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アフタースクール・マルカート  作者: 孤独の音楽家
第1楽章:新入生歓迎会
2/5

1.本番前の音楽室にて



 時の流れというものは早く、コンクールが終わってからの月日はあっという間に過ぎていった。文化祭、体育祭、期末テスト、冬休みと目まぐるしく流れ、私は高校生活二年目の春を迎えた。

 今がまさに見ごろであろう桜並木を横目に私はいつもの通学路を自転車で駆け抜ける。途中で何人かの男子吹奏楽部員を見たが彼らは楽譜を見るのに必死で私の存在には微塵とも気付いてはいなかった。仕方ない。今日は新入生歓迎会で曲を演奏しなければならないのだ。

 しばらく自転車を走らせると校舎が姿を現した。レンガ造りの古風なそれは周りの近代的な建物と並べるとかなり浮いていた。私はそれが好きであった。この高校だけがまるで別世界であるかのような感覚に陥らせてくれて私の五感をチクリと刺激した。

 これまたレンガ造りの校門を颯爽と抜けると、私は駐輪場に自転車を停め鍵をかける。すると、どこからか私の名前を呼ぶ声がした。

「おっはよーー、さくらちゃん!」

「町子先輩!」

 声をかけたのは同じ吹奏楽部の嶋村町子(しまむらまちこ)先輩だ。私と同じホルンパートでパートリーダーも務めている。町子先輩は自慢のロングヘアをなびかせて向かってくる。

「新歓の練習は完璧かい?」

「ええと……イマイチです……」

 私は先輩の問いに自信なさげに答える。実際、自分が担当するパートのうちいくつかはあまり自信がない。

「おいおーーい、そんな調子じゃ困るよ? 本番はちゃんとやってもらわないと」

「はぁ……」

 そう言われても自信のないものを変えるのはなかなかに難しいのだ。そう思っていると町子先輩は大げさに笑った。

「アハハ、冗談だよ! 私もそこらへんはきっちりフォローするから、泥船(・・)に乗ったつもりで演奏していいからね!」

「先輩……それを言うなら『大船に乗ったつもりで』ですよ……」

「あれ、そうだっけ? まあ、そんなことはどうでもいいんだけどね、アハハハハ!」

「そんなことって……」

 かなり適当な性格の町子先輩に私は呆れるしかないのであった。



 * * *



 私と町子先輩が音楽室に入ると、すでに本番に備えて練習をしている部員が何人かいた。そのなかにはクラスメイトもいる。フルートの仲田幸子(なかたさちこ)さん、アルサクの朝比奈亜矢子(あさひなあやこ)さん、ユーフォの吉田涼香(よしだすずか)さん、チューバの村上涼(むらかみりょう)くんがそうである。私もケースからホルンを取り出し練習を始めようと椅子に座ったのだが、

「ひゃッ!」

 春にもかかわらず椅子はまだ冷えており臀部(でんぶ)になんとも言えない感覚を与え、私は思わず変な声を出し飛び上がってしまった。

「ホッカイロ使う?」

 と、町子先輩がそんな私の姿を見かねたのか使い捨てカイロを手渡してきた。

「あ、ありがとうございます……」

 私はカイロを受け取るとすぐさま懐に忍ばせる。

「もう春だってのに寒いねぇ……」

「先輩はカイロ使わないんですか?」

「ご心配なく、貼るタイプのを五枚使いしてますからね」

 そう言うと、町子先輩はカイロが貼ってある箇所を私に見せた。両肩に一枚ずつ、背中に一枚、腰に一枚、お腹に一枚、それぞれ肌着の上から貼ってある。

「さ、最強装備ですね……」

「でしょ?」

 町子先輩は三年生とは思えないような無邪気な笑顔を見せるとすぐに練習に取りかかった。それを見て私も練習を始める。


 新入生歓迎会で私たち吹奏楽部が披露する曲は『宝島』だ。吹奏楽を知っている人はもちろん、知らない人でもテンションが上がること間違いなしの名曲である。だが、演奏する者としてはこれ以上に難しい曲は知らない。一つのパートが乱れてしまえばそれだけで曲としては聞くに堪えないものとなってしまうのである。それだけに、演奏曲が滝沢先生の口から発表されたとき私たちは胸を衝かれる感覚に陥った。一部の部員からは消極的な意見が出たが滝沢先生は揺らがず、結局その部員は渋々折れる形となった。

 ──大丈夫です、キミたちに出来ないことはありません。 全国の入口まで行けたのですから心配する必要はありません──

 そのときの先生の言葉が未だに私の頭の中を駆け回っている。その言葉はどこか自信に満ち溢れているような、安心感があるような、そんな感じがした。その言葉が残っているうちは不可能なことなどないような気がした。


「それでは本番前最後の合奏をします。 準備お願いします」

 気付けば、滝沢先生と新しく吹奏楽部の部長になったユーフォニアムパートの白石渚(しらいしなぎさ)先輩が指揮台に立っていた。その声を聞いた私は急いでホルンを構える。

「じゃあ、チューニングの(ベー)お願いね」

 白石先輩の指示でチューニングを開始する。私もすぐに音を重ねる。

 少しだけずれてる?いや、大丈夫、合った。

「さくらちゃん、大丈夫?」

 町子先輩がこちらを確認する。

「あ、はい! 大丈夫そうです!」

 私は答える。

「静佳ちゃんは?」

 先輩は私の隣で同じホルンパートの武田静佳(たけだしずか)さんにも確認する。

「は、はい! なんとか!」

 武田さんも答える。

「オッケー。 ホルン大丈夫です!」

 町子先輩は白石先輩と滝沢先輩にそう報告した。

「トランペット問題なしです!」

「トロンボーンも大丈夫です!」

「サックス問題ありません!」

「低音も大丈夫でーーす!」

「パーカスも問題ありません!」

 次々と挙がっていく報告。白石先輩は頷く。

「大丈夫です」

 この言葉を聞いて滝沢先生も頷いた。

「分かりました。 それでは始めます」

 そう言うと両手をさっと構える。これが指揮棒を使わない滝沢先生の演奏開始の合図だ。私はマウスピースに口をそっと添える。あとは楽譜通りに息を吹き込み指を動かすだけだ。たったそれだけなのだが、練習段階ですでに心臓の鼓動が早くなり今にも張り裂けてしまいそうである。嫌な汗も頬を伝う。さっと振り上げられる滝沢先生の手。


 落ち着けさくら、私は自分自身にそう言い聞かせて息を吸い込んだ。




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