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兄の婚約者に恋をして……

作者: Momo
掲載日:2025/11/30

緑豊かなアルベスター王国。

その中流貴族の次男として生まれたランは理屈を重んじ、

感情に流される人間を愚かだと切り捨てていた。

涙もろく情に厚い兄とは、いつの間にか一線を引くようになった。

──心のどこかで、兄を見下している自覚すらある。


そんなランの唯一の趣味は剣術だ。

暇さえあれば鍛錬を欠かさず、その日も裏庭で数人の兵士と木剣の打ち合いに励んでいた。


不意に、目の前を虫が横切った。

わずかに意識が逸れたその瞬間、

訓練相手の兵士の木剣が加減なくランの右脇腹へ叩き込まれる。


「……っ!」


呼吸が詰まり、ランは膝をついた。

久しぶりにまともに食らった衝撃に冷や汗が滲む。

けれど、痛みに歯を食いしばりながらも、

(まだまだだな、俺は)と笑みがこぼれた。


軽く手当てを済ませ、邸宅へ戻る途中──

ランは兄とすれ違った。

その隣には、見知らぬ女性が立っている。


二人はランに気づくと、和やかに微笑みながら近づいてきた。

突然のことで身構えるラン。

だが、女性は長いブロンドの髪を風に揺らし、柔らかな微笑みを崩さない。


「彼女は私の婚約者なんだ。先ほど、正式に父上から承諾をいただいた」

兄は満面の笑みだった。

その横で頬を赤らめ、幸せそうに微笑む彼女は、ひどく美しく見えた。


──心臓が強く脈打つ。

しかし、感情に振り回されるのは愚かな人間の証。

そう自分に言い聞かせ、ランは挨拶のため右手を差し出す。


その瞬間、脇腹に痛みが走った。

ランはわずかに顔を歪めるが、その変化に気づいた者はほとんどいない。


……彼女を除いては。


彼女の瞳が一瞬だけ揺れる。

だが、無表情を保つランを見て何かを察したのか、

視線をそっと落とし、小さく息を整え、

その手を取って——


「初めまして……」


柔らかな声が届いた瞬間、

ランの視界がぐらりと大きく傾いた。

脇腹を庇おうと身を折るも、そのまま力が抜けて崩れ落ちる。


──床の冷たさがない。


薄れゆく意識の中でも、それだけははっきり分かった。

温かく、柔らかい腕。

そして、甘く優しい蜜のような香り。


ランは、彼女に抱き留められていた。



「……ラン様、気づかれましたか?」


かすかな声に瞼が震える。

開けると、そこには見慣れた天井があった。

自室のベッドの上だ。


ゆっくり上体を起こすと、脇腹に鈍い痛みが走る。

同時に、さっきの温もりがふっと胸によみがえった。


(……彼女、だったのか?)


その答えを教えてくれる者はいない。

ただひとつ、胸の鼓動だけが、やけにうるさかった。


いや……これは、女性に助けられたという驚きで……。


騒ぎ立つ胸を掻きむしるように押さえ、

何かを否定しようと必死に理屈をかき集める。

だが——

彼女の笑顔が脳裏をかすめた。


柔らかな微笑み。

風に揺れるブロンドの髪。

そばにいたとき感じた、あの甘い香り。


思い返した瞬間、

ランは両腕で自分を抱きしめるようにして、ゆっくりとうずくまった。


(……あの唇も、きっと柔らかい——)


そこまで想像したところで、

脳裏に浮かぶのは彼女の声音。


「……エリック様」


一瞬で、胸の奥が黒く沈んだ。

ランの思考を絶望が塗りつぶす。


俯いたまま、かすかに笑いが漏れた。

その笑いは徐々に大きくなり、肩を揺らし、

ついには全身で笑い出す。


「ハ……ハハ……!」


笑った拍子に、脇腹へ激痛が走った。


「っ……ッ……!」


ランは悶絶し、ベッドへと倒れ込む。

痛みに耐えながらも、

やがてまた静かに、ひとつ笑った。


「……クク……なんてことはない……

……俺もただの人間だったか」


最後まで読んでくださってありがとうございました。

また短編を投稿していきますので、よろしくお願いします。

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