04 山小屋のさんにん
膝の上に軽い感触が落ちてくる。私は毛布の上に投げ置かれた封筒にそっと手を伸ばした。
「これは……?」
促されて中身に目を通す。
そこには私を雪山で抹殺する指示が、隠す気もなく無機質な文字で記されていた。
深く、重い吐息が漏れる。差出人の名前は当然ない。けれど、誰の指示かなんて考えるまでもなかった。
「……あの、男たちは私の鞄を持っていませんでしたか?」
「鞄? どんな形だ?」
「革製の、肩に掛けるタイプです。……身の回りのものもそうですけど、あの中にお祖父様の形見を忍ばせていて」
形状を伝えると、シグルドさんは僅かに眉を動かしたが、すぐに短く首を振った。
「あいにくだが、死体の周りには転がってなかったな。だが望みがねぇわけじゃない。ムジカの奴らは食えねぇものでも巣に持ち帰る習性がある。……何が入ってたんだ?」
「古びた真鍮の鍵です。でも、大丈夫です。命があっただけでも御の字ですから」
無理に笑って見せた私に、シグルドさんは呆れたような息を漏らした。
「しかし酷ぇ話だな。王妃に嫌われたからと言って、殺されるほどのことでもねぇだろうに」
「……たぶん、私が目障りだったんだと思います。創設者の孫ということで、協会長の立場に就いていましたから」
若さを理由に反対する人もいたけれど、新米なりに祖父の遺した理念を守るため私は必死に働いた。その努力が実を結び、下町での保護犬活動が認められて協会は市井からも注目される存在になったのだ。
ただ――そこにメリンダ様が入り浸るようになってしまった。
輿入れしたばかりだったメリンダ様はきっと、慈善活動に励む慈悲深い王妃としての姿を民に見せたかったのだろう。人気取りなのは明らかだったけれど、だからと言って王妃である御方をぞんざいに扱えるはずもない。
そうしてあれこれ口を挟まれるのを受け入れているうちに、気づけば協会はメリンダ様の顔色を窺う組織へと成り下がっていった。
『肉を食べるなんて野蛮だわ。菜食であるべきよ』
『動物から剥いだ毛皮を着るなんて悪魔の所業としか思えないわ!』
『貴女って冷たい人なのね。動物のことを真剣に考えもしない人にこの協会は任せられないわ』
もちろん私だって無益な殺生を望んでいるわけじゃない。彼女のような主張を掲げる人がいることも知っているし、その優しさ自体を一概に否定するつもりだってない。
それでもたびたび苦言を呈してきた私が目障りだったに違いない。……そうでもなければ、わざわざ私を追い出すような真似はしないはずだ。
けれど、言いようのない怒りが込み上げてくる。
だって祖父が協会を創設したのは、密猟の横行を許した当時の王家に見切りをつけたからだ。
だから私財のほとんどを投じて猟師を育てる土台を築き、法整備を進めるよう何度も王家に陳情し、さらには私兵まで派遣して、ようやく密猟者を激減させられたのだ。
その背景を何ひとつ知らぬまま綺麗事だけ振りかざして協会を私物化し、挙げ句の果てに暗殺者を差し向けて私を消そうとするなんて――
毛布を握る指先に、自然と力がこもる。
すると、足元にいたノースがそっと鼻先で私の手をつつき、くん、と短く鳴いた。
……慰めてくれているのだろうか。恐ろしい獣だと聞かされていたはずなのに、こうして寄り添ってくれる姿はどう見ても大きな犬にしか見えない。
「フッ、随分と早く懐くじゃねぇか。……で、その協会の創設者はオイゲン・リンドで間違いないか?」
「は、はい! 祖父を知っているんですか?」
シグルドさんの目が、懐かしむように細くなる。
「若い頃、オイゲンは何度か北部に来たことがある。北の実情を知りたいってな。当時のヴィンターハルトは北方部族の侵攻を食い止めるのに手いっぱいだったんだが……後手に回っていた密猟を減らせたのはあいつのおかげだ。惜しい男を亡くしたな」
「そうだったんですね……」
胸の奥がじんと熱くなる。大好きだった祖父の名を雪深い北部の山小屋で聞くなんて思いもしなかった。
その祖父を知る人に私は助けられたなんて。なんとも不思議な縁に、運命めいたものを感じてしまう。
「……嬢ちゃん、家に頼れる奴はいないのか? このまま王都に戻ったら、また妙な目に遭うんじゃねぇか?」
「私が王都に帰ったら……兄夫婦に迷惑をかけると思います」
声が、自然と小さくなる。
「私は両親を早くに亡くしていたので、ずっと祖父の家に世話になっていたんです。祖父が亡くなってからは協会は私が、家督は兄が継ぎましたが……王都の空気に合わせざるを得ない状況だと思います」
メリンダ様に逆らった私を、兄が堂々と庇えるはずもない。それどころか家の存続そのものが危うくなる可能性だってある。
だから私は、王都を発つ前に除籍を願い出た。兄は「そこまでする必要はない」と最後まで反対してくれたけれど、迷惑をかけるわけにはいかなかった。
……デイヴのことは、心のどこかで頼りにしていたのに。それなのに彼は何のためらいもなく、出発を間近に控えた私に縁切りを言い渡した。
婚約者としてそれなりに上手くやってきたと思っていたのに、それは私の思い込みでしかなかったらしい。メリンダ様の不興を買った私はただの不良債権でしかなかったのだろう。
王家に連なる方に暗殺めいたことまでされた以上、私は――
のこのこ王都に戻ったところで、帰る家も頼るべき人も存在しなかった。
「もともと兄夫婦は面倒を嫌って協会とは一線を引きたがっていましたし……巻き込むわけにはいきません」
自分で言いながら、また涙がこぼれそうになる。その気配を察したのか、白狼がそっと頭を私の膝に押しつけた。まるで気遣ってくれているように。
シグルドさんは無言のまま私の手から手紙を奪い取り、机の上へ放り投げる。
「状況は理解した。それなら嬢ちゃんは死んだってことにしておくか。そんで……しばらくここにいるといい」
「……ここに、ですか?」
思いも寄らない提案に目を瞬かせる。
「都に戻りゃまた命を狙われかねないし、兄夫婦にも迷惑をかけたくねぇんだろ? ここが嫌ならラグノ村を紹介してやる。……とはいえ、今日はもう遅い。一晩はここで明かしてもらう必要があるけどな」
ぶっきらぼうな言葉の裏に、隠しきれない優しさが溢れている。何の選択肢も残されていなかった胸に、ぽつりと灯が落ちていくようだ。
本当にお世話になってもいいのだろうか。
こんな得体のしれない女、匿ってくれるのは何か意図があるのだろうか――
「ワフッ!」
白狼が尻尾をぶん、と振って、思考を遮るように鳴いた。思わず笑いが零れて、胸に沈む重みがほんの少し和らぐ。
「その……本当にありがたいのですが、ご迷惑では……?」
「オイゲンの孫なら歓迎だから気にすんな。むしろようやく恩が返せるってもんだ。……こんな爺と二人きりで悪いけどな」
シグルドさんが皮肉めかして笑ったら。
――ぐるるるっ!
足元の白狼が耳を伏せ、抗議するように低く唸る。
「ハハッ! 悪い悪い、お前を忘れちゃいねぇよ。三人だ、三人。これなら文句ねぇだろ?」
白狼は鼻先を鳴らし、満足げに尻尾を揺らした。
シグルドさんは肩をすくめ、暖炉に薪をひとつ放り込んだ。ぱちりと火の粉が跳ねて山小屋に橙の光が広がっていく。
「ま、そういうわけだ。どうせもうすぐ雪籠りの時期になる。わざわざ危険を冒してまで嬢ちゃんの生死を確かめに来る物好きはいねぇだろ。……今は悔しいだろうが、いずれ転機は来る。その時までオイゲンのように北部の獣についてでも学んでりゃいいさ」
シグルドさんと白狼が私をじっと見つめている。その眼差しは柔らかくて、雪に閉ざされた山小屋が、かつての祖父の屋敷のように温かく思えてくる。
「ありがとうございます。どうかよろしくお願いします、シグルドさん。それと……」
「ノース。こいつの名前はノースだ」
ノースは「ガウッ」と短く鳴き、私の差し出した手に自ら頭をすり寄せてくれた。




