願いします!




