彼は『不倫』なんてしてないわ
15年ほど前、上級貴族であるラバック家に一人の若い女が嫁いできた。
名はシェリー、元は下級貴族だった女である。
それが何故、名家に嫁いでこられたのか?
それはシェリーが極めて優秀だったことと、唯一の跡取りであるボンクが両親から将来を心配される程度には不出来だったからに他ならない。
つまり妻であると同時に、家を盛り立てる次世代の実質的なブレーンとして白羽の矢が立ったわけである。
シェリーは義理の両親が期待した通り、いやそれ以上に優秀な女だった。家を切り盛りしながら三人もの子供を産み育て、立派に教育しながら姑舅とも円満な関係を築き、不出来な夫のことも立て続けた。
一方で、『不出来な夫』ことボンクはどうなったかと言うと
「ねえ、シェリー。こんな事は言いたくないのだけど……」
「あら、どうしたのニーナ」
「ボンク様が噂になっているわ『最近また、若い女性の下に足しげく通っている』って」
夜会にて、昔から交友のある友人からこんな忠告を受ける程には不出来なままであった。むしろ、やるべき仕事は全て妻が完璧にこなしてくれると気づいて以降、ますます不出来さに磨きがかかっているまである。
今日だって、本来妻をエスコートすべき夜会をすっぽかし一体何処へ行っているのやら。
「あらまあ」
「あらまあって貴方……早く対処しないと」
ニーナは思う、いつ何時も朗らかさを崩さないこの善き友人はもう、自分の人生を諦めているのではないかと。
ニーナはシェリーの後方に佇む従僕を見た。
ベルガという体躯の良い男だ、歳はシェリーより4つほど下だったか。
過日、まだ幼かったシェリーが訳ありの孤児を拾い、才能を見出して以降ずっと側に置いている彼女の懐刀である。
「心配してくれてありがとうニーナ。でも大丈夫よ、私にはベルガがいるもの。ねぇベルガ、貴方はずっと一緒にいてくれるわよね」
「勿論」
ニーナは知っている、シェリーには昔からずっと好いている男がいる事を。また、その男もシェリーのことを思い続けている事を。
「いっそ……いえ、なんでもないわ。」
いっそ、二人で駆け落ちでもすれば良かったのにと思うがそれはたとえ冗談であっても言うべきではないと思いなおす。
分かっている。
貴族令嬢として、その従僕として、この二人は与えられた責務から逃げるような事は決してしない。無論、一線を越える様な事も。
まあ、そんな二人だからこそいじらしく、友として悩ましい気持ちになるのだが。
そんなわけで、ニーナが複雑な顔をしているとシェリーがイタズラっぽく微笑みかけてきた。
一瞬面くらう、こんな顔をする彼女を見たのはいつ以来だろうか……学生時代?
丁度その時、深夜十二時の鐘が鳴った。
夜から朝へ、日付が変わる知らせだ。
「それにね、本当に何も問題ないの。だってあの人は今から『不倫』なんて絶対にできないんだもの」
◇◇◇
日が昇り始める少し前、貴族御用達の宿にボンクはいた。
「ねえ、本当によろしかったのボンク様?一週間も家をお空けになって」
「問題ない。アレには秘匿性の高い視察だと言って出てきたからな」
一緒にいるのは半裸の女。
「でも、女の勘って鋭いものですわ。私は貴方とこうしていられるなら二番目で良いのだけれど、奥様は大丈夫かしら?」
いじらしい事を言っているようだが、その内心は『お金は欲しいけど、争いごとに巻き込まれたくはないわ』である。
「はっはっは、愛い奴め。もしバレても問題ないさ、アレは嫁いで来た身な上に俺の魅力に参っているんだ。だから昔もなぁなぁで済んだ。二度ある事は三度あるだ。じゃ、またな。」
そう言ってボンクが去った後、部屋に残った半裸の女は早々に水差しで口をすすぎ、吐き捨て、プレゼントされた貴重品を質屋に持っていくのだった。
さて、そんなことはつゆ知らぬボンク。
馬に跨り上機嫌で朝帰りである。
「今度は久しぶりにアレも抱いてやるか。」
脳裏に映るのは三人子供を産んでなお美しさに陰りが見えぬ妻の姿。
若い女にも少々飽きた。
浮気は所詮浮気だ。
最近、反抗的になってきた長男長女が目障りで気晴らしとして遊びに出たが、やはり最後に戻る場所は自分を慕う妻がいるこの絢爛豪華な屋敷だ。
そんな事を考えながら屋敷の前に立つが、衛兵は動かない。
「ん?おい早く門をあけろ。」
「止まれ、貴様はもうこの屋敷の者では無い」
なんだこの無礼な衛兵は!
そう激して掴みかかろうとするボンクに、衛兵は一枚の封筒を突き出してきた。憤慨しつつ中を確認してみると中に入っていたのは、王家の金印がつかれた一枚の公文書と手紙。
公文書にはこのような事が書かれていた。
『ベンガーナ国はシェリー・ラバックの主張を全面的に認めラバック家の夫婦、ボンクとシェリーの離婚を決定する。またラバック家の当主をシェリーへ変更しボンクは除籍処分とした。』
「は、はあ〜!?」
目を白黒させながら、今度は手紙を見る。そこにある美しい筆致は、政務を肩代わりさせていた女のものに間違いない。
手紙には、こう書かれていた。
*****
ボンクさん
もうお忘れかも知れませんが、ブラゴを出産して早々に貴方が浮気行為をなさった時、私から少々忠告をさせて頂きました。
しかし、貴方は行動を改めてはくれませんでしたね。それから十余年、私はできる限り良妻として振舞って参りましたがそれは義務を果たしていたに過ぎません。そこには愛も信頼も皆無でした。
貴方がこの手紙を読んでいる頃には、私達は夫婦ではなく、また貴方はラバック家の一員でもなくなっていることと思います。
ご存知の事かと思いますが、この国の法においてはパートナーに度重なる有責(不貞行為や長期に渡る不労等)および一親等以内の全員から同意があった場合、相手の同意がなくても離婚や当主変更、除籍が認められているためです。
つまり、この決定は貴方のご両親も三人の子供達も全員が承認していると言う事ですね。
ちなみに貴方のご両親はブラゴとティオが一緒に説得してくれました。まだ幼いフォルゴレが悲しまないかだけが心配でしたが、今後はわたしの従僕であるベルガを父と思うように伝えたところ大喜びしていました。
理解ある子供に恵まれたこと、公明正大な義両親と家族になれたことは、私にとって大変な幸運です。なお、家督はブラゴが成人したらすぐに譲り、その後私はベルガと慎ましく暮らします。
ですので、心置きなく外にいる女性と幸せになって下さい。なお、今の貴方の身分は無戸籍の平民なわけですが、今貴方の財布に入っているお金と服、それから馬などは手切れ金として差し上げます。心ばかりの餞別と思って頂ければ。
それではごきげんよう。
シェリー・フォン・ラバック より
追伸
ざまぁ
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手紙を読みすすめるうち、ボンクの顔は赤くなり青くなりを繰り返したが、やがて土気色となりがっくりと膝をつくこととなる。
その衝撃によるものか、ボンクはようやく思い出した。
この日を見据えて家の内外に根を周し、着々と準備を進めてきた元妻が過日、忠告してきた内容を。
曰く
『不倫というものは、帰る家があるからできる事を忘れないで下さいね』




