遺失物係の神様
世界を創った? で、所有権は?⚖️
……そんな法律オタクの屁理屈で、神様を交番に放り込んでみました。笑
ちょっと不条理な法律コメディです。
肩の力を抜いて、お楽しみください。
午後三時四十二分。
神様が交番にやってきた。
「すみません。落とし物をしたのですが」
「はい。どういったものですか?」
「世界です」
巡査の佐藤は、ボールペンを止めた。
「……世界、ですか?」
「ええ。世界です」
佐藤は改めて相手の顔を確認した。
白髪の老人だった。白いシャツにベージュのカーディガン、紺色のスラックス。足元には、ずいぶん履き古した革靴を合わせている。
どこからどう見ても、普通のおじいさんである。
「地球儀のようなものでしょうか?」
「いえ、あなた方が住んでいる、この世界です」
「……宇宙そのもの、ということでしょうか」
「そうです。話が早くて助かります」
老人は嬉しそうに頷いた。
佐藤は遺失届の用紙を脇へ寄せ、相談用のメモ帳を開いた。話が早いかどうかはともかく、少々長い相談になりそうだった。
◇ ◇ ◇
「まず、お名前を伺ってもよろしいでしょうか」
「神です」
「苗字は?」
「ありません。創造主などと呼ばれていたことはありますが」
佐藤は『創造主(自称)』と記入した。名前として適切かどうかはともかく、空欄にしておくよりはよいだろう。
「それで、その世界を作られたのは、いつ頃でしょうか」
「そうですねえ。百三十八億年ほど前でしょうか」
「ずいぶん前ですね。では、落とされたのは?」
「それが、気がついたときには、もう私の手を離れていたようでして」
紛失した時期は分からないらしい。佐藤は続けて場所についても尋ねたが、老人によれば、世界の外にはそもそも場所という概念が存在しないのだという。
それでは記入のしようがない。
佐藤は『紛失日時・場所ともに不明』と書き添えた。
「ちなみに、その世界には何か特徴がありますか?」
「生命がいます。動物も植物も、それはもう、たくさん」
「人間も?」
「もちろんです。ずいぶん増えましたよ」
佐藤は腕を組んだ。
「それは困りましたね」
「やはり、難しいでしょうか」
「ええ。少なくとも、人間を遺失物として取り扱うことはできません。人間は物ではありませんから」
老人は、ぽかんとした。
「……世界の一部ではあるでしょう?」
「そうですが、そこは分けて考える必要があります」
「なかなか面倒なのですねえ」
老人は少しだけ口を尖らせた。
◇ ◇ ◇
「では、世界そのものはどうでしょう」
「そこなんですが、念のため確認させてください。世界のどこまでを、ご自分の所有物だとお考えですか?」
「もちろん、全部です。私が作ったのですから」
「星も、海も、誰かが暮らしている土地も?」
「ええ。何もかも」
佐藤はメモ帳から顔を上げた。
「作ったということと、所有しているということは、必ずしも同じではありません。これだけのお話では、何が誰のものなのか、判断するのは難しいですね」
「自分で作った世界についてまで、そんな確認が必要なのですか?」
「相談を受ける以上は」
老人は感心したような、呆れたような顔をした。
「ずいぶんと融通の利かないところなのですねえ」
「申し訳ありません。ただ、もう一つ確認したいことがありまして」
佐藤は少し身を乗り出した。
「そもそも、世界を落としたというのは、どういう状態なんでしょうか」
老人はしばらく黙っていたが、やがて深いため息をついた。
「……言うことを聞かなくなったのです」
「と、おっしゃいますと?」
「昔はよかったのです。光を生み、星々を巡らせ、何もかも私の思いどおりでした。実に素直な世界だったのですよ」
「それは便利ですね」
「ところが、あるときから住人たちが勝手なことを始めましてね。私の名を使って争ったり、人を殺したり、挙げ句の果てには私の存在まで否定し始めたのです」
老人は膝の上で両手を組み、寂しそうに俯いた。
「せっかく作ってあげたというのに、まったく困ったものです」
佐藤は話の内容をメモしながら、少し考えた。
「失礼ですが、住人の方々には、最初に何か説明をされたんですか?」
「説明?」
「例えば、この世界ではあなたの指示に従う必要がある、といったことです」
「そんなものは必要ありません。私は神なのですから」
「そうですか。では、何か約束をされたわけでもないんですね」
「もちろんです。私が命じれば、それで十分だったのですから」
佐藤はメモ帳に『指示に従う義務の根拠について確認できず』と記入した。
「……何を書いたのです?」
「いえ、こちらの話です」
老人は不満そうだったが、それ以上は追及しなかった。
「それで、世界は返していただけるのでしょうか」
「返す、とおっしゃいますと?」
「元どおり、私の言うことを聞くようにしてほしいのです」
そこで佐藤は、ようやく相談の趣旨を理解した。
「ああ。つまり、世界そのものは今もそこにあって、住人の方々が思いどおりにならない、ということですね」
「ええ。まったく、困ったものですよ」
「それでしたら、遺失物として扱うのは難しいですね。お困りなのは世界が見つからないことではなく、住人の方々との関係ですから」
老人は目を丸くした。
「……では、どうすればよいのでしょう」
「まずは、ご本人たちとお話し合いをされてはいかがですか」
「話し合い?」
「相手のあることですので、何を考えているのか、聞いてみるのがよいと思います」
老人は心底驚いた様子で佐藤を見つめた。
「私が、彼らの話を聞くのですか?」
「ええ。少なくとも、こちらで代わりにお話しすることはできませんから」
「しかし、私は世界の創造主なのですよ」
「それは先ほど伺いました」
佐藤は穏やかに微笑んだ。
「ですが、創造主だからといって、住人の方々が何を考えているかまで分かるとは限りませんよね」
老人は何か言いかけたものの、結局、黙り込んでしまった。
◇ ◇ ◇
午後四時二十三分。
老人は、すっかり肩を落としていた。
「誰かにお願いするなど、考えたこともありませんでした」
「慣れないことかもしれませんが、まずは話を聞くところから始めてみてはいかがでしょう」
「お願い、ですか。命令ではなく?」
「命令できるかどうかについては、ここでは判断できませんので」
佐藤がそう答えると、老人はまた考え込んだ。
その間に佐藤は机の上の書類を整理し、交通安全のチラシと地域の防犯マップを片づけた。残っているのは、昨日提出するはずだった勤務報告書である。
相談に来た老人の悩みも深刻そうだが、こちらにはこちらの事情がある。何しろ、今日中に報告書を提出しなければ、また上司に叱られてしまう。
「一つ、聞いてもよろしいでしょうか」
老人が口を開いた。
「あなたは、神を信じていますか?」
佐藤は少しだけ困った顔をした。
「個人的な信仰については、職務と関係がありませんので」
「そこを何とか」
どうにも引き下がりそうにない。
佐藤は返答を考えながら、ふと窓の外に目を向けた。
横断歩道では、小学生が二人、信号が変わるのを待っていた。やがて青信号になると、二人は元気よく走り出したが、途中で一人が転んでしまった。
先を走っていた子供はすぐに気づき、慌てて引き返した。差し出された手を取って転んだ子供が立ち上がると、二人は顔を見合わせて笑い、また並んで歩き始めた。
「神様がいるかどうかは、私には分かりません」
佐藤は窓の外を見たまま答えた。
「ただ、あの子たちは、神様に言われなくても助け合っているようですね」
老人も窓の外に目を向けた。
二人の子供は、今度は走らず、何やら楽しそうに話しながら歩いていく。
「……そうですねえ。私が教えたわけでもないのに」
「そうなんですか?」
「ええ。あんなことをするように命じた覚えはありません」
老人はしばらくその光景を眺めていたが、やがて、ふっと表情を緩めた。
「勝手なものですねえ。でも、悪くない」
佐藤は微笑み、老人の邪魔をしないよう、静かに書類へ目を戻した。
◇ ◇ ◇
午後四時四十六分。
「お世話になりました」
老人は立ち上がり、深々と頭を下げた。
「いえ、大したことはできませんでしたが」
「いいえ。ずいぶんと勉強になりました」
交番の扉に手をかけたところで、老人はふと思い出したように振り返った。
「そういえば、あなたのお名前を伺っていませんでしたね」
「佐藤です」
「佐藤さん。あなたのような方がいる世界なら、しばらく放っておいても大丈夫かもしれません」
佐藤は苦笑した。
「それはどうでしょう。私なんか、昨日も上司に怒られたばかりですから」
「ほう。何をしたのです?」
「報告書の提出が遅れまして」
老人は声を上げて笑った。
「それは大変だ。私にできることはありますか?」
「さすがの神様でも、上司をどうにかするのは難しいでしょうね」
「なるほど。上司というものは、なかなか厄介なのですね」
二人は顔を見合わせ、ひとしきり笑った。
やがて老人が交番を出ていくと、開いた扉から柔らかな西日が差し込み、机の上の書類を淡く照らした。
穏やかな、秋の午後だった。
◇ ◇ ◇
午後五時。
佐藤は相談記録をまとめていた。
氏名、創造主。年齢は不詳で、相談内容は世界の紛失。
そこまで書いたところで、佐藤は少し迷った。今日の相談を遺失物として扱うのは、やはり無理がある。老人が困っていたのは、世界が見つからないことではなかった。
佐藤は相談内容を書き直した。
『自己が創造したと主張する世界について、管理・支配が及ばなくなった旨の相談』
対応結果についても、遺失物としての取扱いが困難である旨を説明し、関係者との対話を勧めたこと、本人が納得して帰ったことを簡潔に記載した。
これなら上司にも説明できるだろう。
佐藤がひとまず安堵したところで、交番の電話が鳴った。
「はい、中央駅前交番、佐藤です」
『あ、佐藤君? 署の田中だけど』
「お疲れさまです」
『ちょっと聞きたいんだけど、さっきそっちに変なおじいさんが来なかった?』
佐藤は思わず背筋を伸ばした。
「……来ましたが、何かありましたか?」
『いや、うちにも来たんだよ。ずいぶん嬉しそうにしててさ』
嫌な予感がした。
「何か、おっしゃっていましたか?」
『今度は新しい世界を作ろうと思うんですが、って相談されてね』
「……それで?」
『住民の同意って、どう取ればいいんですかね、だって』
佐藤は天井を仰いだ。相談の趣旨は理解できたものの、今度ばかりは何を案内すればよいのか、さっぱり分からない。
「……それは、交番の管轄ではありませんね」
電話の向こうで、田中が吹き出した。
佐藤もつられて笑ったが、すぐに机の上の報告書が目に入った。昨日提出するはずだった書類には、赤い付箋が貼られている。
『本日中に必ず提出すること。田中』
佐藤はため息をつき、再びボールペンを握った。
神様は新しい世界を作るらしいが、こちらの仕事は一向に終わらない。
窓の外では一番星が輝き始め、世界は今日も、誰の許可も取らずに回っていた。
――了。
神様相手に所有権を確認するなんて、我ながらずいぶんひどい話を書きました。笑
でも、創ったものが思いどおりにならなくなったとき、それは本当に「失った」ことになるのでしょうか。
誰かの手を離れたからこそ、生まれるものもある。
もしかすると、神様が落としたと思っていたものは、最初から落とし物ではなかったのかもしれません。
そんなことを考えながら。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。⚖️




