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神主見習いと幼馴染の許嫁  作者: ブヒ太郎


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1話

ガタン、ゴトン、と軽快ながらもどこか間の抜けたリズムを刻んでいたローカル線の車体が、ゆっくりと速度を落としていく。




車窓を流れるのは、どこまでも広がる青い空と、深く息づく緑の田園風景。コンクリートの灰色ばかりが目についた都会とは正反対の、目に鮮やかな色彩だ。




やがて列車は、懐かしい木造の駅舎が待つホームへと滑り込んだ。




年季の入った木製の柱、錆びついた鉄骨の屋根。そのすべてが、壮一郎の記憶の中にある景色と寸分違わない。駅名看板に書かれた『美影町みかげちょう』の文字が、やけに鮮明に目に飛び込んできた。




プシュー、という気の抜けた音と共にドアが開き、一人の青年が大きなトランクを引きずりながらホームに降り立った。




青年――神代壮一郎かみしろ そういちろうは、まず大きく息を吸い込む。 肺に流れ込むのは、湿り気を帯びた草と土の匂い。都会の排気ガスに慣れた肺が、懐かしい故郷の空気をいっぱいに吸い込んで、喜んでいるかのように大きく膨らむ。




壮一郎は「んーっ」と声にならない声を漏らし、大きく一つ伸びをした。




「ん-…2年ぶりに帰ってきたなぁ…父さん、元気にしてっかなぁ」




無人駅の改札を抜け、ほとんど変わらない駅前の風景を眺める。シャッターが下りたままの土産物屋も、色褪せた観光ポスターも昔のままだ。




壮一郎は小高い丘の上にある自宅――神代神社の方角を見やる。 緑深い、あの丘の上。




あの小高い丘の上、鎮守の森に抱かれた神代神社。あそこが自分の帰る場所であり、これからの職場だ。




東京の明和國學院にある神職養成所で過ごした2年間は、決して楽なものではなかった。慣れない都会での学業と修行の日々を終え、彼は今日、正式に神主の資格(階位)を持ってこの美影町に帰ってきたのだ。




胸に宿るのは、安堵と、少しばかりの緊張。







一時間に一本しかない路線バスに揺られること十数分。「神代神社前」と書かれたバス停で降り立ったのは、壮一郎ただ一人だった。




バスがディーゼルエンジンの音と排気ガスを残して走り去ると、辺りを包むのは森閑とした静寂。 まるで世界から音が消えたかのような。




聞こえるのは風が木々の葉を揺らす音と、遠くで鳴く鳥の声だけだ。




目の前には、見慣れた鎮守の森へと続く、長い石畳の参道。その入り口にそびえ立つ大きな鳥居を前に、壮一郎は一度軽く頭を下げてからくぐり、懐かしさを噛しめるように歩を進める。




木漏れ日が石畳にまだら模様を描く、見慣れた道を歩いていると…




「壮一郎っ!?」




背後から、甲高い、しかし聞き覚えのある声が飛んだ。




驚いて振り返ると、そこには見慣れた緑色のブレザー――美影高校の制服を着た少女が、肩で息をしながら立っていた。




長い黒髪が少し乱れているところを見ると、青年を走って追ってきたのだろう。ぜぇ、はぁ、と荒い息遣いが聞こえる。




均整の取れた顔立ち。真っ直ぐに自分を見つめる強い瞳。




記憶の中の誰かと結びつけようとするが、2年という月日は少女の姿を微妙に変えており、壮一郎はすぐには思い出せない。




彼は怪訝な顔で首を傾げた。




「…どちら様でしたっけ…?」




その瞬間、少女は、カッと目を見開き、みるみるうちにその顔を怒りに染めた。




「巴だよ!忘れちゃったの!?壮一郎の運命の相手の私をっ!」




「巴」。




その名前を聞いて、ようやく目の前の少女と、脳裏にこびりついた面倒くさい記憶が一致した。




壮一郎は、これから起こるであろう騒動を予感し、隠そうともせずにげんなりとした顔を浮かべた。




「…すいません、人違いです…」




関わり合いになる前に立ち去ろうと、壮一郎は前を向き直り、再び歩き出そうとしたが…




「酷いっ!あたしのこと、遊びだったのね!?」




がしり、とトランクの持ち手を掴まれ、巴はとんでもない事を口にし始めた。




「あたしと一緒にお風呂に入ったことも、」




「一緒の布団で寝たことも、」




「『巴が世界で一番可愛いよ』って言ってくれたこともっ!」




石畳の参道には、他の参拝客もちらほらといる。 静かな神域に、少女の糾弾が響き渡る。 その中でとんでもない爆弾を投下され、壮一郎は顔を真っ赤にして慌てた。




「巴!!ストップ!ストップ!!色々誤解を招く事を言うんじゃありません!!事実無根!あと最後のは絶対に俺、言った記憶ないよ!!」




案の定、通りすがりの参拝客たちが「あらまぁ」「最近の若い子は…」とヒソヒソ話しながら、好奇と侮蔑の入り混じった視線を壮一郎に突き刺す。




神主見習いとして帰ってきた初日にして、最大のピンチだ。 社会的信用が、早くも地に堕ちようとしている。




「…じゃぁ、あたしとの事…遊びじゃないっていうんだね…?」




巴は、非難の視線を浴びて狼狽する壮一郎を、潤んだ瞳で上目遣いに見つめる。 その表情は、先程までの怒りとは裏腹に、やけにしおらしい。




壮一郎はこめかみを押さえ、必死の形相で叫んだ。




「お前、2年ぶりに会ったのに、相変わらずめんどくさいなっ!子供の頃のままごとの話を、さも最近あったかのように言うのやめてくれませんか!?俺の社会的信用が死ぬ!!周囲の視線が痛い!!」




散々引っ掻き回しておきながら、巴は「してやったり」とでも言いたげに、にっこりと無邪気に笑った。




「うへへ…相変わらず壮一郎って面白いね」




「じゃぁ、久々の再会を祝して…二人っきりでカラオケ行っちゃう?」




巴は「名案!」とでも言いたげに、期待に満ちた瞳で壮一郎の顔を上目遣いに覗き込む。




壮一郎の中ではとっくに無効化されているはずの婚約だが、巴はそれを面白いのか、それとも本当に壮一郎の事が好きなのか、いまだに「婚約者」として当然のように接してくる。




この距離感の近さが、昔から壮一郎の頭痛の種だった。




「行きません…」




壮一郎は、再会早々の面倒事に深々とため息をつきながら、きっぱりと断る。




「それに俺、今帰ってきたばっかだから。荷物を部屋に置いてきたいし、父さんにも顔見せないといけないし」




それを聞いた巴は、しかし落ち込むどころか、待ってましたとばかりに顔を輝かせた。




「あ、ならあたしもお父さんに会いに行くよ」




「は?」




壮一郎は虚を突かれたように目を丸くした。なぜ巴が、壮一郎の父に会いに行くのか。その思考の飛躍が理解できない。




だが、次の瞬間、壮一郎の中で別の解釈が芽生えた。




(巴…こいつ、俺が父さんに挨拶するのを邪魔しないように、気を遣って「お父さん(巴自身の父親)に会いに行く」から、ここで別れるってことか…?)




そういえば、巴の家もこの参道の途中から脇道に入った先だ。




壮一郎は勝手な早合点をし、じわりと目頭を熱くした。




「…壮一郎、なんで涙ぐんでるの? 」




「…いや、巴も暫く会わないうちに、そういう気遣いができるように成長したんだな…と。よし、入口まで送っていくよ」




壮一郎は、今来た道。つまり、バス停のある参道の入口――町へと続く方向を指差した。




しかし、巴は壮一郎が指差す方向と、これから向かうべき神社(参道の奥)を、きょとんとした顔で見比べた。




「ほぇ? お父さんに会いに行くなら、神社の方でしょ? そっちはあたしの家の方向だし」




「え?」




「え?」




二人の間に、蝉の声だけが響く、奇妙な沈黙が流れる。




壮一郎の感動は一瞬にして霧散し、再び深い困惑が彼を襲った。




「…えーっと…巴さん? 確認だけど、『お父さん』って、俺の父さんのことを言ってる?」




巴は「何を当たり前のことを?」とでも言いたげに、小首を傾げた。




「…このタイミングで『お父さん』って言ったら、げんさん(壮一郎の父)しか居ないよね?」




巴は、壮一郎の父に会うのが、まるで自分の父に会いに行くのと同じくらい当然であるかのように言い放った。




「…巴さん…空気読もうよ…。俺、2年ぶりに帰ってきたんだけど…」




「…読んでるよ?? だから、あたしも一緒に行こうと思って」




壮一郎には、2年ぶりに帰郷した息子が父親と水入らずで再会したいだろう、という思考が、なぜ彼女の中に一ミリも存在しないのか、まったく理解できなかった。 理解したくもなかった。




結局、参道でこれ以上押し問答を続けても、他の参拝客からの好奇の視線が痛いだけだと悟った壮一郎は、重い溜息とともに巴を振り払うことを諦めた。




大きなトランクのキャスター音が、石畳の上でやけに虚しく響く。 ガラガラ、ガラガラ。その音は、壮一郎の疲労を代弁しているかのようだった。




鎮守の森を抜け、境内に入ると、掃き清められた石畳の向こうで、父のげんが竹箒で社務所前の落ち葉を集めている姿が見えた。




「父さん、ただいまっ!」




壮一郎はトランクをその場に放り出し、父親に向かって手を振った。




「おぉ、壮一郎。戻ったか」




厳は箒の手を止め、厳ついながらも人の好さそうな、日焼けした顔に笑みを浮かべた。




「お父さん、お久しぶりですっ!」




壮一郎のすぐ隣で、巴もまるで自分の家に帰ってきたかのように、屈託なく深々と頭を下げる。




「おぉ、巴も来てたのか。相変わらず元気そうだな。まぁ上がって、茶でも飲んでくかい?」




厳は、実の息子への「おかえり」と、巴への「来てたのか」を、あまりにもフラットなトーンで発した。




その微妙な雰囲気に、壮一郎は妙な居心地の悪さを感じて口を挟んだ。 感動の再会、というにはあまりにも温度差がある。




「…父さん…流石に見知った仲だからって、巴の事を「巴」と呼び捨てにするのは、どうなんだろう…。巴ももう18だし…」




厳は、何を突拍子もないことを言い出すんだこいつは、とでも言いたげに、きょとんとした顔で息子を見つめた。




(いや、お前もさっきから呼び捨てにしてるだろ)




厳の視線がそう物語っていた。




「俺は、その…巴とは長い付き合いだから…いいんだよ!」




壮一郎はなんとか苦しまぎれの言い訳を口にするが、父親の視線は変わらない。 むしろ、「何を言っているんだ」という色が濃くなった。




「何を今更。来年には家族になるんだし、硬い事なしでいいんじゃないか?」




厳は、そう言うと再び落ち葉を掃き集めながら、本当に何でもないことのように、そう言い放った。




「…………は?」




壮一郎は理解できなかった。




「かぞく?」




頭の中で、その単個が意味を結ばないまま反響する。




「家族…? 誰と誰が?」




壮一郎の深刻な混乱を面白がるように、隣で黙っていた巴がニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべて口を挟んだ。




そうして、得意げに自分の胸を指差しながら、




「あたしとー」




そこで、壮一郎は、ハッとした。 脳内で、最悪のパズルが組み上がっていく。




(来年) (家族) (父さんと、巴が)




最悪の(そしてあり得ない)可能性に思い至り、壮一郎の顔からサッと血の気が引いた。




「まさか、父さん! 2年の間に巴に手を出したんじゃ!? それで巴が父さんと結婚っ!?」




2年間の修行ボケか、長旅の疲れか、壮一郎は神聖なる神社の境内で、とんでもない不敬罪スレスレの叫びを上げた。




厳が「はぁ!?」と目を剥いて固まり、一瞬の静寂が落ちる。 サァ、と風が境内の木々を揺らす音だけが、やけに大きく響いた。




「お前とあたしじゃ、ぼけぇ!!」




次の瞬間、巴は顔を真っ赤にしてそう怒鳴り上げると、壮一郎の尻に見事な回し蹴りを叩き込んだ。




「ぐふっ!?」




情けない悲鳴と共に、壮一郎は2年ぶりに故郷の土に突っ伏した。

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