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第9話

次の放課後、僕は紙とシャーペン一本を持って部室へ訪れた。

今日は秋にしては暖かい一日で、換気のためか部室の窓が開いていた。緑色のカーテンが風に揺られ、静かに波打っている。

「失礼します」

先輩は振り返ってギターを置いた。

「おう」

そのまま僕の手元に視線が移る。つられるように紙に目を落とし、それから先輩を見た。

「…入部届、持ってきました」

先輩はその言葉に固まったあと、歯を見せて笑った。

「マジで?マジか!今から担任に出しに行くのか?」

僕は首を振る。

「まだ書いてないんです。ここで書いてもいいですか?」

白紙の入部届を持ち上げると、それを見た先輩は頷いた。

「もちろんいいぜ。けど…ここに机はないけど、どうやって書くんだ?」

「…あ」

確かに。入部届のことばかり考えて、すっかり頭から抜けていた。部室の中を見回すが、あるのは楽器と椅子だけだ。

僕は仕方なく床に座り、そこで記入することにした。先輩も僕の向かい側にあぐらをかく。二人で一枚の紙を覗き込んだ。

カチカチとシャーペンの芯を出す。学年と出席番号、名前を書く。下が床なので、文字の線がじゃっかんガタガタした。

「顧問の名前書けるか?」

「名前は知ってるけど、漢字が分かりません」

先輩は一文字ずつ丁寧に教えてくれる。その声を聞いてシャーペンを動かしながら、僕はうっすら透けてる先輩の足を見た。

僕がこうして何かをするために踏み切れるのも、ギターの楽しさを知ったのも、全部この人のおかげだ。僕は無事に軽音部に入部できたら、先輩に何かお礼がしたい。

そう考えていると、残る空白は「部活動名」だけになった。

僕は少し手をとめた。先輩がじっとシャーペンが動くのを待っている。

小さく息を吸って、はく。今までよりゆっくり、気持ちキレイに文字を書く。

軽音部。

長方形の枠に僕の字がおさまると、二人同時に顔を上げた。

「あとは担任に渡すだけか」

その言葉に頷く。

「帰りに職員室に寄ります」

先輩も同意するように頷き返し、伸びをして立ち上がった。

「よっしゃ!じゃあお前の入部記念に、俺のお気に入りを伝授してやるぜ」

そう言ってギターを取りに行く。その背中を見て僕は小さく笑った。

まだ入部してないのに、僕より先輩の方が浮かれてるみたいだった。

僕も立ち上がり、紙を拾い上げて椅子へ置く。先輩の持ってきたギターを受け取って紐を肩にかける。ズシッとした重みが肩に乗っかった。今回はエレキギターだ。

「まずはこのコードを押さえて…」

先輩の指示に従って少しずつ弾いていく。ほんのちょっと形になってくると、これがロックだと気がついた。お気に入りというだけあって、確かに先輩らしい。

「お前、ほんとに上達早くなったな。俺なんか誇らしくなってきたかも」

ふと彼を見ると、どこか安心したような、満足げな表情をしていた。僕が口を開こうとしたとき、背後でガラッと扉の開く音がする。その音にドキッと心臓が跳ねた。

振り返ると、一人の女子生徒がこちらを覗いていた。僕は咄嗟のことに固まって彼女を凝視する。彼女もまた僕を見て止まっていた。

数秒間見つめ合ってハッとする。

この子は、文化祭の時の子だ。少し気の強そうな雰囲気。一緒にマイクを探した女子生徒だ。だけど、どうしてこんな時間にここに?

彼女は「なあんだ」と呟いたあと、ガッカリしたようにため息を吐いた。

「軽音部の幽霊ってあなたのことだったんだ」

「…え?」

僕は再び固まった。軽音部の幽霊?僕が?

先輩に顔を向けようとして、ギターの存在を思い出す。

そうだ…放課後、誰もいないはずの軽音部の部室で、ギターの音が聞こえる…。

僕もそのうわさに誘われてここへ来たんだ。彼女からすると、僕が噂の元凶に見えるのか。

「ねえ、幽霊いた?」

廊下から違う女子の声が聞こえる。彼女は身を引いて、おそらく友達の子に首を振った。

「ううん、普通に人間だった」

「なんだ…」

落胆の声と同時に、もう一人の女子生徒が部室を覗き込む。二人は僕を見て小声で何か言い合ったあと、「失礼しましたぁ」と扉を閉めた。

彼女たちの気配が消えると、ホッと体の力が抜ける。

「びっくりした…僕が軽音部の幽霊になっちゃいましたよ…」

後ろを向いて先輩を探す。しかし、その半透明の姿はどこにも無かった。

「…先輩?」

体を回してきちんと振り返る。ガランとした部室には僕の声だけ響き、返事は返ってこなかった。

反射的に、僕はもう先輩には会えないんだと分かった。

胸がきゅうっと締め付けられ、ギターを抱えなおす。先輩がついさっきまで立っていた場所を見つめる。何も変わったところはなく、僕にはそれが冷たく感じられた。

まだお礼すら言えてないのに。入部届も出してない。僕が軽音部に入部できたら、明るい部室で先輩とギターに触れたかったのに。

音もなく消えてしまった。

僕はほぼ無意識にギターの弦を押さえ、ぎこちなく教えてもらったばかりの曲を弾いた。

しばらく無心で弾いているとカーテンが捲れ、暖かい風がそばを通り過ぎて行く。

なんだか先輩が背中を押してくれたようで、僕の心がほんのちょっと軽くなった。

最終下校のチャイムが鳴ると慎重にギターを直し、窓を閉める。電気を消して部室の鍵を閉じると、さっきの曲を口ずさみながら職員室へ向かった。

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