3話
駅前の雑居ビルにある、行き慣れたカラオケ店。特有の消毒液と芳香剤の匂いが混じる、薄暗い廊下を抜け、二人はいつもの個室へと入った。
そのカラオケの個室内で、巴は最新のヒットチャートであろう曲を、マイクを両手で握りしめ、身振り手振りを交えて熱唱していた。画面の中の映像そっちのけで、まるでステージに立つアイドルのようにノリノリである。
曲が終わり、やかましい電子音が鳴り響くと、ソファに座る壮一郎はパチパチと手を叩いた。
「上手くなったなぁ」
昔の、ただ叫んでいるだけだった歌唱法とは違い、確かに上達している。壮一郎は素直にそう思った。
「ふふんっ!ありがとう、ほら、壮一郎もなんか歌いなよ」
褒められた巴は得意満面に胸をそらし、使っていたマイクを壮一郎に手渡す。
しかし、壮一郎はそのマイクを押し返した。
「いや、俺、歌えんし…」
「えー!?じゃぁ、なんでカラオケなんて連れてきたのよ…はっ!まさか個室であたしとイケない事を!?」
巴はわざとらしく両手で頬を覆い、顔を赤らめながら妙な勘違いをして見せた。
「巴が連れてきたんだろうがっ!?ってか、俺が昔から歌えないのを忘れたか!!」
壮一郎は、この密室で変な誤解をされてはたまらないと、慌てて大声で否定する。
その必死な様子に、巴は「あ」と声を漏らし、ハッとする。
「そうだった…毎回あたしが連れてくるけど、壮一郎が歌った事見たことないや」
「やれやれ…思い出したか…」
壮一郎は心底疲れたように、深くため息をついた。
「でも、そう言いながら毎回連れてきてくれたもんね?」
何か、壮一郎の隠された本心でも見つけたかのように。巴は勝ち誇ったような顔で、にやりと笑う。
それに対し、壮一郎は表情一つ変えずに事実だけを述べた。
「巴が連れていけ。って言うからな」
当たり前のように、それ以上でも以下でもない、という風に。
そのあまりにも素っ気ない、情緒のない返答に、今度は巴が本気で照れだした。
「と、東京に2年もいたんだから、なんか習得したものとかないわけ?」
先ほどの余裕はどこへやら、巴は自分の頬の熱を隠すように、そっぽを向きながら話題を変えた。
その分かりやすい反応を見て、壮一郎は(こいつ、こういうところは変わらないな)と、口元に小さな笑みを浮かべた。
「しかたねぇなぁ…とっておきを見せてやるよ」
そう言いながら、壮一郎は巴が差し出していたマイクを受け取り、ゆっくりと立ち上がる。 巴は、万年「聞き専」だった壮一郎の思いがけない行動に、目を丸くして彼をじっと見つめていた。
「あ、あの曲は?」
壮一郎がリモコンを操作する素振りも、曲の予約リストを確認する様子もないことに気付いた巴が、不思議そうに聞いた。
「ん?そんなもんいらん」
壮一郎はそう言ってマイクを片手に持つと、背筋を伸ばし、目を閉じて、大きく、深く息を吸い込んだ。
その所作は、歌を歌う前のものとは明らかに異質だった。 厳かで、澄み切った空気を纏っている。
そして、壮一郎の口から、マイクを通して部屋のスピーカーに響いたのは、アップテンポなBGMとはおよそ不釣り合いな、低く、厳かな声。
それは歌ではなく…
祝詞… だった…
美影神社の祭神に捧げる、最も基本的な祓詞が、カラオケルームの防音壁に朗々と反響した。
キラキラしたアイドルソングの背景映像が流れる中、壮一郎の低く厳かな声だけが響き渡るという、あまりにもシュールな空間。
巴は、その異様な光景に完全に言葉を失い、絶句しながら、それを最後まで聞き終えた。
やがて壮一郎は「…」と最後の息を吐ききると、実に満足げな顔をして「どうだ」と言わんばかりに胸を張った。
「ふぅ…な?暗記完璧だろ?」
2年間の修行の成果を、ドヤ顔で笑いかける壮一郎。
しかし、巴は期待が木っ端微塵に打ち砕かれた、というように、げんなりとした顔をしてソファに沈み込んだ。
「さ、最低だよ、壮一郎…」
ぐったりとテーブルに突っ伏してしまう巴。
壮一郎はそんな巴の反応が心底理解できない、といった様子で首を傾げた。
「あー?なんでだよ?神主の俺の成長を見れて嬉しいだろ?」
巴はジト目で、まるで信じられないものを見るかのように、壮一郎をテーブル越しに見上げた。
「…んな、今後毎日聞かされるであろうものを今聞かされたところでねぇ…」
さも当たり前のように、そう答える巴。その言葉は、自分たちの今後の将来は既に決まっているとでも言いたいような、揺るぎない響きを持っていた。
壮一郎は、そんな巴の(ある意味、自分よりも覚悟が決まっている)発言に若干引きながら、思わず苦言を呈した。
「巴さん…そういうのはもっとロマンチックなムードで言いませんか…?」
そう発言するのだった。
「壮一郎…ふーん…そういう事言うんだぁ?」
その「ロマンチック」という単語に、巴はピクリと反応し、不機嫌そうな、それでいて何か企むような顔つきになった。
次の瞬間、巴は壮一郎の手からマイクをひったくるように奪い取った。
「と、巴?」
壮一郎の問いかけには一切答えず、巴はリモコンを手に取り、恐ろしい速さで黙々と曲を入れていった。その目は本気だ。
そんな様子を見た壮一郎は、自分が地雷を踏んだことを察知し、慌てて取り繕おうとする。
「巴…まぁ、そんなに怒んな?な?」
そう言いながら、なだめるように巴の肩に手を置こうとするが、巴はそれを振り払うかのように勢いよく立ち上がった。
(あら…?まさかの巴、ガチギレか?)
壮一郎の背中に冷たい汗が流れる。
しかし、壮一郎の心配を他所に、巴はマイクを握りしめ、顔を真っ赤にしながらも、決意を固めた表情で壮一郎にビシッと指を突きつけた。
「なら、聞くがいい壮一郎!その、ロマンチックなムードってやつを!!」
イントロが鳴り響く。
ここから、巴の何曲にもわたる熱唱が始まった…
壮一郎は、逃げ場のない個室の中で、延々と続くそれを聞かされる羽目になった。 そのすべてが、「愛してる」「運命」「ずっとそばにいて」といった言葉が並ぶ、熱烈なラブソングだった…。
*
それから凡そ小一時間後。カラオケルームの分厚い防音扉が開き、ぐったりとした顔で壁に手をつきながら出てくる壮一郎と、対照的に、歌いきった達成感と上気した頬で満ち溢れた巴。
そんな両極端な二人が部屋から出てきた。
「楽しかったね?壮一郎」
ウキウキした顔で、壮一郎の顔を下から楽しそうに見上げる巴。
「そーだなぁ…」
魂が半分抜けたような壮一郎の返事は、夕暮れの薄暗い廊下に虚しく響いた。
会計を済ませ、外の空気が吸えると安堵した壮一郎が、雑居ビルの出口から一歩踏み出した、その時だった。
「あれ?巴じゃん」
そんな中、急に二人に声が掛かった。
声のした方を見ると、巴と同じ美影高校の制服を着た、快活そうなショートカットの女子生徒が立っていた。
「あ、朱音!」
巴が親しげにその主に手を振り返す。
朱音と呼ばれた生徒は、巴と、その隣にいる壮一郎(私服姿)を値踏みするように交互に見比べ、ニヤリと意地の悪い笑みを浮かべた。
「おーおー、なんだなんだ?巴、彼氏か?」
巴は、その問いに待ってましたとばかりに胸を張り、堂々と、そしてはっきりと(壮一郎にとっては迷惑千万に)言い放った。
「彼氏じゃない」
朱音は「え?」と驚き、意外そうな顔をする。
「彼氏でもないのに、なんでそんな楽しそうに…」
壮一郎は、巴の次の発言を(嫌な予感として)正確に想像し、こめかみを押さえて思わず頭を抱えた。
「彼氏ではなく、旦那だ」
その発言に、町の喧騒も何もかも、全てが持っていかれた朱音。
「だ、旦那…?」
理解が追い付かない、という顔で固まってしまった朱音。壮一郎は、この面倒な幼馴染の友人に、哀れみと共感を覚えつつ、救いの手を差し伸べた。
「…桃瀬さんだよね?久しぶり」
そう名前を呼ばれた桃瀬朱音は、壮一郎の顔をまじまじと見つめ、記憶を探るように数回まばたきをした。
「…もしかして、神代神社の壮一郎お兄さん?」
壮一郎は「正解」とばかりに人の良い笑みを浮かべた。
「そうだよ。桃瀬さんもすっかり綺麗になったねー」
「神代さんこそ、カッコよくなられましたね」
そんな当たり障りのない社交辞令が交わされた瞬間、巴が二人の間に強引に割って入った。
「おい、壮一郎。あたしと再会した時とは随分違うじゃないか?」
ジトッとした、非難めいた視線が壮一郎に突き刺さる。
「い、いや、巴に『綺麗になったな…』とか言うのは、なんか今更違うような?」
「あぁん?」
幼馴染相手への照れ隠しを、巴は不満だと捉えたようだ。
そんな二人の(昔と少しも変わらない)様子を見た朱音は、こらえきれずに吹き出した。
「ぶはっ! ほんと、二人は変わらないねぇ…あ、でも巴は学校ではいつも壮一…」
(あ、やばい)という顔の朱音。巴の学校での様子を暴露しそうになった朱音を、巴が凄まじい剣幕で止めた。
「あ・か・ね~?」
地を這うような低い声が、友人へと向けられる。
「ひぃ、ごめん巴…」
朱音は即座に両手を合わせて謝罪した。
その一連のやり取りを、壮一郎は(こいつらも変わってないな)と、懐かしげに見つめていた。
「巴、桃瀬さんと遊んでくなら、俺は先に戻るけど」
壮一郎がそう切り出すと、朱音は待ってましたとばかりに、再びニヤリと笑った。
「だってさ、どーすんの、とも…」
「あ、ごめん。朱音、あたしも一緒に帰るわ」
巴の返事に、一瞬の迷いもなかった。即答だった。
「お、女の友情…」
その清々しいまでの裏切りに、朱音はガックリとうなだれる。
「ほら、壮一郎!帰ろ帰ろ!」
「えぇ!?いいのか!?桃瀬さんほっておいて!?」
「いいのいいの!どうせ朱音のやつも別の友達と遊んで帰るんだからっ!」
「そ、そうかぁ?」
半ば強引に、壮一郎は巴に再び腕を引かれ、朱音に(すまない)と目配せする間もなく、自宅への道に戻るのだった。
*
すっかり暗くなった帰り道。壮一郎は、巴を自宅まで送り届けようとしていた。 月城家の門の前で、壮一郎は足を止める。
「じゃぁ、またな、巴」
そう言って踵を返そうとした壮一郎の服の袖を、巴がきゅっと掴んだ。 振り返った壮一郎の目に映ったのは、潤んだ瞳でこちらを見上げてくる巴の姿だった。
「壮一郎…今日、あたしん家、両親いないんだ…だから…」
その言葉と表情が意味するものを、20歳の壮一郎が理解できないはずもなかった。 ゴクリ、と壮一郎は無意識に喉を鳴らす。
それを言われた壮一郎は…一瞬動きを止めたが…
「…そっか、なら…」
壮一郎は巴の肩に優しく触れて、そして、聖職者(神主)らしい、実に穏やかな笑みを浮かべた。
「なら、夕飯、うちで食っていくか巴」
「へ?」
予想だにしなかった返答に、巴は素っ頓狂な声をあげる。
「ほら、決まりだ。行くぞ巴」
今度は壮一郎が、ぐい、と巴の手を掴んで、自分の家(神社)の方向へと力強く引っ張っていった。
「そ、壮一郎、あんた空気を読むって事が出来ないのか!?」
巴は顔を真っ赤にして反論するが、壮一郎は前を向いたまま、笑って言った。
「お前なぁ、それで俺が本気になって、じゃぁ、お前んちあがるわ。って言ったら、どーすんだよ」
巴は、まさかさっきの誘いの意味が完全にわかった上での壮一郎の行動とは思わず、一瞬怯んでしまった。
「ど、どうするって、そんときは、か、覚悟を決めるしかっ!!」
やけくそ気味に叫ぶ巴。
「いや、決めるな決めるな…せめて、卒業まで待て。世間様の目が痛すぎる」
(高校生に手を出した新米神主。なんて噂が立ったら、神社の存続に関わる)
壮一郎は本気でそう思っていた。
だが、巴は壮一郎の言葉の、別の部分だけを敏感に拾い上げていた。
「そ、卒業したらいいのか!?」
ぱあっと、巴の顔が喜色に染まる。
壮一郎は、自分が盛大に地雷を踏み抜き、決定的な言質を与えてしまったことに、この時ようやく気付いた。
「…そうだな、巴がそれまで気が変わらなかったらな」
もはや、そう取り繕うしかない。
巴は、そんな壮一郎の内心など知る由もなく、満面の笑みを浮かべながら答えた。
「よっし、その言葉忘れないからな…ふへへ」
「…はいはい…」
壮一郎は(どうせ来年になれば、巴も冷静になるだろう)と、その言葉を適当に聞き流していたが、
巴にとっては、 想いが自覚してから2年間、ずっと待ち続けた相手だ。 しかも、その壮一郎は今、手の届く範囲にいる。
その中での「卒業まで」という、残り一年にも満たない期間など、何の苦痛も感じることはなかった。
その確固たる決意に、今の壮一郎は、まだ気付いていなかった。




