12話
友人たちが嵐のように去っていった後、壮一郎は社務所から巴を居間へと促した。 父の厳がいない母屋は、やけに静かだ。
巴は、先ほどまでの騒動と、友人たちの前で壮一郎に見せつけられた甘い(そして恥ずかしい)やり取りのせいで、まだ興奮が冷めやらないのか、畳の上でちょこんと正座をしている。
「ほら、巴」
壮一郎は、そんな巴に淹れたてのお茶を差し出した。
巴はそれを受け取ると、こくりと一口啜った。湯呑みを持つ指先が、わずかに震えている。 その様子を静かに見ていた壮一郎は、何食わぬ顔で巴の真横に腰を下ろした。
「せっかく、桃瀬さん達が、祝いに来てくれたのに、なんで追い払っちゃったんだ?」
そう問いながら、壮一郎は巴の頭を優しく撫でた。 その仕草は、問い詰めるというよりは、じゃれつく犬を宥めるような、実に手慣れたものだった。
友人たちの前で、壮一郎に後ろから抱きしめられ、頭を撫でられた一連のやり取りを思い出したのだろう。 巴は、湯呑みで顔を隠すように俯きながら、小さな声で答えた。
「朝も言ったじゃん…壮一郎と過ごしたかったんだって…」
壮一郎は、その真っ直ぐでブレない答えを聞き、小さく息を吐いた。
「そうか…」
彼は、巴の肩に手を伸ばし、抵抗する間も与えず、ゆっくりと自分の方に抱き寄せたのだった。 巴も、待ってましたとばかりに、何の抵抗もする事なく壮一郎の身体に全体重を預けるように寄り掛かった。
二人きりの静かな居間で、壮一郎は巴の髪の匂いを感じながら、わざと意地悪く口を開いた。
「でも、俺は巴が友達と一緒に過ごすもんだと思ってたから、追加の誕生日プレゼントとか用意する暇なかったぞ」
もちろん、昼間に隣町まで買いに走ったネックレスとケーキのことは、今は黙っている。壮一郎は、あとで驚かせるため、そんな嘘をついた。
しかし、巴は「追加の」という言葉に驚くこともなく、ただ壮一郎の肩に頭を擦り付けながら答えた。
「別にいいよ、あたしは壮一郎がこうして傍にいてくれるだけ…」
殊勝な事を言いかけた巴だったが、その言葉が終わるか終わらないかのうちに、ぐるりと両腕を壮一郎の体に回し、強くしがみついた。
「そうだ、一緒にお風呂入って一緒の布団で寝よう。それがプレゼントで」
やはり、巴は巴だった。 静かな雰囲気は一瞬で吹き飛び、とんでもない事を言い始めた。
「…おぃ、巴…」
壮一郎は、その切り替えの早さに呆れ、少し体を離そうとしたが、
「…大丈夫だ、お母さんにはもうメールしてあるから…」
巴は、それを許さず、決定的な追撃を続けた。 完璧な根回しだ。
「…弥生おばさんの返信は…」
壮一郎は、最悪の、しかし予想通りの結末を予感しながら、尋ねる。
「見る?」
勝ち誇った顔でスマホを取り出した巴を見て、壮一郎は深くため息をついた。 あの「娘をよろしく」と言い放った弥生の顔が、壮一郎の脳裏に浮かぶ。
「いや、いい…見なくてもわかるわ…」
「さっすが、壮一郎」
外堀も、内堀も、すべてが完璧に埋め立てられている。 巴は、満面の笑みで、今日一番の勝利のニヤリと笑うのだった。
*
壮一郎は、その巴の(勝利宣言)を聞き、居間の座卓に突っ伏し、両手で顔を覆ってしまった。 卒業まで待て、と散々釘を刺してきたはずなのに、父の退去という最大のアシストも加わり、なんだかんだ巴のペースに完全に嵌められている。
そんな壮一郎の(敗北した)姿を、巴は台所から楽しそうに眺め、 「クックック…ついに終わりの時だ…勇者よ」 と、またしても例の漫画から引用したであろう、魔王のような決め台詞を言い放った。
「………今度、その漫画本当に没収な?」
壮一郎は、突っ伏していた顔をあげ、実に冷めた声でそう宣言した。
「わぁぁぁ、ごめんごめんって~」
よほどその漫画がお気に入りなのか、巴は台所から慌てて降参した。
壮一郎は、やれやれと立ち上がり、巴がいる台所へと足を延ばした。
「ほんっとに…まだ付き合ってるわけじゃないのに、なんで風呂入って一緒に寝るのが当たり前なんだ…順序がめちゃくちゃだ…」
友人たちの前で、巴を好き放題していた割には、壮一郎は今更のように真っ当な事を口にした。
巴は、そんな壮一郎の抵抗を、楽しそうに笑って答えた。
「まぁまぁ、そうお堅い事言うなよ?男だろぉ?」
ニヤニヤしながら、まるで全てを分かったようにそう言う巴。
「お前、ホントそれ、オヤジネタだからな…」
壮一郎は、その(色気のない)返しに思わず突っ込んだ。
「ぐっへっへ…オヤジネタでもなんでも、一緒にお風呂に入って一緒に寝たら、もう言い訳できんぞ、壮一郎」
クックック、と巴は楽しそうに笑っている。 彼女からすれば、既成事実さえ作ってしまえば勝ち、という算段なのだろう。
そんな中、壮一郎は反撃の糸口を見つけたように、ふっと表情を変えた。
「…そっか、巴はそんなに俺と一緒に風呂にも入って布団にも入りたいのか…仕方ねぇなぁ」
壮一郎は、彼女の要求をそのまま、事実として突きつけた。 そのド直球の言葉に、今度は巴が攻守逆転され、赤面し硬直する。
「…うっ!?」
「そうだな…二人っきりの空間で、俺と一緒にお風呂入って欲しい、一緒に寝て欲しいって言ったんだからな…そりゃもう、これから「言い訳」なんて出来ないよな…巴」
壮一郎は、わざと巴の顔を覗き込むようにして、畳みかける。
巴は、その壮一郎の(余裕綽々の)視線に耐えきれず、じりじりと後ずさった。
「うぅぅ、そ、壮一郎…?」
何かとんでもない弱みを握られた気分になった巴が、か細い声を上げる。
壮一郎は、そんな巴の狼狽ぶりを見て、優しく微笑んだ。
「そんなに俺の事が大好きなら、遠まわしに言わないで「大好き大好き」って言ってればいいのに」
その一言で、ついに巴の恥ずかしさが爆発した。
「うわぁぁぁぁああああ、わかってんでしょぉぉおおお、言語化しないでよぉぉぉぉおおお」
壮一郎は、いつも自分を振り回す巴のペースを完全に乱し、ようやく満足するのだった。
「よし、あとで俺に「大好き」って言おうな?巴」
壮一郎は、勝利宣言のように、とどめの一撃を放つ。
「ふ、ふにゃぁぁぁぁああああああああ」
巴の(嬉しさと恥ずかしさが混じった)絶叫が、二人きりになった神社の母屋に響き渡った。
*
壮一郎の容赦ない追撃によって、巴が「ふにゃぁ」と絶叫してから数分後。 なんとか立ち直った巴は、壮一郎への文句をブツブツと呟きながらも、機嫌よく夕飯の支度を再開していた。
壮一郎もその隣で、今夜のメインディッシュであろう肉をフライパンで焼いている。 ジュウジュウと肉の焼ける音だけが響く。二人きりの台所は、静かだがどこか甘い空気が漂っていた。
その時、巴が調味料を取りに冷蔵庫を開け、その奥に大きな白い箱が置かれているのを見つけたのだった。
横で肉を焼いていた壮一郎に、巴は不思議そうに声をかけた。
「壮一郎、なんか冷蔵庫の奥に白い箱あるんだけど、何か知ってる?」
「ん?巴の誕生日ケーキだよ」
壮一郎は、肉から目を離さず、実にしれっと答えた。
「えぇ!?用意してる暇なかったって言ってなかった?」
巴は、予想外のサプライズに驚きの声をあげる。
「暇がなかったから、無理やり時間を作って買ってきた」
壮一郎は、昼間にこっそり隣町まで行ったことなどおくびにも出さず、さらに嘘を書き換えていく。
「やった…え?これなんのケーキ?」
「お前の好みが変わってないなら良いけど、苺のケーキだよ、巴」
巴は、その答えを聞いて喜びが爆発し、その場でぴょんと飛び跳ねた。
「ありがとう!壮一郎っ!大好きっ!」
そう言って、巴は調理中である壮一郎の背中に、勢いよく飛びついた。
壮一郎は、その(もはや慣れた)衝撃を、フライパンを持つ手を動かしながら、空いている方の片手で巴を危なげなく受け止めながら、 「…巴さん…」 と、わざとらしく呆れた声を出した。
「今の大好きは、どっちかっていうと子供が親に言うアレでは…」
壮一郎は、先ほどの「大好きって言おうな?」という約束を持ち出し、からかうように言った。
「い、い、いい、一番健全な「大好き」でございます…」
巴は、壮一郎の背中に顔を埋めたまま、慌ててそう取り繕う。 なんとか壮一郎の要望(?)を満たす巴であった。
*
21時前。 壮一郎と巴は、二人きりの居間で夕食を終え、買ってきた誕生日ケーキも食べ終わったあと、ゆったりとした時間を過ごしていた。 父の厳がいない母屋は、驚くほど静かだ。
「ケーキお腹いっぱい食べたの久々だよぉ」
巴は、満足そうにそう言い、隣に座る壮一郎の肩に自分の顔を擦り寄せて甘えた。
「そいつは良かったな」
壮一郎は、その(猫のような)仕草に小さく笑いながら、巴の腰に手を回し、抵抗なく自分の方へと引き寄せる。
「フヒヒヒ…」
奇妙な笑い声をあげながらも、巴は心底嬉しそうだ。 そんな巴を見ながら、壮一郎は昼間こっそり買っておいた、もう一つのプレゼントの箱をポケットから取り出した。
「そうだ、巴。これ」
「ほぇ?」
壮一郎は、巴の目の前にその小さな箱を見せる。
「そ、そそそ、壮一郎っ!?これってま、まさかっ!?」
巴は、その箱のサイズを見て、一瞬で顔を赤らめ、盛大に勘違いした。 (ゆ、指輪!?)
「いや、指輪じゃないぞ…」
壮一郎は、その(あまりにも気が早い)勘違いを冷静に止める。
「なんだぁ…」
巴は、あからさまにシュンとして落ち込んだ。
「落ち込むな、落ち込むな…」
壮一郎は、その(分かりやすい)反応に苦笑しながら、ゆっくりと箱を開けた。 中には、昼間に選んだ、小さな宝石が光るネックレスが入っていた。
「ってことで、これが本当の誕生日プレゼントだ」
巴は、その繊細な輝きを見て、絶句していた。
「え…?噓でしょ?…高くない?これ」
さっきまでの未来設計はどこへやら、急に金銭感覚が18歳らしい現実的なものになる巴。
「まぁ…安くはなかった」
壮一郎は、事実を淡々と告げる。
巴は、その言葉に固まった。そして、 「うわぁぁぁぁ、か、かか、返してきなよぉぉぉぉ」 と、本気で慌て始めた。
それに対して壮一郎は、 「…いいんだよ。価格じゃないんだから、こういうのは…」 そう言いながら、箱からネックレスを取り出すと、巴の後ろに回り込み、その白い首にそっとつけた。 ひんやりとした金属の感触に、巴の肩が小さく跳ねる。
「価格じゃないって、その…どういう…」
巴は、壮一郎の行動にされるがままになりながら、照れくさそうに、その真意を聞いてくる。
「…お前、俺の嫁になるんだろ?だから、別にこんくらいいいんだよ…」
壮一郎は、巴の耳元で、静かに、しかしはっきりとそう告げた。
「…っ!?」
巴の顔は、その(あまりにも直球の)言葉に、一瞬で紅潮し、今にも倒れそうなくらい緊張しているようだった。
壮一郎は、巴の前に再び座り直し、その真っ赤な顔をじっと見つめた。
「…なぁ、巴」
「は、はいっ!?」
巴の緊張は止まらない。
「お前、俺の事「大好き」なんだよな?」
壮一郎は、先ほどの台所でのやり取りを、今度は本気で確認するように尋ねた。
巴は、視線が途切れ途切れになりながらも、なんとか壮一郎の顔を真っ直ぐに見た。
「そ、そ、そりゃもう…「大好き」…です…」
壮一郎は、その言葉を聞くと、巴の細い身体を更に強く抱き寄せた。
「…そうだな、俺も巴の事、「大好き」だわ」
巴は、予想だにしなかった(初めての)壮一郎からの告白に、さらに赤面し、 「そ、そそ、壮一郎っ!?!?」 と、パニック寸前だ。
だが、壮一郎は今度はからかうでもなく、真剣に巴の目を見つめて言った。
「なら、嫁より先に、一旦俺の「彼女」になってくれるか?」
巴は、その申し出に混乱し、 「い、い、いいけど、卒業は!?卒業まで待たないといけなかったんじゃ!?」 と、以前の壮一郎の言葉を思い出す。
「…子供作るタイミングは、俺が決めるって話なんだから、別にお前を俺のものにするのも、今でいいだろ?」
壮一郎は、絶対的な余裕と自信を持って、そう言い放った。 「彼女」にすることと、「子供」を作ることは別問題だ、と。
巴は、その(あまりにも男らしい)言葉に、嬉しさと驚きで紅潮しながら、涙目になって応えた。
「あ、あ、あたしで良ければっ!」
「…お前な…ハァ…巴がいいんだよ…」
壮一郎は、愛おしそうに、しかしどこか呆れたように息を吐いた。
そうして、二人の顔は自然と近づき、 どちらからともなく唇が重なり、長い、長いキスをした。
*
二人の気持ちが、長い時間を経てようやく通じ合った。 その高揚感も冷めやらぬまま、二人は(巴の強い要望により)一緒に風呂に入ることになり、お互いに恥ずかしがりながらも身体を洗い合い、そして、神代家の広い浴槽に肩を並べて浸かっている。
湯気で視界がぼやける中、巴は壮一郎の身体に寄りかかっていたが、不意に、弾かれたように身を起こした。
「そ、そそ、壮一郎っ!!」
「…なんだよ、巴」
壮一郎が隣を見ると、巴はひどく動揺している様子だった。
「ど、ど、どうしますか!?」
「…何を?」
巴は、心臓が口から出そうなほど顔を真っ赤にさせながら、叫んだ。
「こ、子作りをここでしますか!?って話よ!!」
「わー…巴、大胆…って、ちょっと落ち着け巴…」
壮一郎は、そのあまりにも直球すぎる言葉に呆れつつも、パニックになっている巴の肩を抱き、自身の方へ引き寄せた。
「…とりあえず、まず学校卒業する事が優先です…」
「う、うん…」
巴は、壮一郎の胸に抱き寄せられながらも、その視線は落ち着きなく湯舟の中をさまよっていた。
「あと、子作りはまだしません…」
壮一郎は、はっきりと釘を刺す。
すると、巴はハッとしたように壮一郎の顔を見上げた。
「しないの!?」
「…いや、今6月下旬よ…今して出来たりしたら、巴…お前、学校卒業するころにはお腹が…」
壮一郎は、現実的な問題を諭す。
巴は、その正論に納得しつつも、残念そうに、また湯舟の中の、ある一点をじっと見つめた。
「でも…」
壮一郎は、その視線がどこへ向かっているかに気付き、さらに強く巴を抱き寄せ、自分の胸に顔をうずめさせた。
「…巴さん、見るところが違います…」
「…うっ!?」
図星を突かれ、巴の身体が跳ねる。
壮一郎は、どう説明したものか、少し悩みながら答えた。
「…その…愛し合う関係になるのはいいけど、避妊具ないとダメです…」
巴は、その言葉の意味を数秒考え、とんでもない提案をした。
「…(実家の)お父さん持ってるか聞いてみ」
「やめろやめろっ!」
壮一郎は、思わず大声で突込む。巴が言っているのは、巴の父、譲のことだ。
巴は、本気で残念そうに、 「えー?なんでよー」 と唇を尖らせた。
壮一郎は、巴の実の父親の顔を思い浮かべ、頭を抱えながら言った。
「んな、「今から壮一郎と愛し合うから、避妊具頂戴~」とか、お前が譲おじさんに言ったところを想像してみろ…」
巴は、その光景を真剣に想像した。
「…「よくやった、巴!」?」
「んなわけあ………るのかねぇ…?」
壮一郎は、あの三者面談の前に会った、娘を託してきた譲の顔を思い出し、あり得なくもない、と思い直し、言葉を濁した。
巴は、それを肯定と受け取り、自慢げに言った。
「そりゃぁあるよ!だって、あたしが壮一郎に好かれなくて結婚できなかったら、どうしよう…って、うちの両親が夜にたまに話してるの知ってるしっ!!」
巴は、なぜかドヤ顔でそう語った。
「ドヤるなドヤるな…」
壮一郎は、その両家公認の重圧にため息をつく。
さらに巴は、今度は照れながら付け加えた。
「…ま、壮一郎だし、あたしの事、嫁にしてくれるって信じてたから、むしろ余計な心配って思ってたけどねっ!!」
壮一郎は、その絶対的な信頼に、呆れ気味に答えるしかなかった。
「…まぁ………そうかもな…」
これほどの好意を真正面からぶつけられ続けて、壮一郎には正直、最初から躱せる自信はどこにもなかったのだ。
壮一郎は、一度大きく深呼吸し、巴の頭を撫でた。
「ま、そういう関係になるのはいつでもなれるんだし…今日は大人しくしましょうね?巴さん?」
巴は、そのあまりにも理性的すぎる言葉に、不満そうに笑った。
「ふっ…壮一郎の玉無しめ…」
「…お前な、こういう事はできるんだからな」
その男として聞き捨てならない一言に、壮一郎はそう言うと、巴の胸にそっと手を伸ばし、柔らかく揉みしだいた。
「うっ!?」 「ちょ、ちょっと待ってっ!?」
予想だにしなかった反撃に、巴は素っ頓狂うな声を上げた。
壮一郎は、その手を離すと、 「…はぁ…これでよくわかったか?」 と、巴の耳元で静かに言った。
巴は、顔から火が噴き出そうなほど真っ赤になり、 「…よくわかりました…」 とか細い声で言い、今度こそ大人しく壮一郎の胸に寄り添い、反省するのだった。




