第5話
あれから1ヶ月が経った。文化祭も無事に終わり、みんないつも通りの学校生活へ戻っていく。僕はあの日からほぼ毎日、放課後軽音部の部室へ通った。
先輩は毎回ギターの前にいて、僕が来ると鍵を開けてくれる。
僕たちは部活が終わってから校門が閉まるまで、三十分の間に雑談をする。
今年の文化祭はどうだったとか、あの映画はイマイチだとか、今日の軽音部の様子はどうだとか…。
だんだんこの時間が楽しみになってきているのが、自分でも分かった。
今日も窓際に一つある椅子に座る。先輩は僕の前へ来て壁へ寄りかかった。
「最近、部員がゲームの話すばっかりするんだよな。そんなに面白いのか?お前知ってる?」
彼は不思議そうにこっちを見る。僕は少し考えてあっと声を上げた。そういえば、友達が何か話していた気がする。
「クラスで流行ってるやつだと思います。なんか…スマホでできるカードゲームだった気がしますよ。」
「ふぅん…。」
先輩はそっけなく相槌を打つ。次に何を聞かれるのか察した僕は、先回りして答えた。
「僕はやってないです。カードゲームがあんまり得意じゃないから。」
「へー…。」
先輩は僕から目を離してギターを見つめた。もうこの話題に興味がなくなったようだ。
僕は膝の上に目を落とした。これから彼が何を始めるか、もう分かる。予想通り、次の瞬間には部室にギターの音が響いた。
その音を背景に、椅子の背もたれにもたれかかって窓の外を見た。
先輩が今日使っているのはアコースティックギター。柔らかい音色が、ただの日常をオシャレに彩っていくように思えた。グラウンドで片付けをしている野球部が、こことは違う世界に生きているみたいだ。
僕はしばらく先輩のギターが出す音に聴き入った。
野球部がグラウンドから消えたころ、ふとギターの音が止まった。部室がしんとする。
窓から顔を離して振り返ると、彼もこっちを見ていた。
「…お前も弾いてみるか?」
「…え?」
僕はただじっと先輩を見つめ返した。
弾くって一体何を?
先輩はコンコンと軽くギターをたたいた。
「ギター、弾いてみるか?」
もう一度、さっきよりもハッキリと声が聞こえる。僕は先輩の腕の中にあるギターに目が釘付けになった。ギターの丸いフォルム、柔らかい茶色。それにあの優しい音色…。
そのギターを弾いている自分を想像して、すっと胸の奥が冷え込んだ。
僕が、先輩みたいにギターを…無理だ、出来るわけない。
「…大丈夫です。」
首を振って再び窓の外を見た。誰もいなくなったグラウンドは暗く、どこかさびしかった。
「まぁまぁ、いーからこっち来てみろよ。」
少しの沈黙の後、僕は重い腰をあげた。
ゆっくりとギターを持つ先輩へ近づく。
先輩は肩にかけていたヒモをとって、ギターごとこちらに差し出した。僕はヒモを首にかけ、慎重にギターを支える。ずしっとした重さと、ひんやりとした冷たさを手のひらに感じた。思わず肩に力が入る。
「左手でネックを支えて…右手を弦のとこに置くんだ。」
先輩のジェスチャーに従って手を置く。ギターを支える自分を見下ろすと、ほんの少し気分が高揚するのが分かった。
「じゃあ一音だけ弾いてみるか。左手でここを押さえて…。」
「…こうですか?」
「もっと強く。そのまま右手で弦をはじいてみろ。」
グッと左手の指先に力を込める。右手で軽く弦をはじくと弱々しい音が出て、すぐに部屋の中へ消えていった。先輩は小さく笑って首を振った。
「もうちょっと強くだな。壊れないから安心しろよ。」
その言葉にわずかに肩の力が抜ける。僕は頷き、さっきよりも強く指を動かす。
ポーンという柔らかい音が鳴り、今度は部屋にこだました。
思わず動きを止めた。ギターの中で音が反響しているのが腕に伝わってくる。
出せた。僕にもこの音が。
「初めてにしては上手いな。才能あるぜ。」
その声にハッと我に返り顔を上げる。先輩は親指を立てて笑っている。
「次はドレミファソラシドを…。」
最後まで言い終わる前に、最終下校のチャイムがなった。彼は時計を見て肩をすくめ、僕からギターを回収する。腕の中が急に軽くなった。
「ちぇ…これからだったのにな。じゃあまた明日。」
「…はい、また明日。」
先輩がギターをなおすのを横目に、僕も荷物を持った。軽く頭を下げて部室を出る。
ゆっくりと廊下を歩きながら手のひらを見た。まだじんじんとした感覚がある。音が僕の手のひらに残っているようだった。




