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神主見習いと幼馴染の許嫁  作者: ブヒ太郎


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17話

期末テストまで、泣いても笑っても二日と迫った土曜日の午後六時。 壮一郎の部屋の畳の上には、この一週間で付箋だらけになった参考書と、書き殴られたノートが雑然と散乱していた。梅雨の湿気を含んだ夕暮れの朱い光が、障子越しに長く影を落とし、部屋の空気を重くしていた。 その中心で、二人は文机を挟んで向かい合っていた。


「ぐぬぬ…」 巴は参考書を睨みつけながら、煮詰まったように低く唸った。 その声に、自分の作業をしていた壮一郎が顔を上げた。 「どうした?」


「壮一郎先生…」


巴が、不意に普段使わないその呼び方をした。壮一郎は、その呼び名に小さく息を吐いた。 以前、巴に「やる気が出るから」と強く頼まれて、渋々引き受けた家庭教師役。巴は、律儀にも今日もその設定を守らされている。


「はい、次。そこ」 壮一郎も、その茶番に付き合い、わざと教師役になりきって冷静に返事をした。 しかし、巴はペンを持ったまま、もじもじと身体をくねらせていた。


「ご、ご褒美の件なんですが…」


その言葉に、壮一郎の手が止まった。 脳裏に浮かぶのは、以前、巴がこの勉強会を始めるにあたって高らかに宣言した「赤点回避できたら、愛し合う」という、あまりにも飛躍した約束のことだ。


「その件か…」 壮一郎は、手元の資料から顔を上げ、巴を真っ直ぐ見つめた。


「確約はしてくれるんですか!?」 巴は、その壮一郎の真剣な視線に、期待と不安が入り混じった表情で身を乗り出すようにして顔を覗き込んだ。


「確約ねぇ…」 壮一郎は、その圧に押されるでもなく、少し困ったようにわざとらしく視線を逸らした。


「ど、どうなの…?」


食い下がる巴に、壮一郎は観念したように、しかし核心を突く言葉を返した。 「…俺はいいけど、巴がいざその場になったら、相変わらず弱腰に…」


その言葉に、巴の顔が一気にカッと赤くなった。 確かに、これまでの歴史がそれを証明していた。自分から散々仕掛けておきながら、壮一郎に少しでも本気で攻められただけで、すぐにヘタレてしまうのは、巴自身が一番自覚していた。


「そこは男なんだから、弱腰になったあたしをぐわーっと!!」 巴は、立ち上がり、両手を大きく広げて何かを掴みかかるような意味不明な動きでその「勢い」を表現しようとした。


「ケダモノか俺は…」 壮一郎は、そのあまりにも原始的な要求に、呆れたように半眼で巴を見つめた。


「…じゃぁ、あたしがヘタれなきゃいいんだよね…」 巴は、その壮一郎の冷めた視線に我に返って座り直すと、何かを必死に決意したように、ぎゅっと自分の拳を膝の上で握りしめた。


「…そうだなぁ…」 壮一郎は、その(どうせ無駄だろうな)という様子の決意を見て、小さく笑った。


「が…頑張るっ!」 巴は顔を真っ赤にしながら、「今度こそは」という精一杯の覚悟を口にした。


「いや…そっちの覚悟よりも、目の前の勉強をですね…」 壮一郎は、そう言いながら、巴が睨みつけていた参考書をトントンと指で叩いた。


「こっ…こっちも頑張るっ!!」 巴は両方頑張ると宣言したものの、その顔はすでにオーバーヒート寸前だった。


「はいはい」 壮一郎は、その空回りする姿に苦笑しながら、巴の頭に手を伸ばし、いつものように優しく、その髪をくしゃりと撫でた。


「…壮一郎…」 巴は、その手の温もりに、緊張していた身体からふっと力が抜け、猫のように目を細めた。 恥ずかしさも、テストへの不安も、この先に待つ覚悟も、全てがその優しい手つきで溶けていくようだった。



夜。居間には、巴が腕を振るった焼きそばの香ばしいソースの匂いと、お吸い物の出汁の香りが漂っていた。 二人は隣同士に座り、揃って箸を進めていた。


「はぁ…」 不意に、巴が小さく溜息をついた。


壮一郎は、その音に気づいて箸を止めた。 「どうした?食欲無いのか?」


「いや、あるある」 巴は、そう言いながら焼きそばを勢いよく口に運んだ。


「じゃぁ、どうした?溜息なんかついて。勉強疲れか?」


「それもあるんだけど…」 巴は、焼きそばを咀嚼しながら、どこか歯切れの悪い返事をした。


「あるんだけど?」 壮一郎は、隣に座る巴の横顔を覗き込むようにして聞いた。


「ほら…あたしたちって、正式に付き合ってから、そろそろ10日は経ったじゃん?」 巴は、ついに箸を置いて、壮一郎の方を真っ直ぐに向いた。


「…あー…そういう事か…」 壮一郎は、巴が何を言いたいのかを即座に察したように、小さく頷いた。


「うん…だから、ちょっとね…」 巴は、そう言いながらも、視線を泳がせてもじもじしていた。


「…なるほど…10日目記念とか…そういうのをしてほしいと?」 壮一郎は、その巴の(面倒くさい)乙女心を、あえて言葉にして聞いてみた。


「…どこのめんどくさい女じゃ、あたしは…!10日目だ1か月目だ3ヶ月目だ半年目だって、節目節目ふしめふしめにいちいち祝ってもらうんかい…」 巴は、その壮一郎の提案に、心底嫌そうな顔をして全力で否定した。


「…違うのか?」 壮一郎は、その意外な反応に、少し驚いて聞き返した。


「ちがわい!!」 巴は、大声で否定した。


「じゃぁ、なんだ?」 壮一郎が改めて聞くと、巴は少しの間を置いてから、恥ずかしそうに、しかし期待を込めて言った。


「いやぁ…初キッスから10日ですよ?旦那ぁ?」 その言い方には、明らかに次の段階への何かを期待する響きがあった。


「…そうだな」 壮一郎は、しかし動じず、淡々と答えた。


「10日も経って、可愛い嫁さんをほっといていいんですかねぇ?」 巴は、畳みかけるように、上目遣いで壮一郎を見つめた。


「…まだ籍入れてないだろ…」 壮一郎は、そのあからさまな誘いを、暖簾に腕押しで軽く受け流した。


「んがぁぁぁぁああああ、どうせ来年籍入れるなら、別に今でも後でも一緒だろぉぉおおお」 巴は、その(あまりにも理性的すぎる)正論に耐えられず、叫んだ。


「あー、もう落ち着け。巴が言いたいことはなんとなくわかったが、そもそもまだ10日だ。何を焦ってんだお前は…」 壮一郎は、その暴走を宥めるように、巴の肩を軽く叩いた。


「…いや、漫画だと10日も経てばズブズブの関係に…」 巴は、納得がいかない様子で、小声でそう呟いた。


「…お前はどんだけ色んなジャンルを読んでんだ…」 壮一郎は、その知識の偏りに、呆れたように巴を見つめた。


「もう互いの裸は見てんだから、そろそろ次の段階に進みとうございますですよ旦那ぁ!」 巴は、開き直ったように、胸を張って堂々と宣言した。


「とりあえず、赤点回避できたらな」 壮一郎は、しかし、その巴の情熱的な誘いを、あっさりと期末テストの条件付きで返した。


「ぐぁぁぁああああ、意気地なしぃぃぃぃ」 巴は、その(またしても)先延ばしに、その場で頭を抱えた。


「…お前を大事にしてる。と考えなさい…」 壮一郎は、からかうのをやめ、そう言いながら巴の頭に優しく手を置いた。


「…大事に…」 巴は、その言葉を反芻するように呟いた。


「そうだ」 壮一郎は、優しく頷いた。


「…」 巴は、少し黙り込んだ。壮一郎のその不Blowing, up, the, building


「わかってくれたか?」 壮一郎が、その沈黙を肯定と受け取り、確認するように聞くと、


「でもでも、読んでる漫画だと「ふへへ、お前はもう俺の女だっ!俺の好きにさせてもらうぜっ!」って展開がお決まりっ!!」 巴は、瞬時に立ち直り、またしても斜め上の漫画ネタを持ち出した。


「よし、その漫画今度燃やそう」 壮一郎は、一切の躊躇なく、即座にそう宣言した。


「やめてぇぇぇえええ、あたしのバイブルがぁぁぁぁあああ」 巴は、本気で慌てた様子で壮一郎にしがみついた。


「選択を誤り過ぎだお前は…そもそもそれ、明らかに男向けの漫画だろ…」 壮一郎は、呆れながらも、しがみついてくる巴の頭を撫でた。


「…壮一郎の為に、花嫁修業の一環として学んでおりました…」 巴は、その腕の中で、実に殊勝な顔でそう言った。


「…」 壮一郎は、その(斜め上すぎる)花嫁修業の言葉に、一瞬言葉を失った。


「…ぐっへっへ…」 巴は、壮一郎のその反応を楽しむように、例の怪しい笑い声を漏らした。


「…ハァ…方向は間違ってるけど、可愛いやつだよお前は…」 壮一郎は、心底呆れながらも、そう言いながら巴の頭を優しく撫でた。


「フヒ…フヒヒ…まぁ、旦那、今日もお背中流させていただきやすぜ…」 巴は、その手つきに満足そうに目を細めながら、妙な口調でそう言った。


「…お前…脱がした瞬間にその化けの皮が一気に剥がれるの禁止な?」 壮一郎は、巴の最大の弱点を、的確に突くように言った。


「そっ…それは反則だよぉぉぉぉぉおおおおおお」 巴は、図星を突かれ、顔を真っ赤にして抗議した。


「…ハァ…面白い女だよ、お前はホント…」 壮一郎は、そう言いながら、愛おしそうに、そして(今夜もまた大変そうだ)と覚悟を決めた目で、巴を見つめたのだった。


湯気が立ち込める、神代家の広い浴槽。 壮一郎と巴は、既に身体を洗い終えた後、肩が触れ合う距離で隣同士、湯に浸かっていた。


「はぁー…生き返る」 壮一郎は、目を閉じて大きく息を吐いた。一日の勉強疲れと仕事の疲れが、じんわりと湯に溶けていくようだった。


「ねぇ、壮一郎」 不意に、巴が壮一郎の身体にピトリと張り付いてきた。その柔らかな肌の感触に、壮一郎の身体が少し緊張した。


「ん?なんだ巴」 壮一郎は、目を開けて隣の巴を見た。湯気で上気した彼女の顔が、やけに近い。


「…ぐっ…この玉無しがっ…」 しかし、巴はそんな甘い雰囲気などお構いなしに、壮一郎のある部分、湯舟の中で大人しくしているそれを見て、心底残念そうに呟いた。


「…お前はどこを見てるんだ、どこを…」 壮一郎は、そのあまりにもデリカシーのない視線と言葉に、呆れたように巴の額を指で軽く突いた。


「あたしに女としての魅力を感じないのかっ!?」 巴は、その壮一郎の反応の薄い態度に不満を爆発させ、湯の中で詰め寄った。


「感じてるから、こうして付き合ってんだろ」 壮一郎は、今度はふざけず、巴の目を真剣に見つめ返した。その視線には、嘘偽りのない真摯な思いがあった。


「う…」 巴は、その真っ直ぐな眼差しに、一気に毒気を抜かれ、思わず顔を赤らめて視線を逸らした。


「で、結局何が言いたかったんだ?」 壮一郎は、急にしおらしくなった巴を見て、小さく笑いながら聞いた。


「そうでした…あまりに壮一郎が無反応で、つい…」 巴は、一度咳払いをすると、少し考えるように視線を泳がせた後、意を決したように言った。


「あのさ…テスト終わったら夏休みだし、二人でどっか遠くに出掛けたり、とかしたいなぁ…」 その言葉には、期待と、そして断られたらどうしようという不安が入り混じっていた。


壮一郎は、その提案に少し悩むような表情を見せた。 「お前はまだ学生だから夏休みだろうが、俺は普通に権禰宜として仕事あるからな…」


その現実的な言葉に、巴の表情が一気に曇った。 「くぅ…ここに来て、二人の歳の差が邪魔するのね…」 巴は、まるで悲劇のヒロインのように、大げさに天を仰いだ。


「やめろ…2歳しか違わないんだぞ…」 壮一郎は、その芝居がかった台詞に苦笑した。


「冗談だって。そっかぁ。壮一郎は仕事かぁ…」 巴は、本気で残念そうに肩を落とした。


「そう言うな。別に連続で何日も休めないだけで、単日の休みはあるんだから…そうだ、隣町のレジャープールにでも出掛けないか?」 壮一郎は、落ち込む巴を元気づけるように、別の提案をした。


「プールって…あのプール…?」 巴は、学校の授業で使う、あの塩素臭いプールを思い浮かべたのか、少し微妙な顔をした。


「いや、普通にレジャー施設のウォータースライダーとかあるプールだから、お前が想像してるのとは違うぞ…」 壮一郎は、巴の表情から察して、慌てて補足した。


「お、いいねいいね!」 その言葉に、巴の表情が一気に明るくなった。


「あ…でもあたし、水着とか学校用のしか持ってないよ?」


「なら、テスト終わったら買いに行くか。」 壮一郎は、まるで明日の天気を話すかのように、当然のようにそう答えた。


「えぇ…ネックレス貰ったばっかなのに、立て続けに悪いよぉ…」 巴は、本気で申し訳なさそうに言ったが、その顔は隠しきれないほど嬉しそうだった。


「…じゃぁ、学校用の水着で…」 壮一郎は、その巴の嬉しそうな顔を見て、わざと意地悪く言った。


「それだけは勘弁してください…」 巴は、その姿を想像したのか、本気で嫌そうな顔をして両手を合わせた。


「なら、決まりだな」 壮一郎が巴の顔を見ると、そこには満面の笑みが広がっていた。


湯気の中で輝く、その無邪気な笑顔。 (ホント…可愛い女だよ、お前は) 壮一郎は、心の中でそう呟きながら、愛おしそうに巴の濡れた頭を優しく撫でるのだった。

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