第4話
体育館の前へつき、スリッパを脱いで靴箱へ入れる。中へ入るとひんやりした空気と騒音が僕らを包み込んだ。僕はセーターの袖を引っ張って指先を覆う。
彼女は迷うことなく舞台の方向へ歩きだした。僕もその後を追いながら体育館の中を見回した。先生や生徒会の人たちが忙しなく動き回り、床に緑のシートを張っている。
その様子を眺めながら歩いていると、先輩が後ろから追いついて僕の隣へ並んだ。
「なんかさ、毎年文化祭の時期になると、準備とかリハーサルで学校全体が騒がしくなるよな。俺、この空気けっこー好きなんだ。お前は?」
僕は歩くスピードを緩めて先輩に顔を向けた。彼も同じようにこちらに顔を向け、じっと返事を待っている。
とたんに、僕は妙な気分になった。
僕と先輩の間にある空気感が、あまりにもありふれたものだと思ったからだ。友達や先輩、後輩とかわす会話そのものだと思った。
この人は確かに幽霊で、こうやって顔を合わせている今も気配を全く感じない。
なのに、この人の人柄のせいだろうか?まるで今も生きているようだ。
「…僕は、あんまり好きじゃないです。静かな方がいいから…。」
先輩は頷いて、ズボンのポケットへ手を突っ込んだ。
「まぁ、人それぞれだもんな。部活は?入ってるのか?」
部活…。
僕は彼から目線を外した。床を覆って行くシートを意味もなく目で追う。
「入ってないです。」
短く答えて小さく首を振る。
「そっか…。」
僕と彼の間に居心地の悪い沈黙が流れる。それ以上会話は続かず、足早に舞台前へ向かった。
舞台の前へつくと、彼女は僕を振り返った。
「音響スタッフには舞台の上に置いといてって言ったの。」
その言葉に舞台の上を見る。文化祭で使うらしいスピーカーや小道具、たくさんのプリントが置いてあった。
まずはそこから探そうということで、僕らは舞台へ上がった。
カーテンをめくったり、プリントの下を見たり…スピーカーをどかしてみたりもした。それでもみつからず、ここにもないのかもしれないと顔を上げる。
その時、あることに気がつく。先輩が舞台の上にいない。体育館の中を見てみるが、やはり彼の姿は見えない。
僕は首を傾げた。
ついさっきまで一緒にいたのに、何も言わずにどこかへ消えるなんて…。
「なぁ。」
「うわっ!?」
突然後ろから声が聞こえ、思わず大声が出た。その声が体育館にこだまし、全員の視線が僕に集まる。彼女も驚いたようにこっちを見た。
僕は自分の顔に熱が集まっていくのが分かった。
「す、すみません…。」
か細い声で謝る。なんでもなかったかのようにしゃがみ、プリントを持ち上げて作業しているフリをする。静まり返っていた体育館は、再び音で溢れかえった。
「ゴメンな、そんなにビビるとは思わなくて。」
僕は声の主を見上げた。先輩は申し訳ない、と言うように眉を下げている。
「別にいいですよ…それよりどうしたんですか?」
手元のプリントに目を戻し、意味もなく角を整える。上から先輩の声が降ってくる。
「マイク見つけたぞ。舞台袖にあった。」
その言葉に再び先輩を見る。
「本当ですか?」
先輩は頷いた。心なしか、その顔は得意げに見えた。
僕はプリントを床に置き、彼の案内についていく。
「ここだ。」
指で示された場所を目で追う。舞台袖の端っこの薄暗い所、用途の分からないコードがぐちゃぐちゃに絡まっている。その上にマイクはあった。
僕はかがんでマイクを持ち上げた。少し重たくて、それにひんやりしている。
手の中にあるマイクをじっと見つめる。普段触らないものだからか、なんだか新鮮な感じがした。
「よくここにあるって分かりましたね…。」
「たまたま見つけたんだ。早く渡してやろうぜ。」
僕は頷いて舞台袖を出る。
まだマイクを探している彼女へ近づいて声をかけた。
「あの、マイクありました。」
マイクを見せると、彼女は驚いたように目を見開いた。
「本当だ、どこにあったの?」
「舞台袖の方です。」
大体の場所を指でさす。彼女は納得したように頷き、マイクを受け取って僕を見た。
「ありがとう。私一人じゃ見つからなかったかも。…そういえば、さっきは急に大声を出してたけどどうしたの?」
その言葉にさっきの出来事がフラッシュバックし、再び顔が熱くなる。思わず足元に目を落とす。
「えっと…その、虫がいて。びっくりしたんです。マイクは見つかったし、僕はこれで…。」
僕はそそくさと舞台を降りた。その時ふと立ち止まって振り返り、彼女を見上げる。
「あの…軽音部の人、けっこうそれ大事にしてるみたいで…。できれば、丁寧に扱ってもらえると助かります。」
彼女はきょとんと僕を見つめたあと、快く頷いてくれた。
それを見て、今度こそ僕は早足で体育館を出た。先輩も僕に続く。
廊下には、僕の足音だけが響く。先輩が僕に話しかけた。
「なぁ、ありがとうな。ああいうの、俺じゃ伝えられないからさ。」
ふと先輩に視線を向ける。彼はポケットに手を突っ込んで前を見ていた。
僕も前を向いて、少しそっけなく返した。
「いえ、べつに…どういたしまして。」
部室の前まで戻ってくると、先輩は扉の前で止まった。
「お前、明日もここに来いよ。」
思いがけない提案に、僕はパッと彼の顔を見た。真っ直ぐ見つめてくる先輩に、また目を逸らす。
「でも、僕は軽音部じゃないです。」
「じゃあ軽音部が帰ったあと来い。今日みたいにさ。鍵は内側から開けてやるから。」
もう一度彼を見る。その寂しげな表情に、僕は開きかけていた口を閉じた。
幽霊…。誰にも見つけてもらえず、何年もずっと一人だったら?そこにようやく会話できる相手ができたら…。
胸の奥がツキンと痛んだ気がした。僕は小さく息を吐く。
「…時間があれば、また来ます。」
その返事に、先輩の顔に笑顔が広がる。
「そっか…。じゃあ、いつでも来いよ!」
軽く頷いてその場を去る。教室へカバンを取りに戻り、そのまま靴箱へ向かった。
僕はついさっきまでの出来事を振り返りながら、どこか浮ついた気分で学校を後にした。




