本当は強い卑怯者
葦原中つ国の平定の時といえば、もうすでに昔のことだが、今でも僕は思い出すたび腹が立つ。その平定の際、僕はある軍神との力比べで負けた。そいつの威厳というかにじみ出るオーラというか、とにかくそういう類のものに気おされ、負けを自分から認めてしまったのだ。
軍神、建御雷神。鹿島神宮に祀られている神だ。僕はこの男が、一番嫌いだ。勝つためなら反則も辞さない卑怯者。
平定後も、僕の父大国主命とぎすぎすして、出雲大社の空気を険悪にさせる面倒な奴。
今年度の目標も、鹿島に打ち勝つこと。も、というのは、去年もおととしもその目標を掲げて成就したことが一切ないからだ。僕も八百万の神の一柱だけど、勝利祈願はどこの神社に行けばいいんだろうか。神の祈願も受け入れてもらえるのかな。
「諏訪」
僕を呼ぶのは、その嫌いな神、建御雷神だ。僕は鹿島と呼んでいる。背が高くて、決して細身ではないけどしなやかに筋肉がついている。怪我でもしているのだろうか、首と額は包帯が巻かれている。
「……鹿島か。何用だ」
敵意を通り越した殺意むき出しで返したというのに、返された本人は気にせず軽々しく僕に近づいて来る。
「つれねーな。遊びにきただけじゃんか」
「まあ、ここは神社だ。信仰も文化も習慣もすべてひっくるめて来るもの拒まずの聖域といえるだろう。だが鹿島、おまえは例外だ」
「なんでよ。心の狭い神様だな」
「おまえ、自分が僕にしてきたことを忘れたか? 神にも痴呆はあるのかな。それとも覚えているうえでの失言か? だとしたら無神経と言われても文句は言えんぞ」
「千代に八千代に神様やってんだ。それこそ初代が即位するずっと前からな。それらすべて覚えてはいるよ。だけど多すぎてねえ、諏訪の言いたいことがどれなのか皆目見当もつかねーや」
この野郎。
「最初の時ださいしょ! 力比べの時! 中つ国平定でお前がこっちに派遣された時!」
切れて怒り心頭になって口調が荒くなってしまった。背の高い鹿島を睨みあげ、胸倉も両手でつかむ。僕に言われた鹿島は、少し考えてようやく思い出したようだった。
「あー、あれか。アレなの? なして?」
「あれがまともな力比べだったら僕も潔く認めたよ……」
「認めたじゃねーか。結果として国譲りは成ったわけだし」
「後日お前が薬物投与して筋力増強した事実を聞いた僕の気持ちがわかるか!!」
「あらら、ばれた」
そう。あのときの平定で僕は力比べに負けた。追いかけまわされて追いつかれた場所で僕は生活することを約束し、国を譲った。
恐怖に負けた僕が至らなかったせいだ。よくやったよと父は言ってくれたけど、それでも負けてしまった悔しさはちょっとやそっとじゃ癒されなかった。力に自信があったぶん、余計に。
それがこれだ。天照大神殿の話では、鹿島が事前に薬を飲んでいたという。薬物による筋力増強は、公式なスポーツの場では反則だ。
神々との勝負で、奴は卑怯な手で国を奪ったのだ。それを見抜けず怖くて負けを認めた自分が悔しくてたまらない。
この件だけではない。この軍神は、いつでもどこでも卑怯な手段を用いて勝ちを奪うことに定評がある。剣での戦いでは、相手の剣に細工して抜けなくしておく。殴り合いの喧嘩ならば、事前に相手が足を折ったりまともに戦えないように目つぶしする。将棋で詰まれそうになると、相手の目を潰し、機材も雷で壊して証拠隠滅したうえで基盤をばらばらにする。
これを卑怯と言わずしてなんという? 仮にも軍神として祀られている神がそんなようでは人間にもほかの神にも示しがつかない。
「そういう卑怯なことを見抜けず負けたのはお前だろう、諏訪」
「ぐ……」
「おまえがどんなにまともなことを言ったって、負けちまえば誰も耳を貸しゃしない。世の中は勝った方が正義なんだよ」
この男の持論は、おおむねそれに尽きる。勝利こそすべて、勝てば官軍負ければ賊軍。この勝利の為なら、なんでもしてみせる。たとえ反則でも卑怯でも。
だから嫌なのだ。鹿島の最優先は「勝利」。実際それで鹿島は負けたためしがない。少なくとも、僕はこの男が負けたところを見たことがない。負けがないのは、卑怯な手を使っているということだけが起因していない。たぶん、鹿島自身も強いのだろう。聞けば反則する必要などない、とスサノオ殿が言っていた。
「で? 何で俺はこんな懐かしい昔話を語ってるんだ?」
「知るか。何しに来たと僕が聞いてこうなった」
「ますますわからん。まあそのなんだ、お前んとこの親父に会いに来たのさ」
僕は眉をひそめた。会えば険悪なムードになるというのに、好んで顔を見せにくるとはわけがわからない。
ひとつ思いつくといえば、天照殿が僕ら国つ神と話がしたいということくらいだ。その事前準備として、鹿島を派遣した。
天照殿が父と話したいくらいの事情。この地に何かしらの異変が起こっているということ。直感でしかないが、きっと愉快な話ではないだろう。
「お嬢からね、ちょっと伝言を賜ったのよ」
「穏やかなではなさそうだな」
「察しがいいねえ。俺はお前さんのそーゆーところが好きだよ」
「それはありがとう。僕はおまえのすべてが嫌いだがな」
「あっはっはっはっは。お世辞を知らない正直者なところも好感持てるな。どこの地に行っても好かれるよ」
「うるさい。それより、父に会いに行くんだろう。僕にかまってなどいないでさっさと行け」
「へーへー」
鹿島はぶらぶらと手を振って、父の社へ去って行った。
出雲大社。父・大国主命の祀られるお社。諏訪大社に祀られている僕がこんな遠方まで来ているというのも変だけど、気が向いたら父のもとへ帰ってくるのが僕の癖だ。なんでだ。親からの自立は子のつとめじゃないのか。自分で自分がわかりません。
よっぽどのことが話と言うのなら、同じ八百万の神である僕にもいずれ届くものだろう。早いか遅いかの違いだけだ。僕は堂々と、鹿島と父の会話に割り込んで行った。
……案の定ぎすぎすしながら真面目な会話をしていた。鹿島のことは大嫌いだが、こうも険悪だとさすがに彼にも同情したくなる。
「あ、諏訪」
見目麗しい青年――もとい僕の父は、僕を見るやぱっとまばゆい笑顔を振りまいた。おかげか空気が和らいだ気がした。
「何の話をしてるんです、父さん?」
「いやなに、物騒な話だよ」
笑顔で言う内容ではない。……はず。
「でも、君はおおかた予想はついてるんだろう?」
「鹿島がここに来た時点で深刻な話だとは思いました」
「うんうん。その通りなんだよ。さすが私の息子だ」
天然でタラシの父だが、これでも子供のことは大切に思う方だ。若干身内びいきが過ぎる気がしなくもないけれど。
「それでね、諏訪の住んでるところで、最近何か変わったことはないかな?」
父にそう問われて、考えた。変わったこと、と言っても、何を持って変わったといえばいいのか。
「変わった? というと、具体的には?」
「なんでもいいんだよ。あまりよろしくない変化ならなんでもね」
「んー……。ああ、そういえば、いつも参拝に来ている子が、周囲の人間がよくけがをしたり病気になったりする、とは聞きました」
「やっぱり?」
「と言いますと?」
「それだよ、俺の言い使ってきたことは」
鹿島が答えた。
「穢れがかなりの速度で広がってるんだ」
屋内で踏ん反り替えっている割には、話題がずいぶんと重い。さすがの僕も、息を詰まらせた。
穢れ。この国に住んでいれば必ず起こりうる。人の死、血、出産、病、あるいはそこかしこにはびこる毒……そういったものが穢れとしてこの地を侵し、住んでいる生物に影響を与える。影響は、もちろん悪い意味で。
穢れの影響は人の心を侵食したり、体を必要以上の病で弱らせたり、祟りでもないのに災厄が降りかかったり。そうして徐々に、この国が穢れで弱っていくのだ。
といっても、だいたいの穢れというのは自然に浄化される。この地の自然が浄化することもあれば、神社に祀られる八百万の神々の手によって祓われることもある。穢れと言うのは、本来ならそれほど深刻になることでもないのだ。
だが、時々、大きな穢れが一気に日本を覆うことがある。たとえば、異国の人間が大量にこの国へ押し寄せてくること――悪意を伴って。その穢れは守り人たちの勇敢な戦いぶりによってすべて浄化され、僕らが手を出すほどのものでもなかった。
今回の穢れは、僕の予想をはるかに凌ぐのか。父でさえ、先ほどの微笑が消えているほどだ。ましてや僕の手に負えないくらいの穢れなんだろう。
「なぜ、穢れが?」
「原因は鋭意調査中。だけど、お嬢はなんとなーく分かってるみたい」
鹿島は肩をすくめて見せた。
「その何となくって……なに?」
「最後におきた大きな穢れとだいたい同じ、ってさ」
「悪意を持った外の者が、乗っ取ろうとしているということか?」
「そんな感じ」
この国に、異国の人間が訪れるのは別に珍しいことじゃない。
だが、それが悪意ある入国だとしたら、話は別だ。悪意、特に外からやってくる類のものは、簡単には見抜けない。悪意と言うのは、善意の面をかぶっているから厄介だ。
「この異常事態は、人間だけでは対処しきれない。俺たち神々も、全力でことにあたること。というわけだ。大国、もしもの時は頼む」
「心得ました。日本は我々の大切な宝だ。それを奪う輩には容赦しません」
要件を言い終えて満足した鹿島は、すぐにここを立ち去った。ここが好きなのだ。天つ神も国つ神も、それは同じだ。僕もまた、そうなのだ。
「諏訪。いつまでもここにいる必要はない。自分の土地を見守りなさい」
「……ぁ。はい」
父は普段、子供が自分の元へ来てものんびりさせる。急かして追い返すことはない。その父が、急かすのだ。事態はやっぱり深刻だった。
「途中まで送るよ」
「いえ、そこまで子供じゃ……」
「遠慮しない。私が送りたいんだよ」
父はかなり遠くまでついてきた。神社の外を出歩くなんて、神職に見つかったらなんて言い訳するつもりだろう。
「……もうここまでで大丈夫ですよ」
「うん。私もそろそろ戻らないと、身内にばれて叱られる」
まっさらな青空はいつの間にか橙色に染まり、ふわっと吹いた風が草木を揺らす。では、と父に背を向け改めて社を目指そうとすると、父が忠告した。
「気をつけなさい。……冗談じゃなく、本気で」
思わず立ち止まって、後ろを振り向いた。さっきより強い風が吹いて、僕の髪と装束の裾が激しく揺れた。そこには誰もいない。父はもう、自分の社へ帰ったのだ。
父の言葉に冗談は混じっていない。真面目に、本気で僕に忠告した。社でゆっくりしている時、父の言葉を思い出す。
――気をつけなさい。
簡潔で、とても重い言葉だ。僕にできることは、いつか来る「その時」にそなえて、少しでも強くなることだけ。参拝に来る人間から話を聞いたり、彼らの穢れを浄化したり、神職と相談したり……
もしも、この地が神々でさえ対処できないくらいの穢れに覆われたら、鹿島はどうするんだろう。ふっとそう思った。
あの男は何よりも勝利を優先する男だ。穢れが僕らよりも強大だとしたら、それは穢れの勝ちになる。穢れ側について勝ちを得るのだろうか。それとも、卑怯な手を使って穢れを祓うのだろうか。
でも、穢れに対する反則技って、なんだ? 僕はそれが皆目見当つかない。
鹿島はあの通りの卑怯者だが、それでも僕は本当の意味での嫌いにはなれなかった。天照殿から信頼されるほどの男であるし、身内からは頼れる兄貴分として慕われているという。地震を起こすと言われるナマズを封じているというし(本人は本気で自覚がない)。
根っからの悪ではないのだ。ただ、だからこそ時々やらかす卑怯な行いに我慢ができないだけで。正々堂々と戦っても負けることはなさそうなのに、彼はなぜああも卑怯なのか。というかあの身長、すこし僕によこしてほしい。
少し眠っていた。実際、夢の中に入っていた気がした。その夢の中で、僕は何かが割れる音を聞いた。はっと驚いて目を覚ました。何かのお告げだったのは間違いない。それも、いい意味でのお告げでないのは、分かりきったことだ。
社から飛び出して神社の外をざっと確認したら、血の気が引いた。
「なんだ……あれは……」
聖域ゆえかろうじて神社は無事だ。
だが、その外は惨状だった。
まがまがしく鈍く輝く黒色の影が、どろどろと地を覆っている。天高く飛んで地上を見下ろしてみたが、神社や教会、寺院といった信仰の域を除いた場所の地がどろどろの影に侵食されている。
もっと高く上がって、日本全土を見下ろせるほどまでに上がる。
「よかった。まだ全土には広がってない……」
だが、完全な安心はできない。僕のいる地はかなりの速度で侵食を許している。
穢れが濃い。普通の穢れなら、その土地が自然に浄化していくはずなのに、それも追いついていない。
「……いや。違う……?」
よく分からないが、穢れが僕の土地に集中して侵食をしているようにも見える。その証拠に、ほかの地は申し訳程度の穢れしか見当たらない。
はっきり言って、穢れにそんなことがあるはずない。穢れと言うのは何処を狙おうとかどれを食らおうとか、そういうことを考えて特定のものに群がることはない。中心点からじょじょに広げて行く。
そのはずなのに、穢れはいずれもこちらを目指して進んでいく。
僕を狙っているようにしか見えない。
とにかく、穢れを祓うしかない。
地上に降り立ち、神社の外に進んで出る。
この程度の穢れ、問題ない。少し量が多いだけだ。
僕に対する悪意があるなら、それを砕くだけだ。
風から剣を生み出す。実質風で斬るようなものだ。刃こぼれの心配がいらないのはありがたい。
軽くて鋭い風の剣を一振りし、周囲の穢れを断ち切る。八百万の神にはこうした浄化の力をそれぞれ持っている。
穢れが、僕を認識して一気に飛びかかってきた。やっぱり、狙いは僕か。
「だけど」
剣を一閃。影は飛散した。切っ先を地に突き刺し、そこを中心に風を吹かせる。その風に触れた穢れは、べちゃべちゃと気色悪い音を立てて散った。僕にその欠片がべったりと張り付く。頬についたそれを袖でぬぐったが、余計に広がるだけだった。
一歩踏み込んで横に薙ぐ。開けた道にもう一歩踏み込んでさらに斬りこむ。そうして取り囲んだ時を狙って、僕を中心に竜巻を起こして切り裂く。
「なめるな」
本能が、穢れを嫌悪するのは当然のことだ。だけど、それを差し引いても、僕の嫌悪は強い気がする。それが、今の僕には力になる。
こんな奴らに負けてたまるかと。
「おまえたちなどに…………食われてたまるかああぁっ!」
刃が大きくなった。僕の怒りが比例したのだろう。両手で扱う太刀だが、風でできているからそれほど苦にならない。
縦に一閃。地に亀裂が走る。その衝撃で、前方の穢れが飛び散った。
周囲に黒い影はない。風の剣を消した。
少しだけ息が上がっている。
(少し、感情的になりすぎた)
怒りすぎるとおなかがすくよ、とはよく父に笑われたものだ。鹿島の反則を、いつも父に愚痴っていたときに、そう言われた。本当にその通りだな。
だが、安堵した。
(これでいい)
目の前の危険は取り去った。これで少し、休める。
「え」
僕の体から、黒い物体がずるんと出てきた。
見間違うはずもない、穢れだ。
(……っ! いつの間に……!?)
急に体が重くなる。両足で体を支えられない。
穢れの一部に、体力を吸い取られた。
「なん、で……っ!」
どさ、と膝をつく。風の力を借りるために必要な神力も奪われている。これでは風の剣を出せない。
明らかに、この穢れは通常の穢れとは違う。まるで、人格を成しているような……?
鉛のように重たい体を何とか立たせる。祓ったはずの穢れは、再び増殖していた。
「く……」
負けてなるものか。穢れなどに、負けるものか。
だけど、体は言うことを聞いてくれない。体力がないし、建御名方神として使うことのできる力が奪われた。今の僕は、生身の人間に等しい。……いやそれ以下か。
穢れが僕にまとわりついてくる。冷たい。気持ち悪い。鳥肌が立つ。ずぶずぶと足が飲まれる。底なし沼に足がはまったような絶望感。
神が、穢れに飲まれるなんてあってはならない。末代までの恥だ。
誰が助けてくれるわけじゃないけど、手を天に伸ばす。誰かが気付くわけじゃない。太陽は沈んでしまった。天照殿だって気づくはずがないんだ。
なら誰が助けてくれる? 父さん? 兄さん? 奥様?
声も満足に出ない。腰まで引きずられる。案外早いな。
「だれか」
口が、穢れにつかる。体内に穢れが入り込みそうだ。
「か、しま」
息がもうできない。
手は、虚しく空を仰ぐだけ。
「おら、諏訪」
手首を誰かに掴まれた。突如、地上に引っ張り出された。
ぼんやりと目を開けると、目の前には鹿島がいた。しかも、目線が同じ。悔しいことに僕の背は奴に追いついていない状態なのに。
引っ張り出されて、奴に手首を掴まれていて、宙ぶらりんになっている状態だった。これでは目線が合うのも仕方がない。屈辱的だけども。
にっと笑って、僕を安心させる。なるべくゆっくり、足を地につけさせてくれた。
だが、その心遣いを無駄にさせる。体力も神力もスズメの涙ほどしか残っていない僕には、立っていることさえ困難なのだ。鹿島の胸に頭をぼすんとぶつける。足がふらふらしてどけられない。
「おい、大丈夫か」
「鹿島、なんで……」
「おまえさんが呼んだんだろうが」
無意識に、最初に助けを求めたのは、こいつにだったらしい。これこそ末代までの恥になんない?
「……ああ。穢れに食われたのか」
鹿島は僕の状態を見て事情が呑み込めたらしい。
「天上から見物してたけど……こりゃひどい」
「こいつら、僕を狙ってる」
「分かってるさ。今はもう喋らんでいい。あとは俺が片づける」
鹿島は僕を片手で覆う。なにこれ、恥どころか穴掘って入って一生出てきたくないくらいなんだけど。
「俺の楽しみを奪うってんなら、相当の覚悟で臨めよ、ゲス共」
聞いたことのない、鹿島の怒声。腹の底に響く、恐怖を呼び覚ますような声。
だが、体力も限界に来ていた。僕がその時に分かっていたのはぼんやりとした目でしか視認できない。それから、耳をつんざく轟音が響いたことくらいだ。自分で体を支える力を、完全に失った僕は、そのまま鹿島に体を預けたまま深い眠りに落ちた。
はっ、と目が覚めたとき、天井には心配そうに僕を見下ろす父がいた。どうやら、床で眠っていたらしい。夢すら見ていなかった。相当深く眠っていたんだろう。
「ああ、諏訪。よかった、目が覚めたみたいだね」
「父さん?」
「君の社だよ。鹿島が担いできてくれたんだ。起きられる?」
「なんとか」
父から事情を聞いた。おおまかにこういうことだったらしい。
鹿島が、あの卑怯者の鹿島が、珍しく正々堂々、自分の力だけで、反則もせずにあの穢れを撃退したらしい。そのあと、出雲大社にいた父にこのことを伝えて、父がこちらに来るやすぐに天上へ帰った。
「あの鹿島が、反則もしないで……?」
「諏訪、鹿島はね、反則に頼らなければならないほど弱いわけじゃないんだよ」
「……どういうことですか。父さんは何かご存じなのですか?」
父は僕に白湯を差し出した。
「まあ、長いこと神様やってるとね。いろいろ教えてもらえるんだ。鹿島は雷神という一面もあるだろう? 雷の力を借りることができる。その力はとてつもなく強大でね。祟りに自信のある私でも、彼の力は怖いくらいなんだ」
「それが卑怯者とどうつながるんですか」
「正々堂々、本気を出して鹿島の持つ本来の力だけで戦うと、かなり悲惨になるんだよ。下手をすれば死人が出たり無関係の人が巻き添えになったりね。だから鹿島はあえて自分の力を使わない。反則を常用して、自分の本気を出さないようにしてるんだ」
「そんなことが……」
「今回はさすがにそんな余裕もなかったしね。まともに戦えない君を守りながらいつも通りに戦うのはさすがの鹿島でもきつかった。何より、穢れがきみの力を吸い取って、あまつさえ食おうとした。鹿島は天上でそれを目の当たりにして、堪忍袋の緒が切れたそうだよ。そして、高天原から降りて、『正々堂々本気を出して』戦った」
白湯を呑みながらその話を聞いた。鹿島は、強かった。だけどそれはあまりに強すぎるから、あえて汚れ役を買って出た。
知らなかった。無知だった。僕は何も分かっていなかったんだ。それなのに、鹿島を卑怯だなんだと罵っていた。
無知に甘えて鹿島に怒るなど、僕の方こそ卑怯者だったんだ。
「僕、鹿島になんてことを……」
父が、僕の頭を撫でた。
「気にすることはない。鹿島はそれを承知の上で行動していたんだ。それに実際、鹿島はそうやって君が成長するのを狙っていたんだ」
「あの鹿島が?」
「うん。地上に面白い神がいるって、天上でよく話してるのを天照殿経由で聞いてね」
「そうでしたか」
「だから、君は何も気にせず、ゆっくり療養しなさい。本調子になるまで、私もここにいる」
「社は大丈夫なのですか」
「分霊を置いてきたから大丈夫。私たち神々は、分身しても変わらないだろう?」
「いや、まあそうなんですが」
その後は、社で奪われた体力と神力を少しずつ取り戻すことになった。定期的に鹿島が来る。わけのわからない土産を毎度持ってきて。地上の流行りものと言うらしいが、ついていけない。
ある日、僕は思い切って聞いてみた。
「鹿島」
「ん?」
「おまえ、強いのか?」
「そりゃ、強くなきゃ軍神やってらんないっしょ」
「はは、そうだな。そう、なんだろうなあ」
「なに? 強くてかないそうにない相手だからって悔しがってんの? だいじょーぶだいじょーぶ、お前さんかなり伸び代あるから、いつか俺にも勝てるって。……不意打ちも考慮に入れるのが必要だけど」
「悪いが僕は反則とは無縁でいることにするよ」
「そっか。俺もそれが嬉しい。卑怯者のお前さんなんてつまんないしな」
「なんだと!?」
「おーっと、怖い諏訪にとっちめられる前に退散しますっと」
すんでのところで鹿島は立ち去ってしまった。去り際、父とすれ違ったが、一瞬ばかりいつも通りの険悪ムードが漂った。
あの穢れに二度と食われないよう、……というのは建前だ。
本音で言えば、あの鹿島に今度こそ勝つために、もっと強くなる。本気を出されても負けないくらいの、強さを得る。そう決意するに充足した事件だった。
今は回復に専念か。僕は看病に来てくれた父からお茶をもらい、療養に集中することにした。
※2013.06.13 修正
古事記を読んでいたらぶわっと妄想膨らんでできてしまった産物です。あんな書き方してますが、鹿島様も諏訪様も大国様も大好きですよ! 神様がいっぱいいるとその分妄想がとめどなくなりますね。というか、もうこれ神様の名をお借りした完全創作じゃまいか。